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   即位礼正殿の儀
ギュスターヴ・モロー展 文房具

[2019/10/23]
即位礼正殿の儀                                          

令和元年1022日、天皇陛下が内外に即位を宣言される「即位礼正殿の儀」が国事行為により執り行われた。この儀式には世界191の国・機関から2000人が参列し、正殿は厳粛な雰囲気に包まれた。陛下は正式装束「黄櫨染袍」を着用され「高御座」(たかみくら)にお立ちになり、お言葉を述べられた。『国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国および日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓います』と日本と世界に向け力強く即位を宣言された。皇后さまも十二単のあでやかなお姿で「高御座」の隣の「御張台」(みちょうだい)にお立ちになった

今回の「即位礼正殿の儀」は1000年を超える歴史がある。この荘厳な儀式を見ていて、知らず知らずのうちに背筋を伸ばし身を正していた。その昔、西行法師が神宮に参拝したとき「何ごとのおはしますか知らねども かたじけなきに涙こぼるる」という歌を詠んだ。それこそが日本文化をはるか昔から守り続けてきた歴史の重みである。皇室は、国民統合の象徴としての存在であるとともに、日本の伝統文化の継承者であり続けるという重要な存在でもある。それは日本が、世界の国のどこにもない、豊かな文化を持つ国であるということを世界に示す誇らしい存在でもある。

陛下がお言葉を述べられた「高御座」は、天孫降臨に由来する王座である。この「高御座」には、皇位継承のしるしである「三種の神器」の内、「剣」と「勾玉」は天皇の傍に置かれた。鏡はデザイン化された飾りが高御座に付けられていた。皇位継承にあたっては、何よりも先にまず「三種の神器」の継承の儀式が行われる。私は51日の「剣璽等継承の儀」があったときにも書いたが「三種の神器」は、紀元前、弥生時代中期初頭の頃、「吉武高木」の王(福岡市西区)に始まる。その後伊都国(糸島市)の代々の王である「三雲南小路」の王、「井原鑓溝」の王、平原の女王へと受け継がれていく。当然、伊都国と深いつながりのある卑弥呼へ、つまり邪馬台国へと引き継がれていく。

北部九州で始まった「三種の神器」は、邪馬台国の東遷により四世紀の大和朝廷の宝物となり、今の皇室へと受け継がれている。三種の神器のうち「鏡」は神宮(伊勢の神宮)に祀られている。因みに神宮の鏡は、伊都国の超大型内行花文鏡と同じ大きさである。神宮は、日本書紀に天照大神によって現在の伊勢に定められたとある。つまり時間軸は、邪馬台国東遷後に天照大神と鏡が神宮に祀られたことになる。大和朝廷の皇祖神である天照大神は、卑弥呼が神格化されたものである。更に卑弥呼亡き後邪馬台国の女王になった台与(とよ)は、神宮の外宮・豊受大神として祀られている。文化というのは一朝一夕に出来るものではない。長い歴史の中で、その時代時代を生きた人たちによって大事に守り育てられてきたものである。(畿内に突然降って湧いたようなものではない)

当日、朝から降っていた雨も、儀式が始まるころには明け、虹がかかったという。天皇、皇后両陛下の未来を象徴したかのようである。天皇陛下のお言葉には、上皇さま上皇后さまの御心を受け継ぐという姿勢が示された。令和の時代の人間天皇として、国民に寄り添い、国民と共に歩まれる。一方、神聖な存在として伝統を継承し、世界に誇る日本文化を守っていかれることになる。そして、今回印象的だったのは、外国の賓客から祝辞を受けられる際、通訳を介さず笑顔で話されていたことだ。語学が堪能な両陛下には皇室外交の活躍が期待される。今回の「即位礼正殿の儀」は国事行為として執り行われた。しかし、国事行為とか皇室行事だとか、そんなレベルの儀式ではないと私は思っている。もっと大きく日本が世界に誇る伝統文化という視点が必要なのではないだろうか。

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[2019/10/21]
ギュスターヴ・モロー展(福岡市美術館)

20193月、福岡市美術館は“より開かれた美術館”を目指し、2年半の改修を終えリニューアル・オープンした。展覧会は「コレクション展+ジョニバレ個展」に続き、今回企画展「ギュスターブ・モロー展」が開催されている。モローはフランスの19世紀後半に活躍した画家である。時代としては印象派の時代と重なる。今回の展覧会はサブタイトルの「サロメと宿命の女たち」が示すように、彼が多く描いた神話や聖書に登場する女性に焦点を当てた展覧会になっている。この「宿命の女(ファム・ファタル)」というのは“男の運命を狂わせ破滅へと導く女”というから恐ろしい。中でも繰り返し描いたのが「サロメ」というユダヤの若き王女で、その代表作が今回展示されている《出現》である。もう一つの大きな作品が《一角獣》だが、こちらは大きな心境の変化があったのか、対称的に穏やかな女性像がえがかれている。

