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約20日間で10ギガバイト減少 小池新党は都民への裏切り
異次元の遅れ 緊迫した脅威・中国
一番優秀なのは細胞 第73回福岡県美術展覧会
伊達公子選手・引退 ドラマ「植木等とのぼせもん」
石原裕次郎記念館閉館 JR筑肥線・103系・蔵出し画像

[2017/09/30]
約20日間で10ギガバイト減少

丁度一年前にも同じようにハードディスクの容量が連日「激減」しました。今回もハードディスク(:C)の容量が約20日間で10ギガバイト減少(45.8GB→35.5GB)しました。残りが35.5ギガになっています。

私のパソコンは、ハードディスクが(:C)と(:D)に分かれています。私は通常(:D)だけを使っていて、(:C)は全く使っていません。ちなみにこの20日間で(:D)を使ったのは、わずか0.2ギガです。

つまり全く使っていないHDD(:C)が激減している訳です。ご存じとは思いますが、10ギガバイトは1万メガバイトです。私のデジカメ写真に換算すると、写真約1万3千枚に相当します。

いずれにせよ残りの容量から考えて、予断を許さない状況です。容量減少だけでなく、あるいはアクセス不能など不測の事態になるかもしれません。一応、現状だけ報告しておきます。

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[2017/09/26]
小池新党は都民への裏切り
今回の衆議院選に、小池東京都知事が、急きょ自らを党首として新党を立ち上げた。それまでメンバーが発進していたものをリセットし「私自身が立ち上げ、小池が先頭を切ってやる」のだという。小池氏の下に集まっていた人たちを信頼せず一蹴したのだ。「小池の、小池による、小池のための政党」という声も聞こえてくる。“都民ファースト”は口先だけ。

新党の政策を見たが、全く新鮮味のない文言が並ぶ。これならネットを検索して適当につなぎ合わせたら誰でもできる。しかもどれも中途半端で、確たる政策が見えない。これが「私が先頭を切って・・・」と言った人の考えか?国政を取りに行く政党とは思えない。我々もバカにされたものだ。パンダの名前の発表の後に、新党立ち上げの会見を開いたようだが、まさに「客寄せパンダ」である。

新党の顔ぶれは、沈みかけた船を逃げ出して、何とか延命を図ろうという人たちの集まりである。小池氏自身がこれまで、日本新党、新進党、自由党、保守党、自民党と転々としてきた首尾一貫しない人物である。当然、しっかりした党の理念、思想信条も見えない。また小池氏に国政進出の大義名分もない。日本維新の会は、大阪都構想実現のためという明確な柱があった。寄せ集めの烏合の衆に国政を任せられるわけがない。

日本維新の会の馬場幹事長が言っていた。「維新の会は即、大阪の府議会の議席を21議席減らし、府議の給与を3割カット、職員は退職者を補充しない形で減らした。まず改革は自分の身を切ってからだ」。小池都知事は、騒ぐだけ騒いで、一年経っても成し遂げたものは何一つない。豊洲の問題も、五輪の問題も、ほったらかして国政へ進出である。こんなに無責任なら、国政もすぐに放り出す。もしそうなれば、新党に投票した人を、これもまた裏切ることになる。

聞くところによると、都知事の仕事は24時間不眠、不休でやっても足りないくらいの激務だという。国政新党の党首と二足のわらじでやれる仕事ではない。“都民ファースト”が聞いて呆れる。都民もバカにされたものだ。私は何が嫌いって、スタンドプレーだけで、誠実さに欠ける奴ほど嫌いなものはない。そもそも人気があると言っても、公認候補になれずにむりやり都知事選に出馬したのが受けただけ。それで人気があるというのも理解できない。

[追伸]東京都議会の反応
都政を踏み台にして、他の狙いがあるかのような報道がなされていることは非常に残念」
東京への思いや愛情が感じられない。知事の思いがこの瞬間も別のところにあるのではないか」
「都政を強力に改革するとの初心に立ち返り、都民のために汗を流すことを強く希望する
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[2017/09/22]
異次元の遅れ

