十五少年漂流記 随筆のページへ

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File No.140824


集英社文庫
夏休み期間中の子供向け映画で「SATAND BY ME ドラえもん」が上映中である。これまでのドラえもんを再構築した映画だという。このタイトルはおそらく、22世紀から、のび太を支えるためにドラえもんが派遣される、ということを表したものなのだろう。映画のタイトルからだけのイメージなのだが、「SATAND BY ME」は、久しぶりに「十五少年漂流記」を読んでみようと思わせた。ジュール・ベルヌの冒険小説は、子供のころ夢中になって読んだものだ。「十五少年漂流記」では少年たちが、お互いが支え合いながら難局を乗り切っていく訳だが、特に2期目のリーダー・ブリアンにとって、積極的に支えてくれる1期目のリーダー・ゴードンは、文字通り「SATAND BY ME」である。この小説は1888年に発表されたもので、子供たちの生活自体は、いつの世も変わりはないが、社会的背景は当時を反映している。ただ、集団を形成すると、それを運営する為のルールは、大人・子供に関係なく、時代を超えて同じである。
オークランドは、イギリスの植民地・ニュージーランド最大の都市である。チェアマン寄宿学校は、オークランドの中でもいちばん有名な学校である。生徒たちは、夏休みを利用してニュージーランド一周の航海に出ようとしていた。ところが出港の前夜、子供たちだけが乗ったスルーギ号が、誰にも気づかれないまま沖へ流されてしまった。それから2週間、荒れ狂う海と戦いながら辿りついたのは、無人島だった。少年たちは、まず船に積んであった物資を確保する。洞穴を住み家にし、島を探検し、漁や狩りをして生きる糧を得ていく。そんな中にあっても、みんながいつの日か家族に会えるという希望を持ち続けていた。集団で生活する上で、リーダーを決め、予定表をつくり、規律正しい生活が営まれる。20か月が過ぎようとしていたある日、島に人を殺すことを何とも思わない悪者一味が上陸してくる。悪者一味から逃れてきた大人二人と協力して闘い、勝って帰還用の船を手に入れる。
次の会話は、この物語の根幹をなしているように思う。
「どうしようか?」と、ゴードンはいった。
「わからない・・・わからないな!・・・」と、ブリアンは答えた。
「わからないなんて、何と不幸なんだろう・・・大人がいなくてはならない時に、子供しかいないなんて!」
必要が教えてくれるよ」とゴードンはいい返した。
あきらめないことにしよう、ブリアン。用心深く行動しよう!・・・」
「そうだ行動しよう、ゴードン!・・・・」
イギリスの寄宿学校は、自分から進んでやるというのが教育の精神だという。
生徒たちは、そういつまでも子どもではいないのだ。ひと口でいうと、イギリスの教育は、訓練と並行して進められる。
そんな教育が、15人の少年を、二年間生き延びさせたと言える。またそんな気風が、ジュール・ベルヌにこの物語を書かせたとも言える。

物語のなかで、こんな一節がある。
『たまたま起こるあらゆる種類の出来事にぶつかって、どうするかをきめたり、想像をはたらかせたりすことの必要とか、そうしたものこそ、彼らに人生をまじめに教えるように思われる』
この一節は、出来ごとによる経験と、それに基づく想像力が、人生のあらゆる場面の行動の指針となることを教えている。このことは、あるいは「読書」の本質に通じるのではないだろうか。読書は「想像力」を養う。特に日本人は「行間を読む」といわれるほど、その奥行きは深い。ジュール・ベルヌの冒険小説の中に入り込み、想像力が限りなく空想の世界を広げていく。子どものころに読んだわくわくするような物語の世界は、一生の財産になる。ビデオや携帯による映像や情報が悪いとは言わないが、「十五少年漂流記」「トム・ソーヤの冒険」「シャーロック・ホームズ」「アルセーヌ・ルパン」など、心躍る夢のような世界に浸ってみてはどうだろうか。
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少年たちは、ニュージーランドの都市・オークランドから7200キロのチリ・ハノーバー島へ流される。ハノーバー島は、チリまでわずか50キロのところだった。
少年たちによってチェアマン島と名付けられた無人島は周囲240キロほど。南緯51度で、極寒期には氷点下30度にもなる。
少年たちが、オークランドを離れたのが1860年2月14日、帰国したのは1962年2月25日。約2年間、子供たちだけで生き抜いたのだ。

懐かしい『矢野大サーカス』
(昭和54年公演のパンフレットより)