スポーツカーの記憶 随筆のページへ

トップページへ

File No.140725
トヨタ2000GTは、生産台数の少なさから「幻の名車」と呼ばれ、そのスタイルは、日本車のなかでも最も美しいと言われる。空気力学を追及し、合理的なデザインを極めると、曲線が美しい2000GTのスタイルになる。昭和40年代の初め、日産のフェアレディ、ホンダのSシリーズなどが発売されていて、トヨタが威信をかけて投入したスポーツカーだった。
さすがにトヨタの戦略は見事だった。発売されると同時に、映画「OO7は二度死ぬ」に登場したのである。MI6が用意したものではなかったが、この車(2000GTオープントップ)で若林映子が、ボンドを救出する。究極の機能美と、007で世界にアピールした車として、トヨタのイメージリーダーの役割は十分果たしたといえる。

日産フェアレディと吉永小百合さん。風に髪をなびかせ、笑顔で颯爽と走るこの姿に、説明はいらない。昭和42年の1600だと思う。
昭和44年、本格的なスポーツカーフェアレディZの登場である。アメリカだけでなく全世界で人気を博した車だ。シャープなスタイル、高いポテンシャル。日本が世界に誇れる車をつくったと言えるかもしれない。




日産には「スカイラインGT−R」という輝かしい車が存在する。右の写真は、昭和44年のGT-Rで、通称「ハコスカ」と呼ばれる。デザインだけみれば、フェアレディZのほうが、いかにもスポーツカーである。しかし、GT-Rに入っているエンジンは、上のレーシングカー「R380」のものである。量産車にレーシングマシンのエンジンを積んだのだから、その強さは圧倒的だった。普通の顔をしたセダンが、走ったらすごいんです。我々は何事においても、そういう英雄的なものを望んでいる。
左の写真の日産ブルーバード1600SSSは、昭和45年のサファリラリーで総合優勝を果たした車である。この前年のサファリラリーを舞台にした映画が、石原裕次郎さんの「栄光への5000キロ」だ。この「スリーエス(SSS)」というネーミングは、「アールエス(RS)」とともに、なにかワクワクさせるものがあった。だが、この栄光のブルーバードも、今はなくなってしまった。ブルーバードだけではない。サニー、ローレル、セドリック、グロリア、みんな無くなった。
2014年福岡モーターショーの「GT-R」
上左は昭和48年の「スカイライン・ハードトップ2000GT-R」。通称「ケンメリ」と呼ばれた。北海道を旅行した時は当然、美瑛のケンメリの木を見てきた。左下は「スカイラインGT-R(R34)」で、2002年全日本GT選手権シリーズ出場車である。こうしてみると、私は日本のモータリゼーションの黎明期からずっと観てきたことになる。




随筆のページへ トップページへ