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桜(2023年春) ♪〜富士は日本一の山〜♪
時間について 伊都国を支えた邑々展

[2023/03/29]
 桜(2023年春)

♪〜さくら さくら やよいの空は 見わたす限り

 かすみか雲か 匂いぞ出る いざやいざや 見にゆかん〜♪

♪〜さくら さくら 野山も里も 見わたす限り

かすみか雲か 朝日ににおう さくらさくら 花ざかり〜♪

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[2023/03/25]
♪〜富士は日本一の山〜♪

♪〜あたまを雲の上に出し 四方の山を見下ろして

かみなりさまを下に聞く 富士は日本一の山〜♪

♪〜青空高くそびえたち からだに雪の着物着て

かすみのすそを遠くひく 富士は日本一の山〜♪

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[2023/03/15]
時間について

NHKのテレビ番組「ヒューマニエンスQ」で「時間〜今を刻む神秘のリズム」を放送していた。まず「体内時計」とはどうものか。我々の体の内側に流れる“もう一つの時間”、つまり細胞が生み出す時間である。臓器ごとに時計があり、それが細胞ごとにバラバラに動いては、正常な生活が維持できない。そこでこれらをコントロールする「中枢時計」というのがある。ここが神経やホルモンを通して臓器それぞれに伝えて協調させているという。次に「“今”とは何か」。過去から現在を経て未来へ流れる時間。ヒトは「今」を中心に、過去にも未来にも巾を広げていった。番組では、過去の経験に基づいて未来を予測し、希望を持つことができる。「今」という時間、「ここ」という場所を認識できてこそ認知能力は働く。ヒトの心を支えている「今」という時間こそ、意識そのものであり、心そのものだとしていた。

 

先日、福岡県の公立高校の入試が行われた。その問題が新聞に掲載されたが、「国語」の問題の第一問が「時間」をテーマにした山極寿氏著の作品だった。それによると、出会った多くの景色や人々は、記憶の中で「時間」の経過と共に並び、出発点と終着点を結ぶ物語となる。この時間が紡ぎ出す記憶は、カネに換算することはできない。カネはその持続性や普遍性は、危うい約束事や予測の上に成り立っている。大切なのは、人々の記憶によって紡がれる「信頼」である。それは人々の間に生じる優しい記憶によって育てられ維持される。この人々の「信頼」で作られるネットワークが「社会資本」である。その社会資本の元手となっているのが、人々のために費やした社会的な時間だとしている。急激に情報化され経済優先の社会から、「生きた時間」を取り戻すのは、視覚や接触によるコミュニケーションである。つまり相手と顔を合わせて話し合うことである。

 

ドイツの哲学者・ハイデッガーは、「人間は“時間”の流れの中にある」と言った。彼は、「事物存在」「道具存在」とは分けて特に人間を「現存在」とした。現存在は、過去・現在・未来という時間の流れの中に存在している。NHKの番組では、ヒトは過去の経験に基づいて未来を予測し、希望を持つことができると言っていたが、ハイデッガーもまた現存在は、時間の流れの中で、未来の可能性を見出そうとしながら現在を生きていると言っている。これを「実存的生き方」という。人間は、常に次の生き方を選択しながら生きているが、大抵は安易な方を選択しがちである。それをハイデッガーは「たい落」と呼ぶ。未来の可能性を目指して生きるはずの現存在が、大抵平々凡々と生きている。ハイデッガーはそれを「事物存在」や「道具存在」と変わらないのだと言う。彼は、生きる目標を与えるのは、死に向かって自由であることだとしている。

 

“時間”には過去と未来がある。それを区切っているのが“今”である。“今”は過去と未来を分ける“瞬間”である。巾の無い瞬間には経過というものが無い。従って“今”には“時間”が存在しないとも言える。過去は過ぎ去ってしまっている。未来はまだ到来していない。存在しているのは“今”という“瞬間”だけである。我々はその瞬間のみに存在している。ところが我々は、過去の懐かしい思い出を宝物のような大事にしている。テレビ番組「こころ旅」(NHK)で寄せられる便りを見ればそれが良く分かる。一方、未来へ向けては、日々自分を高め、未完成ながらも人生の到着点である“死”を迎える。時間は、地球の自転や公転、月の満ち欠けといった自然に基づく客観的な時間とは別に、人それぞれの心の中にかけがえの無い“時間”が存在している。
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[2023/03/08]
伊都国を支えた邑々展(伊都国歴史博物館)

