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安倍首相、凶弾に倒れる 第81回創元展(福岡)

[2022/07/12]
安倍首相、凶弾に倒れる

安倍元首相が、参院選応援演説中に銃撃され亡くなった。卑劣なテロ行為に、激しい怒りで、心が震えている。この事件は、海外でも緊急のトップニュースで報じられ、世界に衝撃が走った。安倍首相を失ったことは、日本はもとより全世界にとっても大きな損失である。犯人の動機は、単に被害妄想によるもののようで、思想信条などではないという。ごく個人的で一方的な恨みによって巨星が堕ちた。実に悔しい。安倍氏は、首相の座を退いてからも、自民党最大派閥・安倍派を率いて、政界に大きな影響力を与えてきた。安倍氏は、安全保障環境が厳しさを増す中、強力なリーダーシップで日本の進むべき進路を示してきた。安倍氏亡き後、我々は、その目指していた志を引き継ぎ、達成しなければならない。そこで改めて安倍氏が2006年に著した美しい国へ」(文春文庫)を読みなおした。

 

著書には随所に安倍氏の思想の基本が書かれている。

わたしにとって保守というのは、イデオロギーではなく、日本および日本人について考える姿勢のことだと思うからだ。(26)

これが「保守」というもっとも基本となる理念である。この上に日本を愛する思想がある。

国とは統治機構としてのそれではない。悠久の歴史をもった日本という土地柄である。そこにはわたしたちの慣れ親しんだ自然があり、祖先があり、家族がいて、地域のコミュニティがある。その国を守るということは、自分の存在の基盤である家族を守ること、自分の存在の記録である地域の歴史を守ることにつながるのである。(96頁)

我々が、守るべきものは何か。国民の生命と財産、自由と人権、その基盤である美しい自然と歴史、文化である。

 

安倍氏は、外交においてその実力を遺憾なく発揮した。地球儀外交を展開し日本の世界における地位を高めたことは間違いない。今回、逝去に対する弔意が、世界各国から寄せられた。

トランプ大統領『アベシンゾウがどれだけ偉大な人物であり、リーダーであったかを知る人は少ないが、歴史が教えてくれる。彼は何より素晴らしい国・日本を愛し大切にした人物だった。非常に惜しまれる。彼のような人物は二度と現れないだろう』。

プーチン大統領『我々はシンゾウと定期的に接触を続け、彼の優れた人間性とプロフェッショナルな資質が十分発揮されていることを確認してきた。この素晴らしい人物の記憶は、彼を知るすべての人の心の中に永遠に残るだろう』。

この2例からだけでも、安倍氏が国と国との関係の前に、その人間性をもって良好な関係を構築していたことが伺われる。

 

 

安倍氏の政治にかける信念を、次のような記述に見ることができる。

私は政治家を見る時、こんな見方をしている。それは「闘う政治家」と「闘わない政治家」である。「闘う政治家」とは、ここ一番、国家のため、国民のためとあれば、批判を恐れず行動する政治家のことである。わたしは、つねに「闘う政治家」でありたいと願っている。(03頁)

この信念が一番分かったのが「安全保障法制」である。

政治家は実現したいと思う政策と実行力がすべてである。確たる信念に裏打ちされているなら、批判はもとより覚悟のうえだ。(40頁)

日米同盟を強固にしておくことが安全保障の基本である。日本を守るためなら、どんなに批判にさらされようと、びくともしなかった。

軍事同盟とは、一言で言えば、必要最小限の武力で自国の安全を確保しようとする知恵だ。集団的自衛権の行使を担保しておくことは、それによって、合理的な日本の防衛が可能になるばかりか、アジアの安定に寄与することになる。またそれは結果として、日本が武力行使をせずにすむことにもつながるのである。(133)

安倍氏が強い姿勢を貫いたことで、アメリカの信頼はより深くなり、日米同盟が強固になったのである。

 

今回の参院選で、憲法改正に前向きな勢力が、衆参両議院で3分の2以上を占めることとなった。まさに安倍氏の悲願である「憲法改正」へ素地ができたのである。

憲法前文の<平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意した>日本国民の安全と生存は、諸外国を信用してすべてを委ねよ、というわけである。(122)

憲法9条第二項には「交戦権は、これを認めない」という条文がある。これをどう解釈するか、半世紀にわたって、ほとんど神学論争にちかい議論が繰り返されてきた。明らかに甚大な被害が出るであろう状況は分かっていても、こちらに被害が生じてからしか、反撃ができないというのが、憲法解釈の答えなのだ。(133頁)

だが左翼・西日本新聞には「自由で平和で安全な日本を守るのは、米国でも国連でもなく、憲法だと私は信じている」といった投稿がいくつもみられる。左翼新聞に煽られ、あまりにも現実の認識に欠けた人が多い。力による現状変更を試みている中国にとって、日本の憲法は有り難い存在である。中国は大喜びである。このままいけば中華人民共和国・日本省になってもおかしくない。“憲法守って国滅ぶ”

戦後日本の枠組みは、憲法はもちろん、教育方針の根幹である教育基本法まで、占領時代につくられたものだった。連合軍の最初の意図は、日本が二度と列強として台頭することのないよう、その手足を縛ることにあった。自民党結党の精神のひとつに「自主憲法の制定」が謳われている・・・・まさに憲法の改正こそが「独立の回復」の象徴であり具体的な手立てだったのである。(28頁)

