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雑 感 (2022年01月) | 雑感(目次)へ 随筆のページへ トップページへ |
「ぺんてるエナージェル」と「リヒトのメモ帳」 | |
糸島:銚子塚古墳と釜塚古墳 | このホームページも23年目を迎えた |
「ぺんてるエナージェル」と「リヒトのメモ帳」 | ||||
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リヒトのメモ帳「hirakuno」 私はメモ帳を常に持ち歩いている。その分、頻繁な出し入れをすることになる。これまでリングメモを使っていたが、使い切らないうちにリング部分が壊れて、スムースな開閉ができなくなっていた。そこで見つけたのがこのリヒトのメモ帳「hirakuno」。リング部分がしっかりしていて、少々の激しい使用にも十分耐えられそうだ。しかし、このメモの本当のメリットが、リヒトのホームページにこう書いてあった。『メモ帳なのにリーフの交換が出来る!AQUA DROPsツイストリング・ノート(メモサイズ)』。使い始めてみると、開閉がスムースなのはもちろんだが、前のメモで引き続き必要な情報のかき写しが不要になったのは有り難い。長い付き合いになりそうだ。 |
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糸島:銚子塚古墳と釜塚古墳 | ||||||
過日、糸島市の伊都文化会館で「伊都国フォーラム」が開催された。「玄界灘を見据えた巨大古墳」と題して、「一貴山銚子塚古墳」と「釜塚古墳」に焦点をあて、古墳時代前期~中期の埋葬施設の変遷を辿るものだった。埋葬施設は、古墳の変化、地域性、階層的な差という三つの次元をよく表す古墳の構成要素だという。糸島は邪馬台国東遷後のヤマト政権においても、大陸との窓口として栄え、政治的にも文化的にも大きな影響力を持っていたと思われる。糸島に60基以上の前方後円墳があり、全国的にも高い密集度を誇るというのもそんな状況を示すものだ。中でも4世紀から5世紀初頭における「一貴山銚子塚古墳」と「釜塚古墳」は、その規模からも、糸島地方を代表する盟主的首長墓ということだった。糸島は古来より地勢的にも玄界灘の制海権を掌握するに重要な地として君臨していたのは必然であったろう。 | ||||||
一貴山銚子塚古墳の最も重要なことは、未盗掘だったということだ。つまり、埋葬時の状況を保った状態で出土したのである。発掘時の状況が示されたが、被葬者の頭部側に「後漢鏡」である「大型内行花文鏡」と「金メッキされた方格規矩四神鏡」が各1面置かれていた。仿製三角縁神獣鏡は側面に置かれており、明らかに頭部の「後漢鏡」2枚は、被葬者にとって重要であったことを示している。玉類では両手首を飾ったとみられる勾玉や管玉が、埋葬当時のままの位置で出土している。このことから被葬者は女性の可能性があるという。卑弥呼、台与からわずか半世紀。女性首長の記憶はまだ新しかったであろう。石室の武器などの埋葬位置を見ると、あたかも生前、女性首長を守っていた状況を再現しているようでもある。首長の前の露払いには鉄製武器を持った兵士、両側面の兵士たちは剣を持ち、後方には環頭太刀や槍を持った兵士たち従っていた。実にリアルである | ||||||
一貴山銚子塚古墳から約半世紀余り、長野川を挟んで銚子塚古墳が見える1.2kmの地に釜塚古墳は築かれている。解説では釜塚古墳は、築造当初から一貴山銚子塚古墳を強く意識した計画的な立地であったと考えられるとのことだった。いずれの首長も生前、強い権力で統治した玄界灘を見据えた場所に埋葬されたということだろう。釜塚古墳は、半地下式の墓道から石室にいたる横穴式石室で、この墓制は北部九州型横穴石室と呼ばれ、歴史的重要性があるという。この古墳の周濠から出土した「石見形木製品」という大型の木製品がある。古墳の葬送祭祀用具として使用されたもののようである。解説では古墳の周囲に廻らされた豪を渡る入口に立てられていた。「石見形木製品」は、近畿地方以外での出土はこの古墳だけで、被葬者の威信を表すものだという。いかに糸島において強い政治的な権力を有し、ヤマト政権とも強いつながりがあったことを示している。 | ||||||