伊都国歴史博物館で、企画展「伊都国を支えた邑々(むらむら)」開催されている。この企画展は、弥生時代早期からの集落を時系列にたどって、当時の伊都国の人々の様相を探ろうというものである。伊都国は大陸に近く、井牟田遺跡や御床松原遺跡などの良港もある。地勢的に大陸との交流は早くから行われていた。弥生時代早期に、稲作が伝わり、弥生時代が始まる。早期の稲作文化は、糸島では「石崎曲り田」の集落が知られる。農耕社会が発展すると共に、海浜に面した集落は漁労で、あるいは半農半漁で、全体として生活が豊かになっていく。生活の基盤がしっかりして1千余戸を有する大きなクニへと成長していった。それと同時に、弥生時代は身分の格差が生まれた時代でもある。外交の窓口として栄えた伊都国には魏志倭人伝に「世々王あり」と記されるように、クニが成立し、王が誕生する。

 

糸島の稲作は「石崎 曲り田」で始まった。弥生時代早期、30軒もの竪穴式住居跡が確認されている。その中の保存状況がよかった一つが今復元されている。この竪穴式住居の中には深さ1mほどの貯蔵穴もあったという。その後、ここを中心に稲作は周辺へと広がっていく。石崎丘陵からは、縄文時代の打製石器に加え、大陸からの石器、稲の収穫に使う磨製石包丁、磨製石鏃、磨製石剣、あるいは甕や壺といった土器類などの出土し、大陸との交流が伺われる。石崎丘陵はこの平野の中央にあり、深江や一貴山までも含め中心的な存在であった。弥生時代後期の広型銅矛の鋳型が出土し、伊都国の青銅器鋳造もしていた。石崎丘陵は、立地条件がよく拠点集落として、弥生時代早期から奈良・平安時代まで続く。大規模な官営施設もあり、大量の輸入陶器なども出土している。

 

糸島平野西部、多久川流域の中心的集落・上鑵子(じょうかんす)遺跡は、伊都国の中でも有力な集落の一つである。この集落傍の谷底からは農耕具、漁労具などの土器、木器、石器が大量に出土している。弥生時代中期後半から後期の遺物だという。それは農耕具、漁労具のほか、運搬具や食器など伊都国時代の暮らしを知ることができる貴重なものであった。パネルには、弥生時代の組み合わせ式ヤスは現状を保った国内唯一の資料だと書かれていた。伊都国の東端しに位置し、今津湾に面した集落に「今宿五郎江」遺跡がある。弥生時代後期後半から終末期の遺跡である。ここも半農半漁で、漁労のかたわら米作りにも力を入れていた。農漁具、生活用具など大量に出土したが、水分の多い泥の中にあったため保存状態が良かった。出土した木器は非常に技術の高い物だったようだ。

 

企画展のパネルには、弥生中期〜後期の集落モデルとしての農耕集落、漁労集落が図示されていた。それをみると「イト地域」は上鑵子や今宿五郎江にみるように半農半漁が多い。農耕専門は飯氏と飯原くらいで、あとは漁業もしくは半農半漁になっている。それはより豊かな食生活のためであったと考えたい。以前、志摩歴史資料館で「糸島ではじまったわが国の米づくり」という食文化をテーマにした企画展が開催された。その時のパネルにこう書いてあった。『伊都国のようなクニが形成された背景には、糸島にたくさんの人を養えるだけの米を生産できる高い技術と生産基盤があったからだと考えられます』。糸島は米つくりが列島では最初に始まり、豊かな平野はそれを育てていった。後世の日本においては、神さまにお供えするする大切な食べ物となった。一方、前にはこれも豊かな海があり、高い技術と漁具で漁をした。伊都国の民は安定した生活が維持できたと思われる。


伊都国博物館・企画展

石崎丘陵(曲り田遺跡)

曲り田遺跡・復元住居跡
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