B787
私は4年ほど前、ルビコンによる開発遅れを次のように書いた。
私のこのHPがルビコンのターゲットになっている。飛行機分野にもそれは見られる。「ボーイング787」「次期主力戦闘機F-35」の開発遅れの問題も間違いない。「F-35」は、2017年3月までに4機受け取ることになるようだが、問題は搭載されているソフトが、至近距離の空中戦ができない「ブロック3i型」であることだ。中国が、最新鋭のステルス機の開発と配備を急ぐ中、日本はF-4EJ改を何とか生き延びさせている状態である。F35は機体の亀裂やソフトウエアの不具合がたびたび発生し、量産開始と実戦配備は不透明な状況にある。一方B-787も、設計ミスなどにより、当初2008年だった納入予定が3年以上遅れた。しかも、最近になって相次ぐトラブルである。

開発遅れはこれだけにとどまらない。国産初のジェット旅客機「三菱リージョナルジェット(MRJ)」もまた同じである。民間旅客機製造事業を基幹産業のひとつにしようと、国交省も後押しする「夢の日の丸ジェット」である。B787は、ANAがローンチカスタマーとして50機発注したのが開発の始まりだった。このMRJもまたANAから25機を受注し事業化に踏み切った経緯がある。ルビコンが動き出すには十分な経緯である。当初2013年の予定が、5回もの延期を経て、やっと2020年に納入予定である。

九州新幹線西九州ルートに導入するために開発していた「フリーゲージトレイン(FGT=軌間可変電車)」もまた開発が遅れている。車両の不具合が解決できず、導入時期のめどすら示せない。FGTの開発は今後も継続されるとはいえ、JR九州は、安全性と経済的な面から導入は困難との考えである。22年度には武雄温泉−長崎間で新幹線が暫定開業予定である。JR九州も長崎県も、フル規格新幹線へ傾いているが、膨大な費用負担が、あまりメリットのない佐賀県にもかかってくるのが問題である。そもそも私が2008年に「フリーゲージトレインの開発は、かなり苦労しているようだ。時間に余裕があるので問題ないとは思うが・・・」と書いたことがルビコンを刺激した。

F35

MRJ

FGT
ソフトバンク・ホークスが、90勝で2位を大きく引き離してリーグ優勝を果たした。あまりに調子が良すぎて心配していたが、その心配は現実になりそうだ。柳田とモイネロの離脱にルビコンの影が見える。CSに暗雲である。頼むから楽天が日本シリーズ出場なんて止めてくれ。
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[2017/09/19]
緊迫した脅威・中国

日本を取り巻く安全保障環境は一層厳しさを増している。そんな中、平成29年版の「防衛白書」が刊行された。白書では、北朝鮮の核・ミサイル開発の脅威と共に、中国についても「中国は既存の国際秩序とは相いれない独自の主張に基づき、自らの一方的な主張を妥協なく実現しようとする姿勢を継続的に示しており・・・」と強い懸念を示している。白書はわが国の主権と独立を維持し、平和を守るための柱として (1)わが国自身の努力(2)日米同盟の強化(3)安全保障協力の積極的な推進・・・の三点をあげている。

白書は、防衛省、自衛隊は、わが国の平和と独立を守るという国家存立にとって最も重要な役割を、強い責任感をもってひたむきに遂行していると書いている。私は8月の日米2プラス2後こんなことを書いた。「共同文書には『米国の核戦力を含むあらゆる種類の能力を通じた、日本の安全に対する同盟のコミットメント(責任履行)を再確認』とある。とは言え、あくまでも日本を防衛する基本的な責任は日本にある。米は日本の防衛に寄与するというのが安保条約の基本概念である。現在、日本は単独で自国を守れない。自衛隊の役割を拡大し、防衛力の強化を積極的に進めなければならない」。

防衛力の強化については、特に中国の一方的な動きを念頭に、整備が進められている。与那国島の「レーダー部隊」の配備、石垣島、宮古島、奄美大島への「対艦ミサイル部隊」の配備。陸上総隊創設により8000人規模の「水陸機動団」の佐世保への新設。水陸機動団の隊員や装備輸送のための、ヘリ搭載型護衛艦「いせ」の佐世保配備。あるいは尖閣諸島有事にあっては、必須となるオスプレイの導入などである。一方、米軍も岩国基地に最新鋭ステルス戦闘機F-35や空中給油機KC130など集結させ、所属機120機を抱える極東最大級の米軍拠点となる。

