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生存競争における縄張り
緊急事態条項を憲法へ 動物の母性本能とは

[2020/05/20]
生存競争における縄張り
前回、『ノドグロハチドリ』について書いた。このハチドリは、タカの“縄張り”を利用して命を繋いでいた。「縄張り」は、動物の生存に重要な役割を果たしている。それは生き延びるための危機管理の基本といえる。そこは身の安全を守り、食糧を確保し、次世代へ命を繋ぐ場所としての機能を持つ。先日テレビ番組「ブループラネット」(5/16・BS101)で『ガルバルディ』というスズメダイの仲間の生態を放映していた。アメリカ・カリフォルニアの海。そこにはジャイアントケルプという海藻が、海岸に沿って数百キロ続く。100種類の魚たちが泳ぐ豊饒の海である。ガルバルディは、この海の一角を“縄張り”にしている。食糧確保のため、この縄張りを守るのが毎日の仕事である。海藻を食べに貝やウニが入り込むと、くわえて縄張りの外へ放り出す。まさに“賽ノ河原”のような地道で忍耐強い作業を続けている。

『アイナメ』という魚がいる。繁殖期にオスは岩場に“縄張り”を構える。メスが卵を産むため、用意された岩場にやってくる。卵が産みつけられると、オスは近づく魚を追い払い、新鮮な海水を卵に送り続ける。1かもの間縄張りを離れることなく、体がボロボロになりながらも、すべての卵がふ化するのを見届ける。『アユ』もまた“縄張り”巡って激しい争いをする。その縄張りの広さは約1メートル四方。食糧となる新鮮な藻がたくさん着いた岩や石を中心にした縄張りである。食料を独占することでひと夏に10cm以上成長するという。逆に闘いに敗れたアユは、陽の光が当たらない、流れが淀む、充分な食糧を得られない場所に追いやられる。この小さな魚たちにして、生きるための激しい縄張り争いが繰り広げられている。これが生き物の世界の厳しい現実である。

前回も書いた活発化する中国軍の動きであるが、これもまた国境という“縄張り”争いと言っていい。中国は今世紀半ばまでに「世界一流の軍隊」を作り上げることを目標にしている。「アユ」の闘いにみるように、生き延びるための基本は「力」である。中国は堂々とこう言っている。『米国が手出しできない状況をつくり、中国が何をやっても批判されない新しい秩序を構築する』。すでに南シナ海は、中国の縄張りになってしまった。岩礁を埋め立て、軍事基地をつくり、日本のシーラインは完全に中国に掌握された。万一、有事となれば石油は入ってこなくなる。次に縄張りを広げようとしているのが、尖閣諸島のある東シナ海である。中国のイメージする最終的な縄張りは、第2列島線の西側海域全体である。すでにこの海域を従来の「遠海護衛」から「遠海防衛」に表現を変えている。

おおかたの生き物は、食物連鎖の中で、生きるか死ぬかという厳しい危機と隣り合わせで生きている。それがまた進化を促し、次世代の生存を確かなものにしている。今を生きる生物たちは、生き延びるための術(すべ)を受け継ぎ、今生きている環境に適応し、種(しゅ)の保存を図っている。この生死をかけた危機を克服する術こそ究極の危機管理と言える。中国は今のところ外交面ではすり寄ってきているが、軍事面の動きは全く違う。対するアメリカは世界の警察を放棄しようとしている。近い将来沖縄は確実に侵略されるだろう。有事になって危険が迫れば、それまで「米軍出ていけ」と煽っていた左翼連中は、真っ先に逃げ出すに違いない。危機意識のない日本は憲法9条を守れなどと能天気なことを言っている。全国民が危機管理に目覚めなければ、近い将来必ず「中華人民共和国・日本省」になる。それは日本が縄張り争いに負けたアユになるということである。
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[2020/05/14]
緊急事態条項を憲法へ
来週(5/18)BS103で「タカを用心棒にするハチドリ」という番組が放映される。恐らくこれは以前私が観た番組の再放送だと思う。その番組で観た“ノドグロハチドリ”の子育ては実に興味深いものだった。このハチドリは、春、中央アメリカから北米へ渡ってくる渡り鳥で、一度子育てに成功すると、その場所と1ミリも違わない場所に巣をつくるという。その場所の中心には“タカ”が巣を作っている。ハチドリたちは、その巣を頂点として、その下に広がる半径100mの円錐形の範囲の中に巣をつくる。この時期、ハチドリの天敵であるメキシコカケスも子育ての真っ最中。ハチドリの卵はカケスのヒナにとって最高のベビーフードとなる。ところがカケスにとってタカは天敵であるため、タカのテリトリーには容易には入っていけない。しかしカケスも子育てに必死である。タカのいない隙をついて、ハチドリの卵を狙う。ハチドリの危機管理は、タカに守ってもらえる範囲に巣をつくることと、春から夏にかけて5回ほど卵を産み種(しゅ)の保存を図っていることだ。