昨年4月から5月にかけて伊都国歴史博物館で「伊覩縣(いとのあがた)の古墳」という企画展が開催された。そこでこんな解説がされていた。『「日本書紀」巻第八「仲哀天皇」の項には、筑紫に行幸した天皇夫妻を伊覩縣主が穴門(長門)の引島(彦島)で出迎えたことが記されています。古墳時代前期(3~4世紀)の出来事とされ、ここに登場する伊覩縣主は伊都国王の末裔とする説が有力です』。さらに解説はこう続く。『これが書かれた背景には、当時の糸島地方を治めた首長とヤマト王権との親密な交流を示唆するものと考えられ、当地に残る多くの古墳からもその一端を垣間見ることができます』。この展示に置いても、釜塚古墳の被葬者は、石見形木製品の出土などから、伊覩縣主の系譜上に載る首長であった可能性が高いとしていた。日本の公式の歴史書に、筑紫がヤマト政権との強いつながりが記されている。 | ||||||
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このホームページも23年目を迎えた |
2022年、コロナの第6波が懸念される中の幕開けとなった。それでも我が家は「七草がゆ」をいただき、11日には鏡開きを予定と、いつもと変わりない、平穏な新年の幕開けである。このホームページ(以下HP)も23年目に入った。改めて考えると、23年という年月は、私の人生のほぼ3分の1を占める。よく続いたものだと思う。文章を書くことに目覚めたきっかけは、消費生活アドバイザーの資格取得のために書いた小論文だった。相変わらずその感覚が抜けきれない拙い文章だが、誰に気を使うことも無く書き綴ったことが長続きした要因だと思う。特にこのHPは、人生を楽しむために“広く、浅く”をモットーにしてきた。恐らく深い知識を持つ人は、解釈の間違い、理解不足を指摘しているに違いない。だが所詮、片田舎に住む一市民の戯言(たわごと)である。 だが私の定年後の自由な人生において、このHPは随分役立ってくれた。このHPのどこかでハイデガーの思想を次のように書いたと思う。『現存在はたいてい未完成のうちに終わるし、終わることは、おのずと完成することを、必ずしも意味しない』。つまり、ヒトは生涯自分を高めることに努力するが、如何せんその途中で人生は終わる。当然それぞれの個性に合わせて方向性が違い、またレベルの差もあるだろうが、未完ながらもそのヒトの一番高い地点で一生を終えることになる。ヒトは生まれ出でた時、現世において果たすべき何らかの使命を背負っている。その使命が何であるか知る由もないが、目の前に現れたことを全力でこなしていけば、人生の終わりに振り返った時、おのずと現世の使命がおぼろげながら分かるだろう。つまり、そこへ向かうプロセスこそが大事なのである。 そこで現世おいては「ゼロバランス理論」が適用される(とはいっても私のごく個人的な考えにすぎないのだが・・・)。簡単に言うと人生のレベルは「前世」「後世」通じてゼロでバランスする。「現世」におけるレベルは決定しているが、「正のエネルギー」と「負のエネルギー」が微妙に交錯し「ゆらぎ」ながら、「無」の状態を保っている状態というものである。つまり「負のエネルギー」によって相応の「正のエネルギー」を生み出し、生まれ出でた時に設定されたレベルを維持していくというものである。私はこのことから貪欲に負のエネルギーを拾ってきた。そういう意味では、パラレルワールドへの分岐を阻止して、当初のワールド(生まれ出でたときの使命)をずっと維持してきたとも言える。 最近VRという最新の技術が、仮想空間を見せてくれている。VRは私が見ている現実と思っている世界全体がそうである。「正のエネルギー」によって作りだされた重力波で、五次元の重力理論を書きなおす。五次元の重力理論は、四次元の量子場に投影される。つまり私が見ている四次元の立体的な世界は「ホログラフィック理論」によるものである。「現実」とは、私の感覚器官が集めた情報を、脳が「現実」として捉え処理したものに他ならない。だとしてもそれを現実として認識している我々である。その中で生きて使命を達成しようと努力は決して無意味ではない。いずれ陽子崩壊で魂の行く場所が無くなり、宇宙の崩壊によって魂が終えんを迎えるまでは、宇宙の片隅に奇跡的に生きる知的生命体としてその存在は重い。 |
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