国民栄誉賞表彰式
[ スピーチ集 ]
随筆のページへ

トップページへ

File No.130505

観る人みんなが感動で涙した、そんな最高の表彰式だった。

松井秀喜氏・引退セレモニー
松井氏: 「ジャイアンツファンの皆さま、お久しぶりです。2002年、ジャイアンツが日本一を勝ち取った直後、ジャイアンツに、そしてファンの皆さまに自らお別れを伝えなくてはいけなかったとき、もう二度とここに戻ることを許されないと思っていました。しかし今日、東京ドームのグランドに立たせていただいていることに、今感激で胸がいっぱいです。
1992年のドラフト会議で、私をジャイアンツに導いてくださったのが長嶋監督でした。王さんのように1シーズンでホームランを55本打てるようなバッターを目指せと背番号55番を頂きました。将来は立派にジャイアンツの4番バッターを務めなければいけないと思い、日々努力したつもりです。ジャイアンツの4番バッターをまかせていただけるようになり、誇りと責任をもって毎日プレーしました。
ただ、その過程には常に長嶋監督のご指導がありました。毎日々々二人きりで練習に付き合って下さり、ジャイアンツの4番バッターに必要な心と技術を教えていただきました。また、その日々がその後の10年間、アメリカでプレーした私を大きく支えてくれました。このご恩は生涯忘れることはありません。
今日ファンの皆さまに久しぶりにお会いしたというのにもかかわらず、再びお別れの挨拶となってしまい、もう一度プレーする姿をお見せできないのは残念ですが、これからも僕の心の中には、常にジャイアンツが存在し続けます。
どういう形わかりませんが、またいつか皆さまにお会いできることを夢見て、また新たに出発したいと思います。
ジャイアンツでプレーした10年間、そしてアメリカでプレーした10年間、いつもいつも皆さまからの温かい声援が僕に元気を与えてくれました。ファンの皆さま、永い間本当に、本当にありがとうございました。」

国民栄誉賞表彰式
長嶋茂雄氏への表彰状
安倍首相: 「表彰状 長嶋茂雄殿
あなたは闘志あふれるプレーと驚異的な勝負強さにより、我が国野球史上に数々の輝かしい功績を残し、多くの国民があこがれ、誰からも愛される野球界の生んだ国民的スターとして、野球界の発展にきわめて顕著な貢献をされるとともに、国民に深い感動と社会に明るい夢と希望を与えました。よってここに国民栄誉賞を贈り、これを表彰します。」
         平成25年5月5日 内閣総理大臣 安倍晋三
松井秀喜氏への表彰状
安倍首相: 「表彰状 松井秀喜殿
あなたは野球界において、ひたむきな努力と真摯なプレーにより、日米両国を舞台にした世界的な功績と新たな足跡を残すとともに、日米両国の多くの国民から愛され親しまれ、その数々の輝かしい活躍は、社会に大きな感動と喜びを与え、多くの青少年に明るい夢と希望を与えました。よってここに国民栄誉賞を贈り、これを表彰します。」
         平成25年5月5日 内閣総理大臣 安倍晋三




安倍総理大臣・お祝いのことば
安倍首相: 「安倍晋三です。長嶋監督、松井選手、おめでとうございます。長嶋さんの演じた数々のメイクドラマ。アンチ巨人だった私も手に汗握りながらラジオの前で耳を傾けていました。そして日米ファンのど肝をぬいた松井選手の大きなホームラン、お二人のあの活躍は今でもたくさんの日本人の目に焼き付いています。
文句なしの国民栄誉賞。皆さんそう思いませんか。
お二人が登場する、そうした瞬間にぱっと空気が変わり、この会場も何か明るくなった気が致します。この明るさこそ私は、私たちが今求めているものなんだろうと、こんなように思います。この10年間、日本は景気が低迷し、暗い雰囲気がありました。この雰囲気を変えなければいけない。そんな思いも込めて、お二人に国民栄誉賞を贈りました。
今日は子供の日です。たくさんの子供たちが今日この球場にやってきてくれています。これからもお二人にはたくさんの子供たちに夢を与え続けてもらいたいと思います。
そして私たちみんなが夢をもって、それに向かって一生懸命頑張っていくことこそが四本目の矢になると私は信じています。これからもどうかお二人ともお元気で頑張っていただきたいと思います。お二人とも本当におめでとうございました。ありがとうございました。」