今、インド太平洋海域を管轄するアメリカの原子力潜水艦2隻が機能していない。1隻は、乗員のうち1000人がコロナウィルスに感染し、動ける状態に無い。もう1隻は定期修理中だという。この状況の中、中国の海洋進出が活発化している。先月、中国海軍の空母「遼寧」は、沖縄本島と宮古島の間の公海を航行し太平洋に抜けた後、南シナ海で軍事演習をした。今月には尖閣諸島に中国軍の指揮下にある海警局の公船(軍艦に近い)が4隻、日本の領海に侵入した。そのうち2隻が日本漁船に接近し「ここは中国の領海だ。違法操業だ。出ていけ」と言ったという。中国の国防白書には『中国固有の領土』『公船の派遣は国家主権の行使』と不届き千万なことが書かれている。アメリカの軍事力が手薄になった時の中国軍の動きは、あたかもタカのいない隙をつくカケスのようである。またアメリカの軍事力をバックにしている日本は、差し詰めハチドリといったところである。

先日の新聞に「最悪を想定しない国民性」(思想家・内田樹さん)という随筆が掲載された。そこにはこう書いてあった。『危機管理というのは「最も明るい見通し」から「最悪の事態」まで何種類かの未来について、それに対応するシナリオを用意しておくことである...リスクヘッジというのは「丁と半の両方に張っておく」ことだからである。・・・危機管理は生き延びるためにすることである。・・・「最悪の事態にどう対処するか?」という問いを前にすると、日本人は一気に思考能力が低下する。これは国民性と言ってよい。・・・「言霊の幸はふ国」においては、言葉に現実変成力があるとみなされている。・・・日本社会における危機管理を論じる場合には、「日本人には危機管理ができない心性が標準装備されている」という事実を勘定に入れる必要がある。「日本人には危機管理ができない」ということを与件として危機管理について考える必要がある。』(一部抜粋)。

5/3憲法記念日の新聞に、次のような左翼の意見広告が掲載された。『「平和を破壊する安倍の9条改正」・・・憲法9条に自衛隊を明記することは、戦争や武力行使の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認などの平和の原則が空文化してしまいます』。まさに現実を見ない左翼の思想である。意見広告で言っている平和の原則「武力行使の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認」をしっかり読んでもらいたい。これは「武力による戦争をしてはならない。自衛隊などの軍事力は持ってはならない。敵が侵略してきても戦ってはならない」と言っている。つまりこれを守るならば、国家主権を守るための武力行使を禁じ、我々国民の生命と領土・領海・領空を侵略されても、ただただ無抵抗であることが平和を守るということなのだ。これでは勝手に尖閣諸島は中国の領土だと国防白書に書いて侵略しようとしている国から守れるはずもない。どこにだったかこんなことが書かれていた。『左翼の理想にすぎないと揶揄(やゆ)されてきた憲法9条』『憲法9条に記された主権国家としては荒唐無稽としか言いようがない世界観』。

危機に対して無力の憲法であるが、今回のコロナウィルス禍で発出された緊急事態宣言もまた同じだった。罰則規定の無い「要請」というものであった為、これに従わないものも出てきた。しかも、従わないばかりか、過度な行動の制約は人権侵害で憲法違反だなどと居直るものまで出る始末。このゆるさこそ日本である。テレビではコメンテーターが「韓国の対応は参考になる」などとほざく。冗談じゃない。韓国は、スマホの位置情報、防犯カメラの映像どころか、クレジットカードの決済情報もデータとして収集し、隔離対象者を絞り込む。その隔離対象違者が違反した場合、電子リストバンドを着用させ、これを拒否すると指定施設へ隔離するという。徹底的な強制力で抑え込んでいる。これを参考に日本でやろうすれば、左翼新聞、テレビ、野党が、それこそ狂ったようにわめきき散らすだろう。日本は何ごとも手足を縛り不自由にしておいて、結果は完ぺきを要求する。

