日本国家の起源を探る! | 随筆のページへ トップページへ File No.140610 |
6月7日、「いとしま市民大学」20周年記念としてシンポジウムが開催された。テーマは「日本国家の起源を探る!」。糸島は、「魏志倭人伝」に"世々王あり"と書かれているように、豊かな歴史を持つ。今回のテーマは、そんな糸島市に相応しいものだった。国家の起源と言えば、私は、先日の随筆で「・・・古代国家創始の頃、5〜6世紀・・・」と書いた。普通に考えれば、律令国家が確立された7世紀が国家の成立で、その創始の時期としての5〜6世紀である。しかし、今回のシンポジウムを聴講して学んだのが、何をもって国家とするのかということである。国家の起源については「7・5・3論争」というのがあるという。律令国家の成立した7世紀、古代国家確立への準備段階としての5世紀、邪馬台国にみる初期国家の3世紀、つまり7・5・3どの段階を国家の成立とみるかである。それは政治的な権力、軍事、外交はもちろん、身分制度や税制などの在りようである。 |
シンポジウム資料の中に、7・5・3の時代それぞれの状況が次のように書かれている。
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シンポジウムの風景 |
そこで3世紀における初期国家の要件を「魏志倭人伝」から抜粋してみた。
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資料で丸山氏は次のように述べている。『・・・・それらは、実に国際関係、国内統治の両面にわたる原初的小国家の発展形態、すなわち原始国家の構造・特質を示す・・・・』。邪馬台国の時代、すでに中央集権的な統治が認められるのである。さてその統治の及んだ領域であるが、これも魏志倭人伝から読み取ってみよう。『帯方郡から女王国までを総計すると1万2千余里となる。・・・女王国より北には、特に一大率をおいて・・・一大率はつねに伊都国におかれる・・・そしてその南にあるのが狗奴国で・・・女王国に服属していない。・・・女王国の東、海を渡ること千余里で、また国々があり、これらもすべて倭種の国である』。これらから邪馬台国の範囲は、南は熊本県菊池市に接し、東は豊後灘に面する大分県である。つまり邪馬台国連合は、福岡県を中心とした北部九州一帯であり、その首都は伊都国の南に位置していたことが分かる。この邪馬台国が、近畿に東遷し、三種の神器など北部九州の文化によって日本が統治されることになる。そういう経緯を考えれば、日本国家の起源は、まぎれもなく三世紀の北部九州にあった邪馬台国である。そして、卑弥呼の実家であった伊都国は、その重要な存在であったことは間違いない。 |
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