肉筆浮世絵の世界展 随筆のページへ

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File No.150811

福岡市美術館で、8月8日から「肉筆浮世絵の世界」展が開催されている。人気の高い役者や噂の美人の浮世絵は、今でいうブロマイドである。庶民の嗜好は今も昔もそう変わらない。その旺盛な需要を満足させたのは、木版画という技術革新である。それは浮世絵が商業ベースに乗ったということでもある。浮世絵は普通、彫師や摺師などいくつもの工程を経て出来上がる。だが今回展示されている作品は、版画ではなく、絵師が全てを描いた一点ものである。江戸時代、人気の絵師たちが直接描いた貴重な作品群なのだ。実力のある絵師たちが、「肉筆浮世絵」を残そうとしたのも、その見事な作品を観れば納得する。会場に入ると"浮世絵美人画の源泉"と書かれた序章の「寛文美人図」に始まり、菱川師宣、歌麿、広重、北斎が並ぶ。世相を反映し、時代とともに変遷していく浮世絵。今回の展示では『肉筆浮世絵の黎明期から終焉まで、系統的に集め、歴史的な展開を念頭に構成した』としている。

序章に続き、第一章「夜明け」では、やはりこの人のこの絵だ。菱川師宣の「振袖美人図」。キャプションには「伝統的なポーズの遊女図。寛文美人図から師宣風に昇華されている」とある。この時代を支えたもう一人の絵師・懐月堂安度の「立美人図」には、江島事件に巻き込まれ大島に流刑になったエピソードが書かれている。第二章「全盛期」は、春信、清長、歌麿の時代である。ここに今回の目玉である喜多川歌麿の「花魁と禿図」がある。新しく発見され、初公開となった肉筆画である。鳥居清長の「水楼遊宴図」がまたいい。深川の料亭の二階らしいが、さりげない江戸の風情が感じられる。第三章「百花繚乱」では、北斎や広重が登場する。広重の「命図」は、鉋と手斧で、命を削っているという、その意表を突く発想に驚かされる。帰りにこの作品の絵ハガキを買ってきた。しかし、広重と言えばやはり叙情的な風景である。「両国の月」は、最も油の乗ったころの作品だという。今にも動きだしそうなリアルな動物たちを描いた北斎の「肉筆画帖」。こういった完成度の高い日本の芸術が、欧米に多大な影響を与えた。

江戸時代後期、印刷技術が発達し、浮世絵は商業ベースに乗り、庶民が望むものを安く提供した。北斎や広重の風景画は、お伊勢参りなど当時の庶民の楽しみだった旅を反映したものだ。ごく普通の庶民が、家庭にコレクションとしてごく普通に浮世絵を持つ時代になった。値段も今で言えばワンコイン程度で手に入れられた。庶民に文化として定着したからこそ、今も評価され、美術展が開催される。印刷技術の発達による文化の広がりは、なぜかヨーロッパにおけるクラシック音楽に共通したものを感じる。18世紀、時代で言えばロマン派の時代である。楽譜の印刷が一般化され、作曲家と演奏家の分業が進み、一般の人たちが、高い技術をもつ演奏家のコンサートを楽しむようになった。裕福な家庭からは、ピアノの音が流れるようになる。貴族たちの楽しみだった音楽を、庶民が楽しむようになり、音楽家はそれで生活が成り立つようになった。印刷技術が、貴族や上流階級の文化を、庶民レベルへとすそ野を広げ、大衆が大いに楽しむようになったのである。

北斎が弟子たちの手本として描いたのが「北斎漫画」である。当時かなり売れ、次々と追加出版されたという。このひとつが、輸出された陶磁器の詰めものにされ、ヨーロッパの芸術家たちの目に留まるところとなる。明治維新後、多色摺りの錦絵などが輸出される。日本の鮮やかで繊細な美意識が、驚きをもって迎えられた。当時のヨーロッパは、印象派の時代になろうとしていた。モネをはじめとして印象派の画家たちは、浮世絵の魅力に取りつかれる。浮世絵にみる発想、構図などが、彼らに少なからず影響を与えた。ヨーロッパにおけるジャポニスムはここから始まる。近年開催された展覧会でも、「ボストン美術館浮世絵展」や「ハンブルク浮世絵展」など、海外で膨大にコレクションされた浮世絵が里帰りして公開されている。しかし、今回の浮世絵展は訳が違う。68人の優れた絵師たちの170点にも及ぶ肉筆の作品が並ぶ。師宣や歌麿、広重、北斎が、描いた筆あとが目の前にある。それは今回の展覧会だからこそ味わえる貴重な感動である。


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