戦後、アメリカの軍事力に守られ、平和な時代を過ごしてきた日本は危機感が無くなってしまった。あたかも憲法9条さえあれば平和でいられると勘違いする人も多い。現在の憲法は終戦直後、まだ日本が独立国で無かった時代、GHQが作成した英文を基ににつくられたものである。当然、日本の無力化を図った憲法に、緊急事態条項など記載されるはずもない。日本では憲法上明確な根拠規定がない限り、人権を制約できないという考えがまかり通る。そうであれば尚更、国家存亡の危機が発生したという最悪のシナリオを想定し、備えをしておく必要がある。私は以前、中国が南西諸島を侵略してくるのは、日本が東南海地震で大混乱に陥っている時ではないかと書いた。武力攻撃や防衛出動といった緊急事態において、国民の権利や自由が一時的に制限されることは「国際人権規約」でも可能としている。緊急事態の発令は、結果として国民の生命と財産を守ることになる。決して政府の権限強化を目的としたものではない。今の憲法は国民を守る条項が欠落している。コロナ禍という緊急事態を体験した今なら、緊急事態条項の重要性が理解できるのではないか。
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[2020/05/03]
動物の母性本能とは
過日、テレビで「ファーブル昆虫記」が放映されていた。その中でも特に「スカラベ(フンコロガシ)」と「シデムシ」の生態が興味深いものだった。「スカラベ」は、動物のフンを切り分け、自分より一回り大きい玉をつくり、逆立ちし後足で転がし巣に持ち帰る。これが幼虫の食料になる。持ち帰った玉の上に卵を産む部分をつくる。出来あがると丁度梨の形をした“育児球”(梨玉)になる。一個の梨玉に一個の卵を産みつけ、母親は熱心に球を見回り、ヒビ割れたり、カビが生えないよう手入れをする。一方、「シデムシ」は、動物の死骸(このときはネズミだった)を土の中に引き込み、これを子供のエサにする。親の周りに群れをなし、あたかも鳥のヒナのように幼虫がエサを要求する。小さいときは、親が口移しで食べ物を与える。こんな育て方をする虫は他にいないという。

「又吉直樹のヘウレーカ」だったと思うが、ムカデの子育ての様子が放映されていた。見るもおぞましい光景だった。しかし解説はこうだった。『卵を産むと大事に抱きかかえる。2ヶ月間ずっと抱いている。その間母親は何も食べないで、ひたすら子の世話をする。たくさんの足で優しく子どもを包み守っている。母親はあおむけになって体の上に子を乗せ、子どもが地面に着かないようにしている。地面は不衛生なので、子どもたちが雑菌とかダニにやられないよう仰向けになって抱いている』。我々人間には害を及ぼし、また見た目にも恐ろしいムカデにして、わが子を雑菌やダニから守る母性本能がある。

子供への愛情という点で一番感動したのが「アフリカゾウ」だった。テレビでは次のように解説していた。『象の家族は常に子供の歩みに合わせて移動する。川を渡るときは、足のつかない子供を両側から大人がサポートする。・・・・アフリカゾウの子供は1歳を迎える前に、およそ3割が命を落とすと言われる。死んだ赤ちゃんを静かに見守る50頭ほどの象。そっと赤ちゃんにさわるオスの象。息を引きとったのを感じてオスは悲しんだのだろう。血のつながりの無い群れにも優しさを示すオス。象は血縁関係がなくても、病気の仲間がいると見守ったり助け合ったりして最期まで面倒をみる。赤ちゃんの傍から離れない母親。その間オスはずっと母親の傍にいた』。

アフリカゾウをはじめ、スカラベやシデムシ、ムカデなどの深い愛情とは真逆の動物がいる。それは「セレベスツカツクリ」である。テレビの解説は次のようであった。『森林の中の砂場。たくさんのツカツクリが穴を掘っている。穴の底には卵。そこを砂をかけて埋める。自ら温めてふ化させることはしない。火山活動の活発なこの島は、地熱で砂場の温度が高く、天然の熱を利用して卵をふ化させる。・・・卵を埋めるとその後一切世話をしない。・・・誕生するヒナは、自分の力だけで地上に現れる。すでに羽も生え揃っている。ヒナは一生、親に会うことなく生きていく。天敵がいない島ならではの命のつなぎ方』。なんと、親子の愛情や母性本能などとは無縁のトリである。親子は一生会うこともなく生涯を終えるのだ。

親の愛情、母性本能、とは一体何なのだろうか。ファーブルはこう言っている。『本能の領域は、人間の考え出したあらゆる理論の外側にある法則によって支配される』。生命が担う最大の使命は、次の世代へ命を繋ぐこと、種(しゅ)の保存である。それを全うするために細胞が与えた能力の一つが母性本能だといえる。子どもが一人で生きていけるまで、つまり巣立ちまで愛情を注ぐ。環境の中で生命活動を維持するため適応手段を変化させることを「環境適応」という。セレベスツカツクリは、天敵がいないことで、ヒナは一人で生きていくことが保障されている。そう考えると「母性本能」とは、生命の最終目的である次世代へ命を繋ぐ使命が果たせるかどうかに行き着く。
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