生命とは | 随筆のページへ トップページへ File No.130423 |
先日、BSのテレビの番組・コージ魂に「生物と無生物 遺伝子の謎!」というテーマで、生物学者の福岡伸一教授が出演されていた。福岡教授の著書「生物と無生物のあいだ」は、70万部を超えるベストセラーだという。控室で司会の加藤浩次さんは「生命とは」を聞きたいと言って収録に向かった。こういう大きなテーマでも、福岡教授は解りやすく解説してくれる。その「生命とは何か?」であるが、20世紀の生命科学が到達したひとつの答えが「自己複製を行うシステム」である。著書の中で面白かったのがウィルスは生命かという問題だ。純粋なウィルスは濃縮すると結晶化する鉱物に似た物質だという。単体では生命の律動はないが、細胞に寄生することによって「自己複製をする」すなわち「生物と無生物のあいだをたゆたう何者かである」らしい。今だに決着はついていないようだが、福岡教授としては「ウィルスは生物であるとは定義しない。つまり"生命とは自己複製するシステム"という定義は不十分である」としている。 |
「生の定義」があれば「死の状態」についても定義しなければならない。教授いわく「"形あるものはすべて必ず壊れてしまう"というのが宇宙の大原則」。秩序があるものは、必ず秩序が無くなっていく方向にしか動かない。これを「エントロピー増大の大原則」という。これについては何年か前に学習したことがある。「死」とは「生体を構成していた物質集団のエントロピーの動きが客観的自然界のエントロピーの動きと等しい状態」ということだった。エントロピーとは、無秩序を表す尺度であり、エントロピー最大の状態が、すなわち"死"である。生命がこの大原則と闘って、秩序を維持し続けていく唯一の方法が、周囲の環境から"負のエントロピー(=秩序)"を取り入れることである。簡単に言うと食物を食べ続けるということである。しかし、「負のエントロピーが、正のエントロピーを上回っている状態」すなわち「生の状態」がどう抗おうとも所詮宇宙の大原則に勝てるわけもない。 |
テレビで福岡教授はこんなことも言っていた。「氏より育ちが大事だと思っている」。それは遺伝子がチーム編成したとしても、環境がどういう風にその遺伝子に影響を及ぼすかということも大事だという。教授によれば「細胞は空気を読む」らしい。ちょっと的外れかもしれないが私は常々から、細胞は置かれた環境を学習し、それを遺伝子に書き込んでいると思っている。世界に広がる人種を見れば確実にそう思えるのである。本来人類はアフリカから出て、世界各地に散っていった。だから出自は同じである。にも拘わらずこれだけ、体つき、性格、ものの考え方などあらゆるものが違っている。それは生きてきた環境を、長い間に細胞がDNAに書き込んできたからである。日本人は四季に恵まれ、自然に感謝しながら生きてきた。その環境が豊かで繊細かつ鋭い感覚を育んできたのである。極論すれば、日本が世界に誇る文化は、環境が遺伝子に与えた産物だとも言える。 |
福岡教授が提唱する新しい生命観は「生命とは動的平衡にある流れ」という定義である。教授いわく、一つの部品が欠けても、残りの遺伝子が分担を変え、チームを再編成して欠落した部品をカバーする。こういうことができることが生命の大事な定義だという。我々が摂取したタンパク質は、分子レベルまで分解され、身体のあらゆる所の部品となり入れ替わる。つまり我々の身体の中では、常にチームの再編成が行われている。1年経てば全てが新しい部品から成る個体に生まれ変わっている。このバランスを保ちながらの流れこそが生きているということであり、これが「動的平衡」と呼ばれる新しい生命観なのだ。「秩序は守られるために、絶え間なく壊されなければならない」。それは古い部品は壊され、原子分子となって再び宇宙を構成するということを意味している。言ってみれば、生命とは、宇宙で離合集散を繰り返している物質の、ある一瞬に現れた秩序だとも言える。 |
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「生物と無生物のあいだ」 講談社現代新書 2007年5月20日第一刷 著 者:福岡伸一 発行者:野間佐和子 発行所:株式会社講談社 |