ところが中国の国防費は25年にわたり増加、はじめて1兆元台になった。「海洋強国」を掲げ、初の国産空母を建造、続いて建造中の3隻目の空母には「カタパルト」の搭載も可能だという。航空戦力の近代化も進んでおり、第4世代の戦闘機の充実とともに、次世代戦闘機J-20の試験配備も始まっている。さらに新型潜水艦の増強、ステルス戦略爆撃機「H20」の試験飛行は年内の見通しだという。新型ICBMの開発、巡航ミサイルを搭載可能なH-6爆撃機の保有、究極は極超音速滑空兵器の開発である。これはMD防衛網突破可能な打撃力があり、この開発も急速に進んでいるという。

中国は強力な軍事力を背景に、南シナ海では「一定の主導権を獲得した。周辺国が軍事的に挑発してくる可能性は少なくなった」と、領有権を主張する国々との"力比べ"で勝負はついたと事実上の勝利宣言である。中国の学校では「尖閣は不可分の領土」と書かれた新教科書の使用が始まっている。中国国内向けのテレビでは「日本国海上保安庁巡視船に告ぐ。わが国の管轄領域に侵入した。わが国の法律法規を順守すべきだ」と放映しているという。中国にとって尖閣諸島はすでに自国の領土なのだ。南シナ海を制圧した次のターゲットは尖閣諸島である。中国は沖縄本島も視野に、必ず取りに来る。

昨年の中国機に対する自衛隊機のスクランブル発進は過去最多の851回に及んだ。尖閣諸島への侵入は常態化している。にもかかわらず領空侵犯している中国が、自衛隊の戦闘機が中国機に対して挑発を行ったと発表したという。白書では中国軍が日本海への進出を活発化させる可能性があるとしている。紀伊半島沖を中国のH6爆撃機が飛行し、宗谷海峡や津軽海峡などの通過も定期的に実施している。。傍若無人の中国は日本周辺全体で活動を活発化させている。もし日本が中華人民共和国・日本省になれば、チベット自治区や新疆ウイグル自治区に見られるように、日本人の人権など無くなり地獄と化す。

日本が今、単独で防衛しようとすれば、確実に財政が破たんする。米軍の軍事的優位性が微妙になりつつあっても、日本の防衛は日米安保が基軸であり、これを強固にすることが中国への抑止力となる。有事を念頭に平時から日米の信頼関係を築いておくことが重要である。そのひとつが集団的自衛権である。先日、日本海に展開するアメリカのイージス艦に、自衛隊が洋上給油を実施した。これは軍事情報のため公表されなかったが、左翼・西日本新聞は、国民が正しい判断ができず、国民のリスクが増してしまうと書いていた。米イージス艦に今から給油に行きますと公表すればリスクが少なくなるらしい。そんなバカな!!
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[2017/09/17]
一番優秀なのは細胞
福岡県美術展覧会の作品の中に「生命を繋ぐ」という日比野桂子さんの作品があった。福岡県美術協会賞を受賞した作品である。全体はハートが少し変形したような形をしている。これはタイトルからのイメージで、私としては生命の基本である細胞としたい。この中には精子らしきものも描かれている。この細胞の所々に破れや亀裂がある。恐らく長い生命の歴史の中で起きた絶滅の危機や突然変異を表しているように思えた。

海で生まれた生命は、40億年をかけ、植物や動物といったあらゆる生命に進化してきた。それぞれの生命は、生き残るための術を、進化の中で手に入れ、真核生物はそれを細胞の中の核に保存し受け継いできた。精子と卵子の出会いで受精し、それぞれの親からの遺伝子が1個の受精卵に受け継がれる。自己複製をすることも生命の要件の一つである。その1個の細胞が細胞分裂により60兆に増殖し、多様な個性が生まれるのである。

先日のテレビ番組で「ディープオーシャン〜地球最深部への挑戦」というのを放映していた。マリアナ海溝の水深1万メートルの超深海を探査し生命が存在するかを検証するものだった。指先ほどの面積に1トンもの水圧がかかる超深海では「タンパク質」が押しつぶされ機能を失うという。ところがナマコの仲間やエビの仲間が生息していた。これらは「シロイノシトール」という物質がタンパク質の間にくさびのように割り込み水圧に耐えているのだという。

細胞の生き残り戦術は、過酷な環境に適応し多彩である。近年バイオミメティクス(生物模倣)という研究が進んでいる。生物の持つ優れた特性を科学的に解明し利用していこうというものである。たとえばハスの葉をヒントにした超撥水性などである。人間が及びもつかないすごい能力をもった植物や昆虫がいる。今や人間の技術では作り出せない動物の能力を、そのまま使おうという、生物と機械の融合という発想まで出てきている。

