地 図 | レトロ鉄道地図 | 随筆のページへ トップページへ FileNo.080917 |
先日、九州国立博物館に行った。4Fの文化交流展示室を観て廻るうち「伊能図」に目がとまった。その地図は九州沿海図といい、まだ筑前・筑後・肥前が未測量のため空白になっている。伊能図とは、もちろん伊能忠敬が制作した地図である。近くにいた博物館のボランティアの人にこの地図について聞いてみた。何でも聞いてみるものだ。詳しく説明してくれたうえ、ファイルしてあった資料も参考になるだろうと見せてくれた。どういう背景で伊能忠敬が幕府直轄事業の日本図の制作を命じられたか、どういう経緯で伊能図が発見されたか、展示してある図がどのように制作されたかなどなど、一気に伊能図に詳しくなった。幕府に献上した伊能図の正本は焼失しているが、展示してあるのは伊能忠敬やその弟子によって制作された本物で、正本の姿を正しく伝える貴重なものだという。同じ展示物を観るのも、ボランティアの人から得た知識をもって、その歴史や価値の“重さ”を感じながら観るのでは、全く違ったものになる。それは即ち博物館自体の価値を更にあげる事にもなる。
地図といえば、数ヶ月前、はかた部ランド協議会発行の「博多今昔地図」というのを福岡市役所でもらった。県立図書館や、住吉神社、九州大学などから資料提供された古地図6枚が掲載されている。これに元寇防塁から太閤町割り、福岡城築城、明治時代の博多など鎌倉時代以降の歴史が簡潔にわかりやすく書かれている。鎌倉時代の地図を見ると、冷泉津や草香江が大きく入り込んで、現在の福岡城のあたりが半島のように突き出ている。中山平次郎教授(1871〜1956)は、遣新羅使が鴻瀘館(こうろかん=中国や新羅の使節がきたときに留まる迎賓館で、遣唐使や遣新羅使なども出発時にここを利用した)にいたときに詠んだ万葉歌から、鴻瀘館はここにあったとした。その歌とは「志賀の浦に漁火する海人家びとの待ち恋うらむに明かし釣る魚」「神さぶる荒津の崎に寄する波間なくや妹に恋渡りなむ」など三首である。ここから見ると確かに、荒津(西公園)や志賀島がよく見えただろう。
先月「鉄道地図帳」を買った。それにはJR全駅と主要私鉄の路線図が収録されている。それに付録で「昭和23年・レトロ鉄道地図帳」というのも付いている。本編の方の「かっこいい!!イケメン特急」というページには、JR九州から「885系白いソニック」「883系ソニック」「885系白いかもめ」「キハ72系ゆふいんの森」「新幹線800系つばめ」と5本も載っている。見開き一頁の中でのことだから、いかにJR九州の特急のデザインが優れているか、私の欲目ではなかった。半年ほど前「15時間九州一周JRの旅」をしたが、この鉄道地図をみていると、前回乗っていない、久大本線と豊肥本線に改めて乗ってみたくなった。くやしいがこの雑誌のタイトルの“もっと旅に出たくなる”にまんまとはまってしまいそうだ。博多−(鹿児島本線)−久留米−(久大本線)−大分−(豊肥本線)−熊本−(フェリー)−島原−(島原鉄道)−諫早−(長崎本線・鹿児島本線)−博多 というコースはどうだろう。題して「15時間北部九州一周」。なかなかよさそうだ。
最近の車にはほとんどカーナビがついている。私の車のは12年も前の古いものなので走っていると、時々カーナビのくせに道なき道をさ迷っている。しかし、最初にカーナビでドライブしたときは感動だった。全く知らない街を「次の交差点を右」とか「左」とか案内されるままに走っていると、突然目の前に目的の建物が魔法のごとく現われたのだ。伊能忠敬から200年足らずの間に、地図の形態も随分変わってきた。人工衛星や飛行機からハイテクを駆使して詳細な地図がつくられるようになった。デジタル化され、カーナビはもとより、最近ではインターネットで自由に見ることができるようになった。日本列島は年間数センチ移動しているということまでわかるという。その現在の技術を駆使して測った子午線1度の長さが約111km。ところが、伊能忠敬が測量した1度の長さは28里2分、約110.85kmというから驚きである。幕府がそのすぐれた測量技術を高く評価したのもうなずける。
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ニューヨーク・マンハッタン島の映画地図 | ||
大事にしている古い地図で「徹底的映画地図」というのを持っている。これは「季刊・映画宝庫」という雑誌の付録だったもので、マンハッタン島の地図に、映画の撮影場所が記載されているものだ。書き込まれている内容を見ていくと、「新作のパニック映画“メテオ”(1978年)は地下鉄Fulton駅が泥に埋まってしまう」と書いてある。丁度30年前のものということになる。
さて私が地図を片手にニューヨークの街をもし歩くとしたらこんな風だろう。まずはセントラルパークからバッテリーパークまで映画のロケ地など感じながら、オーソドックスに歩いてみる。アメリカ自然史博物館〜リンカーンセンター〜カーネギーホール〜5番街〜ティファニー〜近代美術館〜ロックフェラーセンター〜エンパイアステートビル、さらに南下、ワシントンスクエア〜グランドゼロ〜ウォール街〜バッテリーパークではどうだろう。一通り歩いたら、ニューヨークの街そのものを楽しみたい。まずはやはりタイムズスクエアだろう。できれば昼と夜の雰囲気を両方楽しみたい。グランドセントラル駅の鉄道や駅の喧騒。天気がよければ、屋台のファーストフードを買って、ユニオンスクエアでゆっくり食べるのもいい。ブロードウェイのミュージカル、スウィートベイジルやブルーノートでジャズも楽しみたい。そうだ、ヤンキースタジアムにも行かなくては。 |
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右のアルバムは、アートブレーキーとジャズメッセンジャーズが1985年スウィートベイジルで録音したライブ盤「LIVE AT SWEET BASIL」だ。アルバム裏には 「recorded March 24 1985 at SweetBasil.greenwich Village.N.Y.」 と書いてある。(tp)テレンス・ブランチャード(as)ドナルド・ハリソン時代のものである。中の説明の中にスウィートベイジルの様子がこう書いてある。 「・・・ニューヨークで最もホットなクラブのひとつ、スウィートベイジルの演奏ルームから届けられた。グリニッチ・ビレッジの中心部にあるスウィートベイジルは典型的なジャズクラブだ。ドアを開けると右手にバーがあり、演奏ルームは左手のコーナーの多少正方形がかった場所に押し込まれており至る所にテーブルとイスが置かれている。ベイジルにはリスナーを常に音楽の真ん中に入れるという親切な配慮がある。・・・」 |
伊能忠敬:測量日記 |
半年ほど前「唐津街道・前原宿」のウォーキングツアーに参加したあと、いろいろ調べたとき、伊能忠敬が前原を測量したときの日記があるのを知った。そのときノートしたのを下記してみる。
「また(志)印より街道順測、二十町ばかり高須山あり、原田種信より世々居城、潤村、潤川幅九間、川上雷山へ二里半、川下り泉川へ落合。浦志村、前原村、前原駅次(志)印より二十町三十間、それより前原宿へ一町、止宿昼休みも同じ。この夜晴天測る。・・・・」 |
はかた部ランド協議会 2008年3月作成 |
学習研究社 2008年8月8日発行 |
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