映画「ナイトミュージアム・エジプト王の秘密」 |
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博物館の展示物が、夜になると甦り動き回る。それはエジプト王・アクメンラーの石板の魔力によるものだった。そんな奇想天外な発想の映画「ナイトミュージアム」は、今回のシリーズ第3作「エジプト王の秘密」で最終章となる。そのストーリー性と、VFXを駆使した迫力のある映像で、日本はもとより世界で人気のあるシリーズである。ニューヨークの自然史博物館の展示物が活躍するため、時代を超え、国を超えた多彩なキャラクターが登場する。だがスペクタクルだけではない。今回はラリーとニッキーの親離れ、子離れ、アクメンラーが4000年ぶりに再会する両親など、親子の絆も描かれている。ラリーとともにシリーズを支えているのが、昨年亡くなったロビン・ウィリアムズ扮する"テディ"・ルーズベルト大統領である。また、同じく昨年亡くなったミッキー・ルーニーも、ワンシーン出演しており、今回二人の大物俳優の遺作にもなった。そんなことが最終章のストーリーと重なり、観るものの感情を揺さぶっている。 |
1938年、エジプトで発掘調査が行われていた。その調査隊のリーダーの息子が突然地下洞窟に落ちる。そこは20年も探し続けていたファラオの墓だった。「誰かこの墓を荒らせば、終わりが訪れる」。だが現地の人の忠告も聞かず、リーダーは「埋葬品を運べ」と命令する。石板はその時持ちだされたものだった。場面は変わり、ここは現代のニューヨーク。アメリカ自然史博物館では、新設されたプラネタリュウムの披露パーティが催されていた。ラリーは石板の力で命を吹き込まれた展示物たちの協力で、パーティを盛り上げようとしていた。ところがその時、石板が変色し始めていた。パーティの途中から、展示物たちが大混乱に陥り、パーティは失敗に終わる。「まさに、"のろい"に操られるようだった」。陽が沈むと石板が光って、展示物に命を吹き込む。その石板がなぜ魔力を失いかけているのか。調べると、その秘密を解くカギが大英博物館にあることがわかった。そこにはアクメンラーの両親がいる。ラリーは、ニッキーや仲間たちとロンドンの大英博物館へ向かう。 |
観客の多くはミッキールーニーのかつての活躍を知らないだろう。私とて世代が違うが、それを知る最後の世代といえる。私が最初に彼の映画を観たのは「おかしなおかしなおかしな世界」(1963年)だった。下の「ザッツ・エンターテインメント」を見てほしい。スペシャル・キャストには、フレッド・アステアをはじめ、そうそうたる大物俳優が名を連ねている。1983年には映画界への貢献からアカデミー賞名誉賞を受賞している。一方、ロビン・ウィリアムズは、「今を生きる」が印象に残る。今回パンフレットを読み返してみたが、その役柄を演じるのに、彼の温かみのある存在感がぴったりである。厳格な規律でしばる教育ではなく、自由な発想で人間らしさを引き出すキーティングの教育方針。生徒たちが次第に魅かれ、人生の素晴らしさに目覚めていく。人間・ロビン・ウィリアムズの魅力によって描かれたからこそ、観るものに感動を与えたといえる。それは今回の映画にも通じる。 |
そのロビン・ウィリアムズ演じるテディのラストのセリフが「笑顔になれ。日の出だ」だった。彼のやさしさで包み込むようなセリフである。ロウ人形に戻ってしまうテディだが、あるいはロビン自身の人生を暗示していたのかもしれない。彼の最期を重ね合わせると、象徴的な言葉として観るものの胸を打つ。もしかして、この最後のシュチュエーションが、彼の死に至る引き金になったのか。そこまでは言えないとしても、遠因の一つになったかもしれない。映画「今を生きる」のなかの「私は生きることの真髄を心ゆくまで味わいたい」という言葉が、彼の人生の指針としてあったとすれば、結果としてあまりにも生きることにまじめ過ぎたとも言える。だがスターは、この世を去ったとしても、スクリーンのなかでいつでも甦る。映画は魔法の石板である。オードリ・ヘップバーンも、半世紀を過ぎてなお、あの輝く笑顔に会える。「魔法は終わらない」というエンディングの言葉はそんなことを象徴しているようでもある。 |
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映画「ナイトミュージアム ・エジプト王の秘密」
でも石板の様子が何かおかしい・・・・。 |
ロビン・ウィリアムス出演映画 「今を生きる」 (1990年) | |||
ロビン・ウィリアムス(1951〜2014) |
ミッキー・ルーニー出演映画 「ザッツ・エンターテインメント」 (1975年) | |||
ミッキー・ルーニー(1920〜2014) |
2015/04/20 | |