映画「ノア〜約束の舟」を観 映画のページへ

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File No.140620

これは「旧約聖書」の「創世記」にある“ノアの方舟”の物語を映画化したものである。地球上のすべてをのみ込む大洪水。神と交わした約束を果たそうと苦悩するノア。スペクタクルと人間ドラマが交錯する。
(あらすじ)『ある夜、ノアは眠りのなかで恐るべき光景を見る。それは、堕落した人間を滅ぼすために、すべてを地上から消し去り、新たな世界を創るという神のお告げだった。大洪水が来ると知ったノアは家族とともに罪のない動物たちを守る巨大な箱舟を作り始める。やがてノアの父を殺した宿敵ドバル・カインがノアの計画を知り、舟を奪おうとする。壮絶な戦いのなか、遂に大洪水が始まり、ノアの家族と動物たちを乗せた箱舟だけが流されていく。閉ざされた箱舟の中で、ノアは神に託された驚くべき使命を家族に打ち明ける。』(映画パンフレットより)

私は過日、次のようなことを書いた。
・・・もう一つは「無」から宇宙が誕生したというものだ。空間も時間も存在しない「無」の世界に、エネルギーだけが存在し、ゆらいでいた。エネルギーは質量に転換できる。それによって粒子の対生成と対消滅が繰り返される。同じように「宇宙」もまた「無のゆらぎ」の中で生成と消滅を繰り返していた。その中のいくつかが、インフレーションによって宇宙となった。(2014/04/09)
映画の中で、花が「無」から咲くシーンがある。これはまぎれもなく神による天地創造の象徴である。神は堕落した人類を消し去ることもいとわない絶対的な存在である。だが、現代科学は、「無」からの宇宙創世に、辿りつこうとしている。それは人類が神の領域に踏み込むということでもある。

人類は、環境の悪化による自滅か、小惑星の衝突などによる滅亡か、はたまた太陽にのみ込まれるか、いづれにせよ地球上の生物には、厳しい未来が待ち受けている。生き延びる為に、巨大宇宙船で太陽系を脱出である。しかし仮に第2の地球が、わずか5光年の彼方としても、恐らく100年はかかる。数千人が100年もの間、閉鎖された環境のなかで生態系を維持するのである。それに耐えるには、人間はあまりにもひ弱すぎる。先日こんな報道があった。動物園や水族館から動物がいなくなる危険を回避するため、動物の配偶子(精子と卵子)を凍結保存する取組が進んでいるというのだ。マイナス196度の液体窒素入りタンクにラッコやホッキョクグマなど希少種の配偶子が保存されている。これらの配偶子は、放射線を防げば、半永久的な保存が可能で、配偶子さえ残しておけば、将来の技術の進歩で種の保存の可能性が広がるという。渡りに箱舟とまでは言わないが、ひとつの可能性ではある。

先日終わったテレビドラマ「スモーキング・ガン」でこんなことを言っていた。『ユングは言った「人は自分自身については暗闇の中にいるのも同然」』。それこそが人間である。そんな心の支えになるのが宗教だろう。ところが旧約聖書では堕落したとはいえ、神の啓示として人類を一掃せよというのである。私はキリスト教がどんな教えか全く知らない。神を裏切ったら容赦しないということなのか。いづれにせよその啓示を実行するのが、これまで神の教えに忠実に生きてきたノアである。地球最後の人類として、ノアとその家族だけが箱舟に乗る。それは、汚れの無い哺乳類、は虫類、鳥類などを新しい地球に残すためである。しかしここでノアにのしかかるジレンマ。人間は誰しも、善と悪の二面性を持つ。ノアは人間であるが故に葛藤することになる。神との約束に忠実にあろうとすれば"悪"、背くことが"善"であるとすればその決断や如何に?いったい何が正しいのか、人類の存亡を賭けた究極の決断である。

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「ノア〜約束の舟」

2014年/アメリカ
上映時間:2時間18分
公開日  :2014/06/13

監督:ダーレン・アロノフスキー
出演:ラッセル・クロウ、ジェニファー・コネリー他


〜人類史上最古にして最大の謎〜


映画「2012」
2009年/米
2009年公開の「2012」という映画があった。これはマヤ文明が残した「暦」から、2012年に世界が終わると懸念されたことを映画化したものだった。世界の終末を描いたこの映画でも、現代版のノアの箱舟が登場する。巨大な船4隻が建造され、これに乗り込み、生き残ろうとして、何千万人もの人々が押し寄せる。このとき舟に乗り込むことが許されたのは、優秀な遺伝子を持つ人たちと、金持ちたちだった。生き残る人類として、優秀な遺伝子というのは、理解できないことはない。しかし、人間の社会は4番バッターだけで動いているのではない。基準として重要なのは生き残ったあとの社会が正常に営めるかどうかである。巨大な4隻の箱舟を造るには、巨額のカネは要る。そこで金持ちは、財力にものを言わせて箱舟に乗るチケットを買うのである。もしこれが現実問題であれば、結局ものを言うのは「武力」と「財力」かもしれない。