「奴国!」(とびうめ国文祭)
国民文化祭・ふくおか2004
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FileNo.041106

「とびうめ国文祭」も佳境にはいっている。先週の伊都国に続いて、春日市では「邪馬台国の時代“奴国!”」が開催された。当日ふれあい文化センターでは「文化祭」も開催されていて、天候にも恵まれ賑わった。タイトルが「奴国!」となっていて、この「!」マークがなにを意味するのか。パネルディスカッションでは、「!」マークの席が設けられ、それぞれのテーマに詳しい人に上がってもらい、ディスカッションを盛り上げるといった趣向も用意されていた。だが私は、輝かしい歴史に裏付けられた春日市の「活力」と解釈したがどうだろう。

私が、昭和40年代の中ごろ、結婚して最初に居を構えたのが、春日町須玖(当時はまだ市にはなってなかった)だった。ここの、須玖遺跡群からは140点にも及ぶ石製鋳型や800点を越す真土製中子などが出土にしている。「異次元からの制御3」で私は、思い出の地をめぐる話を書いたが、まさにこの地もそうである。須玖をはじめとして春日市は、青銅器やガラス、鉄器の一大産業拠点であった。ひょっとすると私のDNAには、官営工房の血が刻み込まれているのかもしれない。

弥生時代終末ころ「奴国!」は、それまでの須玖・岡本から比恵・那珂地区に移転した。都市計画によって、まず中央に道を通し、それを中心に大宅地造成をしたのである。この道路は「都市」の成立示す物証であるという。倭国あい乱れるなか、政治的な面は「伊都国」にまかせて、「奴国!」は大陸との交易で、首長の欲しがる青銅器やガラス器を供給したのである。比恵・那珂を拠点に交易に特化し、国の生きる道をそこに見出したのだろう。近隣との争いを避け、柔軟な対応と商才の血は、永々と受け継がれ、博多商人の今につながっているのではないだろうか。

「奴国!」といえば、何と言っても「漢委奴國王」と刻まれた金印である。後漢書に建武中元2年(AD57)、倭の奴国が朝貢し、光武帝より印綬(金印)をもらったとしるされている。福岡市の博物館に行けば、その金印を見ることが出来るし、発見された志賀島には「金印公園」もある。金印に刻まれた「漢委奴國王」は、すなわち後漢の王から「クニ」として認められたことを意味する。数世代前の須玖岡本遺跡の王も「クニ」として外交を行っていたようなので、「奴国!」は、後の統一国家「邪馬台国」より遥か昔に、大陸が認めた「クニ」を成立させていたのである。

春日市は見渡す限り住宅街である。それも九州でも上位にランクされるほどの密集地であるという。そんな環境にあっても、春日市の文化財課の人は「金印をもらった王墓が、必ずどこかにあるはず」と発掘の意気込みを語っておられた。パネリストの一人から「飛行機から春日市を眺めると、よくここで発掘をされていると思う」というような話も出ていた。本当に発見されれば、これはすごいことである。夢をもって仕事に取り組まれている様子が伺われ、そこに「!」を見た。

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