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File No.140715
大和の大杉」
篠栗町(福岡県糟屋郡)には、若杉山という国有林がある。ここは「レクリェーションの森」と呼ばれ、山一帯が杉に覆われ、森林浴効果も認定されている。この群生する大杉のなかでも、「大和の大杉」や「綾杉」など、特に名前を付けられた大樹が数本存在する。一番大きいのが森のシンボルでもある「大和の大杉」である。幹回り16.15m、高さ40mと圧倒的な存在感を示している。健康でまだまだ成長しているという。「大和」と名付けたのも、将来は日本一大きな巨木杉に育つことを願ってのことだと書いてあった。これらの大樹を楽しむために「大和の森・遊歩道」というのが整備されている。そこで先日、大樹巡りを楽しんできた。現地には分かりやすい、きれいな絵地図があった。ところが面目ないことに、曲がり角を見逃してしまい、結局、「綾杉」「七又杉」「大和の大杉」の三本しか見ることができなかった。それでも、森林浴がてら、群生する大杉の中をゆっくり歩くのは、実にいいものだった。

若杉山の「綾杉」

香椎宮の「綾杉」
遊歩道を歩くとまず最初に出会うのが「綾杉」である。その横には「太祖神社」の鳥居があり、若杉山は古くから信仰の対象になっている山だという。綾杉の前には、その由緒が書かれている。それは次の通りである。(注:伊奘諾尊=いざなぎのみこと)
若杉山頂に太祖権現を祭る社あり伊奘諾尊をまつる。わが国を化成し給う祖神に在します故に太祖と申し上げる。神功皇后、三韓(朝鮮)征伐の御砌(みぎり)臨月の御身をこの御社に登り御祈願をこめられ給う時に太祖神社の神木をおんみづから手折り鎧の袖にさして携えられ御守になされた。この神の冥助により凱旋御帰朝の後お守り携えられし杉の枝を香椎の宮の側に植え給うた。これが今の香椎の綾杉である。 皇后は神明加護の御礼にこの杉を分け当山に植えられたが、これ以後この山を分杉山と云い、後に訛って若杉山と称するようになったものである。この付近に綾杉原と云うところがある。
香椎宮の「御神木・綾杉」には次のように書かれている。
神功皇后様が「とこしへに本朝を鎮め護るべし」 と祈りこめられてお植えになった杉で 紀元860年(西暦200)のことであります 。
遊歩道入口付近の案内板に「森林は命の水を貯えます」「毎日の安全で安定した水は美しい森林が送ります」(福岡県水源の森基金)と書かれていた。それによると森があることによって雨水の50%が地下水になるという。古来より我々の祖先は、山の麓の湧水の豊富な場所に住み、山の恵みを享受し生きてきた。高祖山の麓の「今宿五郎江遺跡」では、豊富な湧水があり、セキをつくってダム状にしてみんなで使っていた。可也山の麓の「一の町遺跡」も豊富な湧水があったとみられ、見つかった大型建物群は「水辺で行う農耕儀礼関連の建物」とされている。「里山」は、多くの生き物を育み、絶え間のない川の流れが流域を潤し、多くの栄養を含んだ水は海の生物をも豊かにしてきた。そんな自然に感謝する心が、自然崇拝の一つの要因でもある。
「七又杉」




磯崎俊光「捧ぐ」
左の絵は、第45回日展に出品された磯崎俊光氏の「捧ぐ」という作品である。この作品のことばとして磯崎氏はこう書いている。『鎮守の森は豊かな自然を今に残した静謐(せいひつ)な聖地である。境内には杉や檜の大樹が林立し、神秘的な雰囲気が漂って敬虔な気持ちにさせる』。磯崎氏は、地元の人たちの手で大切に守られてきた社の森をテーマにずっと描き続けている。これこそが豊かな自然に育まれ、命をつないできた日本人に流れる精神である。映画「WOOD JOB」では、最後のクライマックスシーンで、千年の檜が神に捧げる祭りに伐られる。樹齢千年の樹には、1000本の年輪が刻まれている。これには平安時代、江戸時代、明治時代という世の移り変わりをずっと見つめてきた魂が宿っている。若杉山が古くから信仰の対象になっているというのも、すべての自然に魂が宿るということへの畏敬の念の表れでもある。

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宇美八幡宮 湯蓋の森

本樹は樟の代表的な巨樹の一にして樹齢の古きものなれば、之を保護するを要す。
注意
一 根土をふみ固めぬこと
一 根幹など傷つけぬこと
一 樹の付近にて火気を持ちいぬこと
右注意せられ度し もし之を犯したる時は国法に依り罪せらるべし
  大正十三年七月  文部省