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島倉千代子さんとゼロバランス Pentel・ENERGEL・Clena
マルセル・デュシャン 生物色彩

[2020/11/29]
島倉千代子さんとゼロバランス

過日、テレビで島倉千代子さんのヒット曲と共に彼女の人生を辿る番組が放映された。我々はいつもスポットライトに当たる華やかなステージで歌う島倉千代子さんしか目にしない。しかし、彼女の人生は、山あり谷あり実に波乱に満ちた人生だった。番組の中で島倉さんの手記が紹介されていた。『私はよく涙を流す・・・・私は流れる涙によって、すべての思いを捨ててしまいたいという気持ちがあるのだ。そして事実、泣いた後には「なにくそ!」という力が出る』。そこで私がこのホームページを始めた頃書いた「ゼロバランス理論」で考えてみた。


戦時中、戦況悪化で田舎へ疎開する。そこには水道も井戸も無く、離れたところにある井戸へ水汲みに行くのが6才の少女だった島倉さんの日課だった。そんなある日、一斗ビンいっぱいの水を乗せた台車が倒れ、47針を縫う大けがをする。少女の左手は強くモノをつかんだり、握ることが出来なくなっていた。


彼女を心配する母は、歌で心を開かせていった。そのかいあってのど自慢にでれるほど回復する。高校生になった島倉さんは「コロンビアコンクール」に応募、全国優勝を果たす。そして昭和30年「この世の花」でデビュー。いきなり200万枚の大ヒットとなった。その後「りんどう峠」「からたち日記」とヒットが続く。

島倉さんは、母の反対を押し切って、プロ野球選手と結婚する。ところが多忙な二人はすれ違い、すれ違いで、結局離婚することとなった。くわえて仲直り出来ていなかった母が病気に倒れ、寝たきりになる。島倉さんは3年近く、その母を支えた。

島倉さんは、それまでにない新しい曲調の歌「愛のさざなみ」(昭42年)を発表。100万枚を超えるヒットとなった。「♪〜くりかえす くりかえす さざ波のように〜♪」


またしても襲う試練。島倉さんが裏書きした約束手形が不渡りになり、億単位の負債を背負う。公演中の楽屋に押しかける債権者。世話になった恩人に実印を預けたのだという。人柄のよさが招いた試練である。

「♪〜死んでしまおうなんて 悩んだりしたわ〜♪」昭和62年、それまでの島倉さんの人生を振り返るような歌「人生いろいろ」が発売される。この曲は長く歌われ続け、130万枚のミリオンセラーとなった。そして負債もすべて完済する。

島倉千代子さんは、父が好きな歌手だった。「♪〜涙に濡れて蕾のままに散るは乙女の初恋の花〜♪」(デビュー曲「この世の花」昭30)。あの鈴を転がすような可憐な声は、日本人の豊かな感性に響く。どこか愁いをおびた繊細な声質が、作詞家、作曲家のイメージを刺激したに違いない。その一方で、彼女の波乱の人生が「人生いろいろ」(62)を生みだした。歌が島倉さんの心を支え、人生を強く生きさせた。波乱の人生を生きながらも、生涯“純粋な心”を持ち続けた人だったように思う。最期は末期がんと闘いながらも、最後の力を振り絞って「からたちの小経」を歌い切った島倉千代子さん。平成25年、力強く来世に向かって旅立った。

「ゼロバランス理論」とは
ど素人の私が、何の科学的根拠もなく考えたものである。一応説明しておくと「正のエレルギー」と「負のエネルギー」が、波のように「ゆらぎ」ながら「無
(ゼロ)(現世に設定した人生のレベル)を保っているというものである。更に、前世、現世、来世を通しても、この「ゆらぎ」によるバランスは「無(ゼロ)」を保っている。「負のエネルギー」とはつまり厳しい“試練”であり、「負のエネルギー」によって作り出された「正のエネルギー」で、そのエネルギーに見合う人生を生きるのである。こうして山あり谷ありの人生はゼロでバランスする。科学的根拠のある「エネルギー保存の法則」や「質量保存の法則」などから考えても、あながち考えられないことでもないと思っている。
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「2020/11/17」
マルセル・デュシャン

先月(2020/10)糸島市図書館でブックリサイクルがあり、数冊の本を頂いてきた。その一週間後にも開かれ、この時手に入れたのが「世界の巨匠・デュシャン」である。BOXの中には他にも巨匠が並んでいたが、20世紀におけるデュシャンの影響力は大きく、この画集を持ち帰った。彼の美術に対する哲学ともいえる深い思想は、美術の概念を大きく変えた。解説にはこう書かれている。『ダダ運動の若い芸術家たちも、デュシャンに接すると、催眠術にかかったように彼を称賛した。・・・・いわば未来の果てしない展望を開いた人物に思えた』。デュシャンの精神活動があらわした芸術は、反芸術だと厳しい批評を受けながらも、その後の若い芸術家たちの土台となっていく。

 

解説によれば『彼が最も重きを置いたのは、芸術ではなく生活そのものであり、傑作をつくることではなく、知性を自由に働かせることであった』。ただここに至るまでにデュシャンの画歴は興味深い。画集の最初に掲載されている初期の作品「グランブルの風景」(1902)は印象派を感じさせ、「デュシャンの父親の坐像」(1910)はセザンヌ風である。ところが1910年の「チェスプレーヤ」と1911年の「チェスプレーヤーの肖像」は、わずか一年の間にキュビスム風へと激変する。この後発表する「階段を下りる裸体No.2」(1911)では、キュビスムではありながらも運動と時間を表現している。そして翌年1912年デュシャンはキュビスムと完全に決別する。絵画の世界から離れ、芸術の概念を覆す。

