弥生時代の「絹」 |
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7月5日に開催された「いとしま市民大学・歴史散歩しま専科」の第1回講座を受講してきた。テーマは「絹が示す伊都国は神話の舞台」、講師は古代史研究家の萱島伊都男氏。萱島氏は「出土状況」「文献」などあらゆる角度から古代の「絹」を検証し、邪馬台国は伊都国近隣に所在したと結論づけた。「絹」の出ていないところに邪馬台国はあり得ないという。さらに「"絹"を突き付ければ、近畿説は反論できない」と、近畿説を木端微塵に粉砕である。説得力のある講話と、小気味好い結論だった。講座の中で出てきた、古代絹の研究の第一人者と言われる布目順郎氏もこう言っている。『弥生後期の絹製品を出した遺跡もしくは古墳は、すべて北九州にある』。絹は、福岡県、佐賀県、長崎県からしか出土していない。萱島氏はその多くが「日向峠」付近であることを指摘する。吉武高木遺跡、樋渡遺跡、拾六町宮の前遺跡などである。 |
さて、示されたその根拠となる出土状況は、次の通りである。
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萱島氏は文献に出てくる「絹」について次のように示された。
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邪馬台国時代、これだけの「絹」に関する記述があり、北部九州からこれだけの「絹」が出土している。しかも近畿から出土するのは古墳時代になってからである。これもまた東遷説を裏付けるものである。これでは近畿説も、論争ができないので、知らんふりするしかなかろう。「絹」に加え「鉄器」「魏晋鏡」などの出土状況、多くの文献をみれば、近畿説がいかに事実をねじ曲げているかが分かる。今後、近畿説を「呆畿説」と呼ぶことにする。そして「呆畿説」のバカ者がいたら、大いに「絹」の話をしよう。しかし、あまり挑発すると「呆畿説」どもは、今度は「伝世絹」などという笑い話を「ねつ造」するかもしれない。 |
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日向峠を挟んで伊都国の東側で絹が出土している。 |
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