這えば立て、立てば歩めの親心 | 随筆のページへ トップページへ File No.130914 |
先月末、総務省は日本の総人口が4年連続減少したと発表した。生産人口年齢が前年比▲124万人と大幅に減少し、800万人を割り込んだという。その一方で、65歳以上が3000万人を突破した。2025年には団塊の世代すべてが75歳以上なる。その時、全人口の5人に一人が75歳以上になり、社会保障費が150兆円になるという。このままでは消費税を3〜5%上げたところで"焼け石に水"である。そのため社会保障国民会議は、これに対応する社会保障制度2025年日本モデルを、政府に提案した。これを大まかに言うと、年齢に関係なく払える人に払ってもらうという制度への転換である。若い人からだけ搾り取るのはもはや限界である。社会保障制度を破たんさせないためには、女性、高齢者の如何を問わず、働ける人には働いてもらって支えてもらう。年金の支給も相応に縮小均衡にならざるを得ない。つまり、みんなが痛みを分け合うことになる。国民に痛みを納得させるだけの説得力ある説明が必要である。 |
我々の世代はすっぽり高度成長期にはまり、右肩上がりの成長で、年功序列、終身雇用が普通だった。夫が稼いで妻は専業主婦という構図が成り立っていた。ところが社会保障制度を破たんさせないために、女性、高齢者の如何を問わず、働ける人には働いてもらうという時代になってきた。低成長時代に入って、共働きという家庭も多くなってきたが、それは家計を支えるという面だけではない。女性の社会進出という一面もある。しかし、育児・家事は女性の役割という固定観念が今だ一般的である。2011年の社会生活基本調査によれば、家事育児時間は、男性は女性の8分の1に過ぎないという。育児休暇の取得も、女性の90%に対して、男性はほんの3%足らずで極端に少ない。女性の活躍を成長戦略のひとつとする安倍首相は、3年間の育児休暇の方針を打ち出した。女性の社会進出が時代の要求であり、流れであるならば、高度成長時代の概念を打ち破らなければならない。それは男性側の責任である。 |
今朝の新聞に「待機児童なお2万人」と出ていた。その中で福岡市は全国でワースト2位だという。ただし待機児童2万数千人というのは、認可保育所への希望者である。認可保育所をあきらめた潜在的な待機児童が相当おり、正確な実態は把握できていない。待機児童の問題は、単に保育所をつくれば解決するという単純な問題ではない。深刻なのは保育士の絶対人数の不足である。2万人の新たな保育士が入ってきても、3万人の保育士が辞めていく。穴の開いたバケツに一生懸命水を注いでいるようなものである。これではいつまで経っても問題は解決しない。もともと保育士は、子供が好きで、子供たちと触れ合い、寄り添って生涯の仕事にしたかった女性たちであろう。それが現実とのあまりのギャップに失望して辞めていく。「低賃金」「過重労働」「保護者からのクレーム」。保育士は、覆いかぶさる肉体的、精神的重圧に押しつぶされる。一旦辞めた人がほとんど復帰しないことが、その深刻さを物語る。政府も含めて、保育士を取り巻く全ての関係者は、なぜここに最優先でメスをいれないのか。保育士という職業を魅力あるものにしないのか。3歳までが人の個性や能力の基礎をつくる最も大切な時期であることを肝に銘じてほしい。 |
子供に対する親の気持ちというのは、いつの世も変わることはない。生まれたばかりの赤ちゃんに感動することから始まり、「這えば立て、立てば歩めの親心、我が身につもる老いを忘れて」である。幼稚園の運動会で一生懸命走る姿、ランドセルが歩いているような一年生、入学・卒業といった節目節目で、その成長に目を細める。成長し巣立っていく子供の将来が、本当に幸せであってほしいと願わない親はない。その将来にはどんな世界が待ち受けているのだろうか。今、生まれた子供たちは、おそらく22世紀を見ることができる。その時世界の人口は100億とも言われる。高齢化や水・食糧不足といったことが地球規模で問題になるというが、人類には知恵がある。何らかの解決策を見いだすに違いない。そう信じたい。それに応えなければならないのが政治である。しかし、一方でしっかり将来を見据え、自己防衛をしておくことも大切な時代になる。 |
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2013/11/08 | 2013/11/22 |