 

この画集の外箱を飾っているオブジェ「自転車の車輪」(1912)こそデュシャンが新しい世界を切り拓く転機となった作品である。次の作品「壜掛け」(1914)は、どこでも買えるような家庭用品に署名をしただけで芸術作品とした。この時のデュシャンはこう言っている。『人間によってあるいは人間の機械によって作られたものは、どんなものであれ芸術であり、芸術家は単に物に署名する人間に過ぎぬ』。さて次がいよいよ美術界を騒がせた「泉」(1917)の登場である。デュシャンは、レディメイド芸術という新しい概念を作り出し、美術作品のそれまでの価値観を覆した。

 

考え方が生き方を選択し、生き方が考え方に変化を与える。彼の生活そのものから発せられる独創的な創造性である。レディメイド作品と同時に、彼が注目したのは「ガラス」だった。ガラスをキャンヴァスとすることで、新しい世界を表現していく。解説にはこう書かれている。『“大ガラス”を通して見える背景の世界は、とめどなくレディメイドなのである。・・・・デュシャンの内なる概念の4次元の世界があらわれている』。デュシャンはそれまでの芸術の価値観に疑問を呈した。レディメイドを芸術作品としたことを、美術界に認知させ得たのは、彼の存在感とカリスマ性ではなかったろうか。
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[2020/11/17]
Pentel・ENERGEL・Clena
Pentelのボールペンで、今使っている「ブラウン色」の残りが少なくなったので、リフィルを補充しておこうと出かけた。恐らくこの色のリフィルなら取り寄せということになるだろうと思いながら探した。ところが、リフィルどころか、ブラウン色のボディの「Clena」を見つけた。これはいいのが見つかった。落ち着いたデザインもいい。
この8年ほどでノートしたのを平均してみると、1年に約5冊(APICA CDノート)ほどだった。ということで、リフィルが途切れないようLRN4、LRN5、LR7、LR10合わせて20数本ストックしている。
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[2020/11/11]
生物色彩

カワセミ

ヤイロチョウ

ケツアール

浅間茂著
中央公論社新社
2019/4/25発行 

鳥類は「4色型色覚」を持っているという。我々ヒトは、赤、青、緑を認識する「3色型色覚」である。鳥はこれに加えて、紫外線を見ることが出来る。つまり、我々が見ている可視光線より短い波長(300380nm)も見ている。カラフルな色を認識する鳥たちは、赤い色が好みらしく、鳥媒花(鳥による受粉)80%が赤い色だという。その中でも我々の目を楽しませてくれる美しい鳥がいる。清流の宝石“カワセミ”、森の宝石“ヤイロチョウ”あるいは世界一美しい鳥ともいわれる“ケツアール”。ケツアールは光に当たると一層輝きを増す。尾羽をたなびかせながら飛ぶ姿は実に美しい。この美しさは、鳥にとってどんな意味を持つのだろうか。“カワセミ”は捕食者が上空から青い背中を見たとき、水面と重なって目立たないのだという。“ヤイロチョウ”も森の中では、この色が木々に溶け込み天敵から身を守っている。美しい色には、生き延びるための重要な意味がある。

 

鳥の美しい色は、物理的な構造色によるものだ。それは体の微細な構造によって生じる色で、CDやDVDの表面に見られるようなものらしい。光の波長やそれ以下の微細な構造による光の干渉、屈折、散乱などにより発色する。構造色による発色は鳥だけではない。モルフォチョウやタマムシにもみられる。モルフォチョウは、麟粉に反射した光が干渉し、金属光沢の青色を発色する。ところがこの構造色はカラフルなものだけではない。カンザシフウチョウのオスは、地球上で最も黒い鳥と言われる。光の反射が極端に低く、光の99%を吸収する。それは入り組んだ羽根の間を繰り返し反射していくうちに、ほとんどが吸収されて外に出て来ない。これもまた羽毛の構造によるものである。

 

カラフルと言えば、花の色こそ最もカラフルである。この花々を虫や鳥が飛び回り、植物の受粉を助けている。だが虫は視力が極端に弱いのだという。例えば、ミツバチはヒトの視力の100分の1。つまり、ヒトの視力を1.0とするとミツバチの視力は0.01ということになる。では花たちはどうやって虫たちを誘うのか。虫たちは紫外色を見ることができる。花びらは紫外線を反射して花の存在を認識させ、虫が好む密は、紫外線を吸収してその場所を示すという。それぞれの花は、特定の虫が来やすく、また蜜を吸いやすい形状に進化していく。それが子孫を残せるかどうかの鍵になる。植物たちも最終目的は種(しゅ)を保存にある。

 

花が色とりどりの花を咲かせるのは、はたして虫や鳥を誘うためだけだろうか。私はそれだけではないように思う。一部の植物はヒトによる種の保存を期待しているのではないだろうか。我々は季節ごとに咲き誇る様々な花を愛でる。多くの人がそれを楽しみに毎年出かける。ヒトは虫や鳥にはない“感動する心”を持っている。10万年前の遺跡からは、死者に花を手向けた痕跡が残っている。生きていくために協力し合い、助け合って社会を形成していったヒトは、ここで“思いやりの心”が芽生えた。恐らくヒトは、はるか昔から花へ特別な心で接していたに違いない。チューリップと言えばオランダをイメージするほど栽培されている。植物の細胞が、種の保存の一つの方法としてもおかしくない。色とりどりに咲き乱れる花々は、人間のためにも咲いている。
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