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二葉亭四迷「浮雲」

先日、フリーマーケットで二葉亭四迷の復刻版「浮雲」第1篇・第2篇、二冊セットの超美品を見つけた。復刻版というところが魅力である。当初これを買った人は、一回も手を触れていないのではないかと思えるほど良い状態だった。さらにその値段を見て驚いた。パラフィン紙に包まれたこの美品が、なんと100円だった。これを見逃しては悔いが残る。早速購入した。「浮雲」は明治20年、二葉亭四迷が発表した小説であるが、表紙を見ても分かるように、当時無名だった二葉亭四迷は、坪内雄蔵として発表している。"雄蔵"は、坪内逍遥の本名である。この小説は、「言文一致体」で書かれた近代小説の始まりと言われる作品である。何事も最初に事を成したということは偉大である。復刻版ということで、当然文章も、旧かな使いで書かれており、多少読みにくさはあるが、それはそれで明治時代の味わいである。挿絵、装丁からも当時の雰囲気が伝わってくる。旧かな使いも、かまわず読み進んでいくうちに、小説の内容に引き込まれ、気にならなくなる。

内海文三は、学問がよくでき、まじめ一方の男である。学校を卒業し、父親を亡くしたこともあり、東京の叔父の家に居候することになった。叔父・孫兵衛の家には、孫兵衛の女房・お政と娘のお勢がいた。お勢は、やんちゃながら、なかなか利発な娘である。そんなお勢に魅かれていく文三だった。やがて文三は、某省の官吏となり、順調にいくかにみえた。ところが突然、諭旨免職となってしまう。収入の無くなった文三に対して、お政は手のひらを返したように冷たくなる。そこに同じ某省に勤める、文三とはまるで正反対の性格の本田昇が、お勢目当てに足しげく通ってくる。本田は、課長に取り入るのがうまく、何かにつけ課長のご機嫌うかがいをしていた。何の落ち度もない文三が免職になり、本田が免職を免れ、昇給までしたのは、そこに違いがあったのだ。お政はそんなムードメーカーの本田を気に入り、失職した文三に辛く当るようになる。それでも、お勢に魅かれる文三は、耐えるしかなく、もんもんとした日々を送る。

夏目漱石は「草枕」で「・・・意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」と書いた。内海文三がまさにそうである。謹厳実直で融通の利かない人物は、何の落ち度もないのに、えてして損な人生を送るものだ。いつの世にも文三のように、世渡りの下手な人間と、「人間、地道に事をするようじゃ役に立たぬ」と口八丁手八丁で世の中を泳ぎまわる本田のような人間がいる。本田が、文三の復職を課長に橋渡しをしてやろうかと持ちかける。しかし、文三はそれを断る。文三のような人間は、本田のように誠実さに欠ける人間を軽蔑している。「あんな卑屈な奴・・・課長の腰巾着・・奴隷と言われても恥とも思わんような犬・・・犬猫同前な奴に手をついて頼めとおっしゃるのですか」。文三が本田の申し出を断ったのは、プライドが許さなかったのだが、断って正解である。"團子坂の観菊"を見れば、本田が気難しい課長にとりなすなどありえない話である。ただ、どういう生き方が良かったのかは、一生を終わるとき、自分の胸に問うてみてはじめて結論が出る。

"團子坂の観菊"のところでは、本田と一緒に行っているお勢のことを思って、あーでもない、こーでもないと乱れる心に押しつぶされそうな文三の心の動きがリアルに表現されている。そうかと思えば、お政「ヘーヘー恐れ煎り豆はぢけ豆ッあべこべにご意見かヘン親の謗りはしりよりか些と自分の頭の蠅でも逐うがいゝや面白くもない」。なんだか寅さんの啖呵売のような勢いが伝わってくる。四迷は「小説総論」のなかでこう書いている。「浮世の形を写すさえ容易なことではなきものをましてや其の意をや。浮世の形のみを写して其意を写さざるものは下手の作なり。写して意形を全備するものは上手の作なり。意形を全備して活たる如きものは名人の作なり」。四迷は、人間に潜む心理を探り、それを活き活きとえがこうとした。その表現方法として、当時では先駆的な表現技法である「言文一致体」を用いたのである。それはその後の作家に受け継がれ、今ではごく当たり前の表現方法になっている。



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