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ルノワール
「ブージヴァルのダンス」
福岡市博物館で「光の賛歌・印象派展」が開催(2014/1/15〜3/2)されている。今回の美術展で特徴的なのは、世界37の美術館から印象派の名画が集結していることである。モネの「睡蓮」がある。ルノワールの「ブージヴァルのダンス」がある。シスレーが、ピサロが、モリゾがある。モネが印象派展に出展した作品が目の前にある。ルノワールが、百数十年前描いたときの筆使いがはっきり見える。そんな気持ちを高ぶらせてくれる名画80点を一挙公開である。「序章:印象派の先駆者たち」で印象派の源流を探り、「第1章:セーヌ河畔の憩い」、「第2章:ノルマンディ海岸の陽光」では、それぞれ印象派の画家たちが感じた光を描いた作品が並ぶ。

序章の「印象派の先駆者たち〜近代風景画の地下水脈」も非常に興味深い。17世紀のホイエンに代表されるオランダの風景画の影響もあるとしている。ここを源流として、直接印象派に影響を与えたとすれば、やはりターナーである。晩年のターナーの作品「湖に沈む夕日」(今回の展示作品ではない)などを観れば、印象派の作品を彷彿とさせる。ターナーが「40年早く生まれた印象派」と言われる所以である。時代を大まかに言うと、ターナーの後半とバルビゾン派の前半が重なり、バルビゾン派の後半と印象派の前半が重なる感じである。産業革命が起き、時代が大きく変わろうとするとき、それを背景とした画家たちにも古典主義を打ち破ろうとする大きなうねりのようなものがあって当然だろう。印象派の画家たちは、当初のフランスでこそ評価されなかったものの、ある意味時代の要求だったと言えるかもしれない。
右の二つの画像を観てほしい。左は有名なモネの「日傘の女」(1886年)、右は最近テレビで放映されているリョーユーパンのCMである。リョーユーパンは、このところ「世界の名画美少女シリーズ」を流している。第1弾はフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」だった。今回は第2弾である。今回の展覧会の作品の中に、モネの「ヴェトゥイユ・サン=マルタン島からの眺め」というのがある。この中に日傘を差す女性と子どもが描かれている。制作年を見ると1880年になっていた。描かれているのは、カミーユとジャンではないだろうか。風景の一部として描かれ、絵の色調は明るいが、前年亡くした、妻カミーユを想って描かれたと思われる。1886年の「日傘の女」同様、顔は描かれていない。 モネ「日傘の女」
TV/CM

モネ
「ヴェトゥイユの教会」
印象派の作品が、これほどまでに好まれるのは何故か。同じ時代、イギリスで起きた「唯美主義」の画家が追い求めた「美しい絵」に通じるものがあるが、輝くような色彩で軽やかに描く印象派は圧倒的である。展覧会では印象派をこう表現している。『彼らの絵画の特徴は、屋外制作による光を意識した明るい色彩表現と伝統的な絵画技法にとらわれない大胆な筆使いにあります』。それは展示された各作品のキャプションからも伝わってくる。モネの「ヴェトゥイユの教会」では、『個々の絵の具の軽やかな筆触によって、かすかにきらめいているかのように生き生きと表現されている』。それぞれの色彩が軽やかに置かれ、我々の目がそれを美しく調和させる。印象派の絵は「観て心地よい」。


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絵ハガキ

モネ
「ヴェトゥイユの教会」

モネ
「セーヌの秋・アルジャントゥイユ」

現在知られるモネの最初の作品
「ルエルの眺め」

シスレー
「モレの橋」

カイユボット
「トゥルーヴィルのレガッタ」

ピサロ
「小川で足を洗う女」



2014/02/01 笑っていいとも「言葉の達人」
このコーナーもすでに3回放映された。国語辞典「大辞泉」に載せる言葉の新しい解釈を試みようとするものである。題して「国語辞典をアップデート」。レギュラー陣とゲストが「達人」目指して新解釈に挑戦する。これを小学館「大辞泉」の編集長、板倉俊氏が判断する。これまでに出題された言葉は「大人」「結婚」「涙」の三つ。その解説内容の出来栄えによって「達人」「入選」「未熟」が判断される。

その中にあって異彩を放っているのが木下優樹菜である。三つのテーマすべてが「達人」の評価を受けた。ユッキーナのこの隠れた才能に驚かされる。彼女の鋭い解釈は次の通りである。
解釈
「大人」 一年365日を異常に早く感じてしまう人
「結婚」 お米の固さの好みを受け入れること
「涙」 溢れる感情の結晶

「涙」の解釈が「達人」に認定された時のユッキーナの説明は次の通り。
『涙って悲しい時だけじゃなくて、嬉しい時も、楽しい時も溢れる涙だと思うから、それをどうにかまとめたくて悲しい時だけじゃないよって、溢れる感情というのにまとめて、涙はロマンチックなものだから綺麗にしたくて結晶という風に・・・』

この解釈に板倉編集長はこう言う。
『辞書は出来るだけ短く、その中でどれだけ情報を入れるかが大切で、理想的な解説のやり方。30年辞書をやってますけど、僕、この文書を読んだとき“嫉妬”を感じましたからね。出来れば一緒に辞書つくりませんか。』
ユッキーナの才能は、日本の辞書づくりのトップに君臨する人が”嫉妬”するほどの鋭い感性だった。