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2010/11/11 「耳かき事件・控訴見送り」 |
今日の新聞に「耳かき店員殺害事件」について、検察が控訴を見送る方針と出ていた。これで検察側・弁護側双方が控訴しなければ、16日に「無期懲役」が確定する。
裁判員裁判は、全くの素人が、死刑求刑のような重大な事件を裁く。その法の知識のない一般市民の考えを尊重して、基本的には控訴をしない。つまりどんな重大事件も一審だけで終わることになる。 裁判員裁判では、日程を短くするために公判前手続きで、裁判官・検察・弁護人が一堂に会して、証拠を検討し、争点をまとめ上げる。しかも、公判前手続きで検討した証拠以外の証拠は、基本的に裁判では使用しない。つまり、裁判員が参加する前に、証拠は確定され、ストーリーは出来上がってしまっている。この状況で "ど素人"の裁判員が、プロの裁判官3人を前に、迎合せずプロ以上の眼力をもって、ストーリーを覆すだけの判断をなし、その意見を毅然と主張するなどということが可能だろうか。 「三審制度」を辞書で引くと「裁判の慎重を期するため、訴訟当事者に、同一事件で異なる階級の裁判所の審理・裁判を3回与える制度」と書いてある。重要なのは、プロの裁判官が下した判決でも「慎重を期すため」3回の裁判を経て確定するということである。しかも、審理を重ねるごとに、判決が覆ることは珍しいことではない。また、原判決を破棄して「差戻し」などというのも多々あることだ。 裁判員裁判では、「死刑」という耐えがたい精神的な重圧を受けながら、散々検討し尽くされた証拠を見せられ、何が何でもその場で判断を迫られる。そして下した判決はほぼ最終判決として確定する。これで日本の裁判制度は事実上「一審制」になったと言える。これは本当に正しい判決を下したと言えるのか。しかも、その判決が判例として、他の裁判に多大な影響を与えるとすれば更に問題は大きい。 |
2011/03/31 東京高裁が、裁判員判決を覆し実刑 | ||||||
“覚せい剤取締法違反”の裁判員裁判“初の全面無罪”となった控訴審で、東京高裁は一審を破棄、懲役10年罰金600万円を言い渡した。裁判長は「一審判決は証拠の評価を誤り、事実を誤認した。缶に覚せい剤が隠されていると認識しながら日本に持ち込んだと認めるのが相当」とした。控訴審では、証拠は一審とほぼ同じで、その評価が焦点となっていた。有罪と認定した理由の主なものは次の3点である。
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2012/03/04 最高裁が裁判員裁判の無罪を支持 |
先月13日、上記の「覚せい剤取締法違反」上告審で、最高裁が逆転有罪の二審を見直し「裁判員裁判の一審尊重」の判断を示した。「明らかに不合理でなければ一審判決を尊重すべきで、裁判員制度の導入後はよりその必要がある」との判断である。最高裁は「バッグ内のチョコレート缶に覚せい剤が入っていたことを知らなかった」という被告の説明について、「明らかに不合理だとはいえない」とした。つまり二審は一審の誤りを充分示せてなかったということである。 映画「ドラゴンタトゥーの女」で、ジャーナリストのミカエルは、悪徳業者ヴェネストラムとの名誉棄損事件に敗訴するが、ヴェネストラムの実態を知るヘンリックはミカエルに「君の調査は正しい。証明出来なかっただけだ」と言う。つまり今回の二審もこういうことだろうと思う。 上記とは全く別の「覚せい剤取締法違反」事件だが、3月2日の控訴審で大阪高裁は、一審の裁判員裁判で下した無罪判決を破棄して差し戻した。高裁の判断は「客観証拠の通話記録から被告の関与は強く推認でき、一審の事実誤認は明らか。多くは密輸に関する通話と強く推認でき、信用性は高い」と指摘した。 いづれの裁判も一審と二審の判断は180度違っている。「一審の事実誤認は明らか」という部分が重要である。つまりここに三審制の意義がある。どういう審理にしろ、違う目を通して、限りなく真実を追及することが本来あるべき姿である。一審の裁判員裁判を尊重しつつも、控訴、上告で十分審理してほしい。 |