 

モローは、フランス象徴主義の先駆けとして代表的な存在である。私は西洋の神話や聖書をよく知らないので、《出現》はサロンのイメージだった。しかし、その絵には象徴主義モローの深い思いが込められていた。モローは古典主義から脱却し新しい道を開いたロマン主義のドラクロワに影響を受けた。彼はそれを更に深く突き詰め象徴主義へと可能性を求めていった。象徴主義は写実主義や自然主義を否定しひたすら自分の内面を見つめ、深い精神性から作品を生みだした。それはモローが言ったこの言葉に象徴される。『目に見えるものは信じない』。奇しくも又吉直樹著の小説「人間」にもこんな言葉が書かれている。『事象には揺れがあるんやと。だから自分の目で見て感じた世界がすべてではないという事実からも俺たちは逃げられへんのかなとおもって』。象徴主義の画家には他にルドンがいる。ルドンもまた内面を見つめ幻想的な作品を描いている。

話は違うが展覧会と言えば、最近大きな話題を呼んだ「あいちトリエンナーレ2019」がある。ここでは韓国の慰安婦を象徴した少女像を展示したり、昭和天皇の写真を燃やしその灰を土足で踏みつけたりと、およそ芸術とはかけ離れた展示をした。よく韓国でやっている日本企業のロゴマークを踏みつぶしたり、日本の国旗を燃やしたりしているのと同じレベルだ。むしろ芸術を語るだけたちが悪い。これは「ヘイト」行為であり、芸術を冒涜(ぼうとく)するテロと言っても過言ではない。主催者や左翼は、憲法の「表現の自由」を持ちだして、国が補助金を交付しないことに抗議しているが、ヘイト行為に我々の税金が使われてなるものか。ふざけるな!!名古屋市長は、この展示に抗議して「表現という名の暴力だ」と言った。その通りだ。

逆に韓国で「ライタイハン像」を、これは芸術だと言って韓国のソウルで展覧会を開催した場合を考えてみよう。あくまでも私個人の考えだが、おそらく国を挙げて激しい反対の嵐が吹き荒れることだろう。国からの補助金などと言う前に、展覧会自体が開催できないのではないか。主催者は間違いなく非国民扱いで激しいバッシングを受けだろう。そんなレベルのことを「あいちトリエンナーレ」は行ったのだ。今回の展覧会は、日本人に対するヘイト行為を取り締まる法律が無いので、主催者も出展者もたかをくくって出したのだろう。すぐにでも「ヘイトスピーチ解消法」の改正が必要だ。今回の展覧会を見る限り、主催者の愛知県知事にはその資格も無いし、県知事としての能力も無い。

さて、モロー展の話に戻ろう。「ウィーン分離派」のクリムトの分離派館の入り口には「時代にはその時代の芸術を」と書かれている。芸術は時代の大きな流れの中にある。17世紀の古典主義から18世紀のロココ、19世紀の新古典主義からロマン主義へ。この流れからモローの象徴主義が生まれた。彼は晩年、国立美術学校の教授として、自由に描くことを教えた。モローの下から多くの画家が巣立っていく。そんな中から、フォーヴィスムのルオーやマティスなど、新しい画家たちが誕生している。それはモロー自身も常に新しい表現を模索した結果ともいえる。モロー展の会場の前の展示室には「コレクションハイライト」が開かれていた。ここで最初に目に入るのが、シャガールやミロ、ダリなど、シュルレアリスムの絵画だ。モローの象徴主義から進化した作品が展示されていたのもまた象徴的である。

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[2019/10/14]
文房具
campus report pad

現在使っているREPORT-PADがあと数枚にになったので買ってきた。同じCAMPUSのB5-7mmだが、今回は、「ドット入り罫線」にした。文章の途中に表などを書き入れるのに良さそうだ。
Pentel ENER GEL 1.0

手紙はいつも太字のボールペンで書いている。今、使っているのが「OHTO FUDE BALL 1.5」だが、これが見つからなかったので、PENTELの1.0を買ってみた。
☜右がPENTELで左がOHTO。書き比べてみて多少の違いなのでこれを使ってみようと思う。
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