安倍氏のご逝去に深く哀悼の意を表します。我々は、安倍氏の思想を受け継ぎ、実現させていかなければならない。

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10年前の201210月、安倍新総裁誕生時に私はこのホームページにこう書いた。

「さて問題は「憲法改正」である。安倍総裁は改正する理由を三つ挙げた。(1)今の憲法は、当時のGHQ(進駐軍)の手によってつくられた憲法である(2)憲法が出来て60年以上経ち、時代にそぐわないものがある(3)自分たちの憲法だから、自分たちの手で書いていく。それによって真の独立を勝ち取ることができる。そもそも憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して・・・」は、日本の周辺で暴れまわる国をみれば、ありえない話である。憲法の解釈で、ちまちまと、つじつまを合わせるようなことはもう止めようではないか。外交の基本は「こん棒を持って静かに話し合う」である。自衛軍を持ち、自分の国を自分で守る普通の国になることで、どれだけ外交を支援することになるか計り知れない。それが日米同盟を強固なものにし、アジア・太平洋地域の安定につながる。そのためにはまずは96条の改正である。安倍新総裁には、何としてもこれをやってもらいたい」

 

またこれも10年前の201212月安倍新政権誕生で、このホームページに私はこう書いた。

「中国も、選挙選のさなか、相変わらずの領海侵犯である。しかもエスカレートして、今度はいよいよ領空侵犯までするという傍若無人ぶりである。領空侵犯には、空自のスクランブルで対応したが、こうしてだんだん侵食してくるのが中国である。新首相誕生を前にして、早速「靖国神社」「尖閣諸島」「憲法改正」について、脅しをかけてきている。新政権にしっかりした思想があるだけで、かなりの反応である。9条さえあれば平和は守れる、などという夢見る夢子では、国民の生命と財産は守れない。アメリカが銃を無くせないのは何故か。銃を禁止したら、善良な市民だけが銃の危険にさらされることになるからである。国民は、しっかりした国家観のある政党に、希望を託した。まずは弱体化した日米同盟を立て直し、強固な基盤を築き、その上に立って高度な外交が展開されることを期待したい。」
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[2022/07/01]
第81回創元展(福岡)



福岡県立美術館で開催されている美術展に行って来た。コロナの状況も落ち着きを見せ、過日は福岡空港に行き、今回は美術館へと、ウィルス対策は守りつつも、コロナ以前の日常へと向かっている。「第81回 創元展」は、国立新美術館(東京都・六本木)の展覧会を皮切りに、全国6都市を巡回している。今回、福岡県美で開催されていたのは「福岡巡回展」である。全国の会員、福岡支部の会員の方々の力作約100点を超える作品が並んでいた。展覧会は作家さんが、作品に想いを込め、観る人に伝える場である。その作品に込められたメッセージを鑑賞者は、受け取りそこから自由な発想で想いを広げる。アートに正解は無いと言われる。そこにこそアートの価値があり、アートとして成立するのである。この展覧会は嬉しいことに「無料」だった。これに甘えて、じっくり2回観て回った。

 

 

「時空の旅7」という大和純子さんの作品がある。女子学生が、線路の上を歩いている。歩いた後(過去)の枕木とレールは、奈落の底へ崩れ落ちていく。描かれた過去は、消滅し不可逆なもの「時間の反空間化」として描かれている。線路の先(未来)は、カーブしていて見通せない。しかし、この女子学生の将来を暗示するような、黒い不穏な雲が垂れこめている。作品は「時空の旅」と題されている。つまり時間を空間と同じように、未来に向かって果てしなく続く次元を超えたもの「時間の空間化」として描いたものと思う。「時間」を考えた時、我々は現在にしか存在しえない。女子学生が足を乗せている枕木だけが彼女を存在させているのである。過去の記憶、未来の期待も、現在という瞬間の中で存在している。

 

増田萬珠子さんの「時を刻む」も惹かれた作品だった。女性が一人描かれている。時間は不可逆なものであり、タイムリープはできない。女性は、かすかに目が描かれている程度で、表情は描かれていない。背景も白く塗られ具体的に描がかれたものはない。あえて描かないことで、この女性の中で「瞬間」という巾のない「今」が刻まれていることを浮かび上がらせている。我々を取り巻く環境を描いたものもある。山下清さんの作品「OMICRONからの脱出」である。キャンバス全体にコロナウィルスと思われるものが無数に描かれている。現代アート的な表現で、興味を引く作品であった。ところが作品の前に立つって、じっと観ていると、ふわッと人間の輪郭が浮かび上がってくる。その人物はタイトルどおり走っている。この人物の顔や胸、腹など象徴的なところにオミクロン株が描かれ、文字どおり脱出を試みていた。

 

宇野彰さんの作品「水の音が聞こえる」がいい。女性がゆったりソファーに身を委ねている。あたかも瞑想しているようでもある。タイトルに「水の音」とあるように、女性の周りには「水」が描かれている。つまり、女性が身を委ねているのは、「水」と思われる。生命の進化は、まさに水の中から始まった。生命は海の中で誕生して以来、大半の期間を海の中で過ごしてきた。我々を構成する元素は、海中に含まれる元素と共通している。生物の構成元素の70%は「水」である。水の中で浮遊しているかのような女性は、つまり「生命」そのものを描いているようにも思われる。全体から受ける落ち着いた色彩の印象もいい。私はいつも作品群の中で、自分の部屋に1枚だけ飾るとしたらという問いをする。今回は間違いなく「水の音が聞こえる」である。
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