『 夢 違 』 |
随筆のページへ | トップページへ | File No.140525 |
人間の心には「意識」と「無意識」がある。無意識は、心の深い部分に潜んでいて、意識はしていないが、日常の行動に影響を与えている。ところが恩田陸著「夢違」の無意識はスケールが違う。
|
今月初め、テレビドラマで「悪夢ちゃんスペシャル」というのを放映していた。これは、恩田陸著「夢違」をドラマ化したものである。そこでは無意識について、こう説明していた。
|
TVドラマ「悪夢ちゃんSP」 |
夢を映像化する「膜(ばく)」 |
小説の時代は、夢が「夢札」に記録され、「膜(ばく)」という夢を映像化する機械で見ることができる。この機械が開発されて、すでに20年が経つ。夢札に記録することを「夢札を引く」と言う。それは逆に「他人の夢札を入れる」ことも可能ではないか。『彼女は夢を受けるだけでなく、夢にアクセスできるようになったのかもしれない。ネット空間のように、我々は巨大な無意識を共有している。その世界を介すれば、どこにいても、どこからでも、誰の夢にでも入ることができる』。古藤結衣子は、夢を物理的にとらえた第一世代として、次世代の子供たちの無意識に「先祖」として潜んでいる。彼女は集団的無意識の一部として存在するのだ。 |
『自分の内側と外側が溶け合ってしまったような感じ。あるいは他人の内部と、自分の内部が繋がってしまった感じ』になるという「夢札酔い」。微妙にずれながらも重なり合う結衣子のいない世界と、いる世界。そんな浩章は、結衣子に導かれるように、法隆寺の夢違観音に来る。結衣子は『完全に夢の世界の住人になったとき、彼女は万能になり、彼女はこの世界の「どこにでもいる」存在になるんだ』。結衣子は、もう予知夢(悪夢)は見ないと、夢の中で浩章に言う。夢の世界の住人となった結衣子は、彼女本来の明るさを取り戻し、幸せそうである。結衣子のしなやかな動き、滑らかにひるがえるフレアスカート。愛の喜びに満ちた穏やかな笑顔で、浩章の手にそっと触れる。夢の世界と、現実の世界を重ね、いつでも浩章にアクセスできるようになった結衣子。思いもかけないエンディングに、心が軽くなるような読後感だった。 |
夢のメモリー「夢札」 |
随筆のページへ | トップページへ |