色彩の奇跡・印象派展
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File No.160517
「福岡ミュージアムウィーク2016」(5/14〜5/22)が今年も開催されている。今年は福岡県立美術館の「色彩の奇跡・印象派展」に行ってきた。パンフレットを飾っている九州初上陸のゴッホの《アルルにはね橋》をはじめ、モネの《霧に煙るファレーズの家》など日本初公開11点を含む67点が展示されている。展示は、バルビゾン派から印象派、新印象派、ナビ派を経てフォーヴィスムへと、19世紀後半から20世紀初頭にかけての美術の流れで観ていく。ある画家がこんなことを言っている。「そもそも絵画における進歩とは何か。道具や技術の進歩を抜きにすれば、質的内容的な向上、つまり進歩はないのです。進歩ではなく変化とみるべきです」。時代の流れが美術に変化を与え、美術はその時代の本質を映し出す。その時を生きた人たちや時代背景、あるいはそれらを包み込んでいる自然を感覚的に表現する。だからいつの時代の作品も素晴らしさに変わりはない。あるのは作品に込められた作家の心と、鑑賞する人の心の響き合いである。

セザンヌの《洋梨のある静物》のキャプションにはこう書かれている。『セザンヌは美術史上、近代以前と近代をつなぐかけ橋として大変重要な存在だ』。今回の展覧会で、「ポール・セザンヌを起点として風景画を中心に・・・」と書かれているのもこういうことなのだろう。セザンヌの静物画や風景画が、多視点で描かれているというのは誰もが知るところである。セザンヌはもともとピサロから影響を受けた印象派だったが、「画家はモノの一面だけを見るのではなく、あらゆる視点で対象を捉える使命を負っている」と新たな方向を目指した。それぞれのモノが最も美しいと感じる形、その存在が完全に見える方法で表現しようとした。感覚で捉えた多視点という絵画表現を確立させたのである。この表現をピカソらが学び《アヴィニヨンの娘たち》に見られるキュビスムという絵画表現に変化していく。以前、石橋美術館で「画家のことば」という展覧会があった。そこで見たパウル・クレーの言葉。「芸術は見るものを再現するのではなく、見えるようにするものである」。
セザンヌ「洋梨のある静物」

昨年12月から今年1月にかけて福岡県立美術館で「高島野十郎展」があった。そのサブタイトルは「交錯する光と闇、そして魂」だった。このサブタイトルを見ただけでも“緊張感”がある。彼は「世の画壇とは全く無縁なることが小生の精進です」と“孤高”を貫き通した画家である。肖像画は、存在の奥底、人生観がにじみ出るという。「りんごを手にした自画像」の鬼気迫る風貌に圧倒される。野十郎は自身の信念に基づく絵画を究めるため、外界からの一切の関係を遮断した。独学で絵を学んだというから、そういうしがらみもない。芸術を究めたいという強い信念でストイックな生き方を貫いた。彼は描く対象として「蝋燭」や「月」をよく選んだ。ひたすら蝋燭を見つめ、月を見上げ、心の奥底に沈んだ魂と宇宙を交錯させた。時間と空間を超え、宇宙と一体となった生命から生み出される作品。誰からも汚されない超越した美が目の前に浮かび上がる。「無題」という作品を観ると、無限の広がりと無限の深さの中に、自分の魂を位置づけたように感じる。

以前随筆でこんなことを書いた。「時代を大まかに言うと、ターナーの後半とバルビゾン派の前半が重なり、バルビゾン派の後半と印象派の前半が重なる感じである。産業革命が起き、時代が大きく変わろうとするとき、それを背景とした画家たちにも古典主義を打ち破ろうとする大きなうねりのようなものがあって当然だろう」。バルビゾン派は、それまで主題として描かれなかった風景を、フォンテーヌブローの森で描いた。印象派のモネは、バルビゾン派と交流のあった画家・ブータンに絵を習う。つまりモネの絵は、外光派がベースとなってスタートし、光や大気そのものを描いた。印象派であったセザンヌは、方向性は違っていったが、ピカソらは彼に学んだ。ピカソは「セザンヌは僕の唯一の先生だった。僕は何年も彼の絵を研究した。セザンヌは我々みんなの父のような存在だ」と言っている。絵画の世界も世の中の動きの一つである。前の世代が、次の世代のベースとなり、時代を反映しながら引き継がれ変化していく。今回の展覧会では、まさにこの流れを実感する。
モネ「霧に煙るファレーズの家」

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高島野十郎作品

「りんごを手にした自画像」

「蝋 燭」

「無 題」