擬態によって天敵から身を守り、密林の奥でひっそり生きている蝶も、巨大な脳を手に入れ科学を発達させた人間も、細胞レベルでみれば優劣はない。あの見事な擬態は細胞のなせる技である。ところが人間はゲノム編集などと、DNA配列を切ったり貼ったりし始めている。それは“種”ではなく“個”の立場で考える人間の"おごり"といえる。優秀なのは人間ではなく細胞であることを自覚しなければならない。
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[2017/09/16]
第73回福岡県美術展覧会

第73回福岡県美術展覧会が開催されている。7部門の入賞作品が9月5日から10月1日まで4期に分けて展示される(1期「書」、2期「洋画」、3期「日本画、彫刻、デザイン」、4期「工芸、写真」)。毎年3000点以上の応募があるという。芸術の才能に秀でた人がこんなにも多い。県のHPには、全国的にもレベルの高い公募展だと書いてある。

洋画部門の中に糸島市在住の作家さん梅田仲子さんの「毎日が日曜日」という作品があった。企業間競争を戦ってきた戦士が、悠々自適の第2の人生を楽しんでいる風である。ハイバックチェアーに身を委ね、気持ちよさそうに居眠りしている。手には読みかけの本とペンとめがね。窓の外には緑。静かなゆったりした時間が過ぎている。この絵が私に向かって「お前はまだこの境地に達していない」と言っているかのようだ。

林陽子さんの「記憶のなかの風景 T」は、県美術協会賞受賞作品である。遠い昔の田舎の集落のたたずまいを描いている。曲がった細い路地、古びた家並み、家庭菜園でもしてそうな小さな庭。つつましやかに生きる人たちの姿が目に浮かぶ。郷愁を誘う絵の雰囲気にしばしたたずんだ。隣で観ていた年配の女性が思わず「あゝ、こうだったよね〜」と昔の記憶に想いを馳せていた

1期の「書」の部門で県知事賞を受賞した作品が展示してあった。兵頭真佐子さんの「ベレーの詩」という作品である。私は「書」をひとつの絵画のように鑑賞している。線の美しさ、漢字とかなの絶妙なバランス、墨の美しさと余白の美しさ、全体から受ける安定感。私は書を観る楽しさをそんなところに置いている。芸術すべてに言えることだが、作品に出合った時、観る人それぞれ受け取り方は違う。だが、そこから何らかの刺激を受け、心が活性化するのは間違いない。
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[2017/09/13]
伊達公子選手・引退
日本の女子テニス界において大きな功績を残した伊達公子選手が引退した。2008年に現役復帰して約9年、46歳の鍛えぬいた身体も悲鳴を上げた。しかし、最後の最後まで彼女らしいプレーに徹し、通算16年のプロ人生に別れを告げた。「12年のブランクがありながら、これだけ長くプレーできたことをうれしく思っている」と、完全燃焼したテニス人生に悔いはないようだ。

私は、今から17年前(2000年2月)、次のように書いた。
元女子テニスプレーヤーで「伊達公子」という選手がいる。私の個人的な評価においては、日本人としてアスリートの最高峰に位置している。彼女は、WTAランキング世界4位までのぼりつめた輝かしい実績を持ち、フェド杯で女王グラフを破り、ウィンブルドンでは準決勝進出。文字どおり世界のヒロインとなった。・・・・・「勝つ為に試合に集中したい」と記者会見を断って「生意気だ」と非難された。しかし私は、ここに彼女のプロ意識をみた。記者会見や取材はを拒否し、勝つことによってファンの期待に応えたいという考えは、プロとしての自分を見失っていない。

引退後について伊達選手は「少しずつ何ができるか、何がしたいのかを考えたい。ただテニス界とは何かしら関わりたい」と話したという。少なくとも、テレビ局の顔色を伺いながら、当たり障りのないコメントでへらへらするなど伊達選手には似合わない。彼女の不屈の闘志、テニスに向かうひたむきな姿勢は、必ずや後進の鏡となることだろう。
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[2017/09/11]
ドラマ「植木等とのぼせもん」


