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中学校教科書検定について 「フランス絵画の精華」(九州国立博物館)

[2020/03/28]
中学校教科書検定について

今月24日、文部科学省は、2021年度から使われる中学校教科書の検定結果を公表した。来春から実施する新学習指導要領に対応した教科書である。新指導要領の指針に基づく今回の教科書は、3年間で学ぶ平均ページ数が「ゆとり教育」時代の1.5倍になった。子どもたちによる「主体的・対話的で深い学び」を目標とし、主体的に活動することで、思考力や表現力を育てるための手法が多く取り入れらているという。例えば新聞の活用については、新聞情報を活用し「メディアリテラシー」を養う学習方法が取り入れられている。二つの新聞を読み比べ、気づいたり考えたりしたことをまとめさせる。あるいはグループ学習で討議させ、思考力をアップさせるなどである。


3月25日の左翼・西日本新聞に、今回の「中学校教科書検定」に関する記事が2面の下の方と11面に掲載されていた。読んでいくうち次の点に疑問を感じた。『地理と公民では全教科書に竹島と尖閣諸島が登場し、いずれも「固有の領土」と記述した』と書かれていた。だが2面、11面全体を読んでみても領土に関する部分はここのみ、わずか3行半である。新学習指導要領により全教科書に掲載されることになったにしては、いくら何でも“三くだり半”はおかしいだろう。そこで近くのコンビニで「読売新聞」を買ってきた。思った通り、扱いは全く違っていた。領土に関する記事は、文章だけでも1000字近く、これに図や写真も含まれ、詳しく記述されていた。


さてその領土に関する記述であるが、地理・歴史・公民・地図の19点すべてに「日本固有の領土」として北方領土、竹島、尖閣諸島が明記されているという。読売新聞の記事にはこう書かれている。『新学習指導要領では、社会の各分野で領土教育を徹底するよう求めており、今回の検定では、さらに記述の充実が進んだ。・・・指導要領解説書や検定基準では、領土に関する政府見解や歴史的経緯も指導するよう求めている』。今、日本周辺で何が起きているのか。海上保安庁や自衛隊は、夜を日に継ぐ24時間態勢で防衛任務に当たっている。今や、彼らの心身は極限状態にある。こんな状況において、左翼・西日本新聞の記事ではわずか37字である。我々国民の生命と財産を守る要について、ほとんど興味が無いとみえる。


ところが今回の検定で左翼・西日本新聞が特別興味を持ったのが「一発アウト、初適用」である。これは新しい歴史教科書をつくる会のメンバーらが執筆する自由社の歴史教科書が適用になった。この記事は読売新聞の領土に関する記事に匹敵するほどの大きさの紙面で、写真まで掲載している。左翼新聞としては、よほどお気に入りの記事らしい。新指導要領で学ぶ子供たちが、今回の二つの新聞報道を比べて、議論するとすれば、どちらが国民にとって大切なことか、結論は明らかだろう。リアルな現実を真正面からとらえ、我々国民の平和がどうやって守られているかを理解してもらいたい。
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[2020/03/03]
「フランス絵画の精華」(九州国立博物館)

「フランス絵画の精華」展が九州国立博物館で開かれている。17世紀から19世紀まで、フランス絵画の歴史を辿る展覧会である。17世紀の古典主義、18世紀のロココ美術、19世紀の新古典主義、ロマン主義までの300年間の作品が並ぶ。絵画に限ったことではないが、時系列で観ると、その時代々々を背景にそれまでの既成概念を打ち破ってきていることがよくわかる。フランス絵画における王立アカデミーが果たした功績。印象派やキュビスムがいかにして誕生したのか。絵画を鑑賞すると同時に、それを理解する意味でも意義のある展覧会である。私は幸いなことに既に鑑賞していたが「新型コロナウィルス」の影響で、九州国立博物館も2/273/15まで休館となっている。

17世紀につくられた王立美術アカデミーは、「歴史画」を絵画の最高位に位置付け、古典主義が生まれた。絵の主題を古典や聖書に求め、普遍的なテーマを、人物の表情、動作、衣装や道具などで表現した。鑑賞する人たちもまた、その知識をもって理解し鑑賞することが求められたのである。これによってアカデミーは、フランス絵画の地位を芸術にまで引き上げた。こういう経緯をみれば、印象派が一瞬の光を捉え、荒いタッチですばやく描く絵にアカデミーが反発したのももっともな話である。しかし今回、300年の歴史辿る中に、近代絵画の萌芽を見ることができる。印象的だったのは、ロランやアングルやマネ、女性画家のルブランなどである。

時代に影響されながらも、人間が求めているその本質は変わらないように思う。風景画といえば印象派をイメージするが、今回の展覧会では200年も前のロランの作品にそれを見ることができる。アカデミーのしばりである古典文学などに基づく物語の要素を申し訳程度に入れつつも、まぎれもなく風景画である。<ペルセウスと珊瑚の起源>や<小川のある森の風景>などだ。キャプションには『ローマ近郊でスケッチを重ねたと言われる画家』と書いてあった。歴史画や肖像画中心の流れの中にあって、風景画の位置は決して高くない時代だったが、あえて描きたいものを描いたということだろう。

アングルの<オルレアン公フェルディナン=フィリップ、風景の前で>は、奇妙に首が長く、左腕も長く描かれている。これには『アングル独自の美意識を反映』と書かれていた。アングルは今回の展示作品ではないが<グランド・オダリスク>という作品にもこの表現がみられる。アングルが理想的な美を追求した結果である。19世紀末のセザンヌは「絵を描くことは対象をそのまま描き写すことではない。感覚を実現することなのだ」と言った。セザンヌのこの考えは“不自然な座り方をしている”「赤いチョッキを着た少年」に現れており、その後“あらゆる視点で対象を捉える”キュビスムのピカソなどへと受け継がれていく。だがその美意識の萌芽はアングルにあったのかもしれない。

18世紀後半、女性画家が活躍し始めたと書かれていた。女性画家ヴィジェ・ルブランの作品<ポリニャック公爵夫人>は撮影できる作品になっている。彼女の作品は他にも<クリュソル・フロランサック男爵夫人>などが展示されていた。いずれも女性らしい、穏やかな表情の肖像画である。これからおよそ100年後の印象派の時代、女性画家といえばベルト・モリゾであるが、彼女は決して画家として恵まれた環境ではなかった。女性画家は官立の美術学校には受け入れられず、私塾や名画の模写などで腕を磨いたという。ルブランの時代からロマン主義という開かれた時代を経ても、なお女性画家は閉ざされていたことに違和感を覚える。

展示の最後を飾ったのが印象派の父と言われたマネの<散歩>だった。マネといえば<草上の昼食>や<オランピア>で物議をかもした画家でも有名である。展示作品ボドリーの<ウェヌスの化粧>などのように、それまでは女性のヌードを描くには古典的な女神などそれなりの裏付けが必要だった。しかし、マネは意味など無く単に女性のヌードを描いた。高尚なテーマを求めたアカデミーに対して反旗をひるがえしたのだ。そんな革新的な姿勢と、そんな思想から生まれた晩年の作品<散歩>に見られるような新しい表現に印象派の画家たちは。惹かれていったのだろう。今回の展覧会は、フランス300年の絵画を時系列に展示することで、その時代を生きた人たちが常に変革を求め画家たちはそれを映す鏡として新しい表現を模索してきたことがよくわかる貴重な展覧会だった。


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