長嶋氏と松井氏から、皆さまへごあいさつ
長嶋氏: 「国民栄誉賞をいただきまして、本当にありがとうございます。松井君も一緒に伴って、ありがたくお礼申し上げます。ありがとうございます。ファンの皆さま本当にありがとうございます。よろしくお願いします。」
松井氏: 「私はこの賞をいただき大変、大変光栄ではありますが、同じくらいの気持ちで恐縮もしております。
それは王さんのようにホームランで、衣笠さんのように連続試合出場で、なにか世界記録をつくれた訳ではありません。長嶋監督の現役時代のように、日本中のファンの方々を熱狂させるほどのプレーができたわけではありません。
僕が誇れることは日本のすばらしいチームでプレーし、すばらしい指導者の方々、チームメイト、そしてすばらしいファンに恵まれたことです。
今後偉大なお三方の背中を追いかけ、日本の野球のそして野球を愛する国民の皆さんの力に少しでもなれるように努力していきたいと思います。
このたびは身に余る光栄ではありますが、ただただ私を支えてくださったファンの方々と、そして私が野球でかかわったすべての方々に感謝申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。」

随筆のページへ トップページへ

国民栄誉賞表彰式・写真集




始球式の場内アナウンス (これも当時のアナウンスを復活させたという)
バッター、 4番 サード 長嶋 背番号3
ピッチャー、 松井秀喜 背番号55
キャッチャー、 原辰徳 背番号88
審判、 第96代 内閣総理大臣 安倍晋三 背番号96

受賞後の公式記者会見
長嶋氏への一問一答
☆今の気持ちは?
「かつてないセレモニーだった。ファンのみなさんに一緒に喜んでいただけたことに、御礼申し上げます」
☆松井氏との思いでは?
「一年目が強く印象に残っている。スイングをつくる1000日計画でやった。あれが非常に印象に強い」
☆松井氏にはどのような道を歩んでほしいか?
「野球一筋だと思う。日本人としてやるからには、国民に対して応援するような形でやるべきだと思う。そういう気持ちで野球道に集中してほしい」
松井氏への一問一答
☆受賞の気持ちは?
「今後に対しての責任が大きくなった。身の引き締まる思い。人生の師匠と一緒にいただくのは申し訳ない気持ちもあるが、背中を追い続けたい。その素晴らしいきっかけをいただいた」
☆長嶋氏の受賞は?
「国民の誰よりも、僕がうれしく思っている」
☆長嶋氏との思いでは?
「毎日のように指導していただいた。一番印象に残っているのは1994年10月8日の試合で監督を胴上げできた瞬間。今でもつい最近のように思い出す」
☆野球で学んだこと?
「数えきれないくらいある。長嶋監督が『野球とは人生そのもの』という言葉を残したが、まさしくその通りだと思う」

※追伸;松井氏に巨人軍の監督やコーチといった話が聞こえてくるが、特定の球団の一員になってはいけない。ましてや55番を欠番にせず、すでにこの背番号をつけている選手のいる巨人には絶対戻ってはいけない。



2013/06/02 ヤンキース松井氏、引退試合
「一日だけ」契約
米大リーグ、ヤンキースは、2009年のワールドシリーズ制覇などに貢献した松井秀喜氏の引退記念式典を、7月28日(日本時間同29日)にヤンキースタジアムで行なうと発表した。松井氏は一日限定の契約を結び、ヤンキースの一員として最後の花道を飾る。松井氏の代名詞だった背番号55にちなみ、ヤンキースの今季日程で55試合目のホームゲームにあたる7月28日のレイズ戦が開催日に選ばれた。式典は試合前に行われる。
カレンダー⇒⇒⇒
アメリカ「TIME誌」の表紙を 野球カードにしたもの⇒⇒⇒