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File No.130518

長谷川祐子著「キュレーション〜知と感性を揺さぶる力〜」には、キュレーターの本質が詳しく述べられている。ではキュレーターとは何か。この本の表紙にキュレーターの役割が端的に書かれている。「鑑賞するという体験を通して、芸術作品はその都度立ち現れる。どのような空間、文脈、関係性で見せるかというキュレーションのあり様により、その体験は異なってくる。その仕掛けを創造するのがキュレーターの役割である」。展覧会のコンセプトを鑑賞者が的確に把握し、その内なるものを湧き立たせるためには、どのような新鮮な切り口で観せるかということである。それを表現するための手段としての「空間」であり「文脈」であり「関係性」なのだ。長谷川氏の手がける展覧会は、多様な解釈を生む「現代アート」である。今だ観る機会に、巡り合ってはいないが、まんまとその術中にはまって、洗脳され、異次元空間を浮遊してみたいものだ。

金沢に「21世紀美術館」というのがある。長谷川氏は、この美術館の立ち上げに関わっている。そこには長谷川氏の「空間とアートが一体となって人々の意識に働きかけ、これを活性化するようなギャラリーのありかた」という思想が生きている。この美術館がつくりだす空間では、作品だけではなく、それに反応した観客の存在さえもひとつのアートとして機能する。つまり作品と鑑賞者が共鳴し合い、一体となってアートを完成させるのである。それは長谷川氏の言う「情報に反応していく情報化された身体」につながるのかもしれない。「スイミング・プール」という作品なら、反応した自分を現代アートの一部として積極的に発信できる作品になる。またこの美術館をデザインした西沢氏の「美術館空間を透かして見える外の世界までも異化してしまう相互浸透性をもった非日常」という概念は、さらにアートと一体化する空間を、我々の日常にまで広げる。それはまさに長谷川氏の思想に通じるものである。

現代アートを語るには、ニューヨークの「MOMA」を避けては通れない。1929年に創立された「MOMA」は、現代美術の100年近くをリードしてきた。当時、まだ現代アートという概念が一般的ではなかった時代である。その先進性によって、収蔵作品のレベルの高さは他の追随を許さない。ピカソの「アヴィニヨンの娘たち」は、キュビスムの起源とされる作品である。ポロックの作品「No.1」は、「MOMA」が評価することで世間が認めたといえるかもしれない。アンディ・ウォーホルの「ロールシャッハ」は、鑑賞者が自由に解釈し、作品と会話する現代アートを象徴のような作品といえる。MOMAが収蔵するのは、絵画だけではない。映像、写真、デザイン、建築など多岐にわたる。日本の食品サンプルなどもあるらしい。そして、一番重要なことは、それを支えるニューヨークという街、アメリカという国にアートという文化がしっかり根付いているということである。

長谷川氏は著書の中でこう言っている。「アーティストとの関わりの中で、キュレーターの仕事で最も興味深いのは、彼らの新作制作に関わることである。それはただ制作を手伝うというのではなく、ひとつの展覧会を創るときのように、コンセプトから関わっていくことを指す」。キュレーターは作家に対して、情報収集や知識の提供を行い、内容についてのアドバイスを行うと書いている。アーティストの新たな芸術表現にキュレーターが深く関わっている。MOMAは第1回展で「セザンヌ・ゴーギャン・スーラ・ゴッホ展」を開催している。つまりそれらは当時、現代アートという認識だったのである。キュレーターが「新たな芸術表現を次々と歴史の通時的な軸の中に組み込み、文脈化していく」とすれば、アーティストの新たな作品に関わるキュレーターは、ある意味アートの歴史をもコントロールをしていると言える。ただそれは、長谷川氏という存在によるところが大きいのかもしれないのだが。



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キュレーション
〜知と感性を揺さぶる力

著  者:長谷川祐子
発行所:株式会社集英社(集英社新書0680F)
第一刷:2013年2月20日


21世紀美術館・全景

21世紀美術館・スイミング・プール