「サライ」2008/04/17号
ドラマ「植木等とのぼせもん」が放映中である。これはコメディアンの小松政夫さんが、あの昭和の大スター・植木等さんの付き人兼運転手として働いていた時の物語である。日本の高度経済成長期であった昭和30年代、エネルギーあふれる世相を背景に、植木さんと小松さんの温かい師弟関係が描かれる。ドラマを観ていると、今よりずっと心が豊かな時代だったように思う。

前回は小松さんの母親が心配して上京してくるが、小松さんは仕事に忙殺される植木さんを気遣って挨拶させずに追い返す。それを知った植木さんは、小松さんを本当の息子という思いで叱りつける。観ていてホロッときた。その師弟愛、父子愛は、当時を回顧する小松さんのこんな言葉に凝縮される。「怒られているんだけど、すごく温かかく、怒られたけど、本当にうれしかった」。

昭和30年代、テレビの時代が到来。その真っ只中で活躍したのがハナ肇とクレージーキャッツだ。植木等さんの底抜けの明るさ。ステージを縦横無尽に走り回るギャグやコントで笑いに包まれた。そんな笑いはメンバー全員ジャズミュージシャンとしてトップクラスの技量を持ち、植木等さんの正統派歌手としての歌唱力といったしっかりした音楽性によって生み出された。

『ぜにのないやつア俺んとこへこい、俺もないけど心配すんな、みろよ青い空白い雲、そのうちなんとかなるだろお〜♪』。植木等さんの歌唱力もさることながら、青島幸男さんの「歌詞」も常識を突きぬけた心地よさがあった。それは貧しくても、明日はきっと良くなるというエネルギーあふれる時代だったからこそである。

植木等さんは「日本一の無責任男」を演じても、温かい人間性がにじみ出る。小松さんは、植木さんを父親として敬い慕い、植木さんもまた厳しいけれど温かく小松さんを導く。その強い絆は、植木さんが亡くなった後も決して消えることはなかった。ドラマで描かれる時代は、私にとっても青春時代である。改めて実にいい時代を生きたと思う。 
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[2017/09/02]
石原裕次郎記念館・閉館 

石原裕次郎さんの愛用品などを展示していた「石原裕次郎記念館」が閉館になった。開館の翌年1992年には126万人の人が訪れ、その数は26年間で約2000万人にも及ぶという。閉館する8月31日は、開館前から数百人が並んだ。裕次郎さんへの熱い思いは、いまだ冷めやらずである

裕次郎さんは昭和30年代はじめ、当時の自由奔放な若者の象徴としてすい星のごとく現れた。スタッフとして映画製作現場にいた裕次郎さんだったが、プロデューサーはその人間的魅力を見逃さなかった。それまでの日活の路線を変えさせ、瞬く間に大衆が熱狂する映画の時代のヒーローとして君臨したのである。

私が初めて裕次郎さんの映画を観たのはまだ中学生のころだった。「風速四十米」のアクションシーンや立ち居振る舞い、股下90センチの格好よさは、少年の心を強烈に刺激した。それは役柄や物語とは次元の違う、人間・裕次郎さんの放つ輝きであったろう。それは亡くなって30年経った今もいささかも変わることはない。

私は裕次郎さんとエルビス・プレスリーに、どこか同じ匂いを感じている。プレスリーは、1956年(昭和31年)、「ハートブレークホテル」で全米1位となり、瞬く間に米国最大のロックスターとなった。それまでの古い考えやスタイルを破り、熱狂的に支持された。そして没後40年になる今も、そのカリスマ性は衰えを知らない。

裕次郎さんはピンチに陥った時代もある。そのとき自分の人生を省みず、全財産を投げ出し、裕次郎さんに差し出したのが渡哲也さんだった。渡さんをそこまで心酔させたのは、大スターだった裕次郎さんが、無名時代の渡さんに接した礼儀正しさ、心の広さであった。そして没後30年、軍団をまとめ、その気持ちを貫き通す渡さんは見事である。

「石原裕次郎記念館」は閉館したが、我らがヒーロー裕次郎さんへの思いは心の中から消えることはない。記念館に展示してあるゆかりの品々は、来年から全国で巡回展が企画されているという。ファン層の高齢化、行きたくても行けないファンへの気配りである。それこそ裕次郎さんの「思いやりと優しさ」を表しているように思える。
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[2017/09/01]
JR筑肥線・103系・蔵出し画像

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