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File No.130211


今日は「建国記念の日」である。昭和42年から数えて、今年は第47回となる。近年の周辺国の不穏な動きに、国民がこれほど危機感を持ったことはない。そういう意味でも、日本の誇りある歴史を振り返り、心の中の愛国心を改めて確認する日としたい。ところが教育界は、日教組という左翼に汚染され、教育委員会という何の役にも立たない組織が大きな顔をしている。危機的状況にあるが、本来日本という国はそんな国ではない。日本は豊かな自然に育まれ、長い歴史の中で繊細で研ぎ澄まされた感覚を作り上げてきた。そうして世界にも類を見ない、独特の文化が花開いた。平安時代、かな文字を生み出し、「源氏物語」「枕草子」などの国文学が発達した。19世紀後半のパリ万博をきっかけに、西欧に衝撃を与えたジャポニズムなどにもみてとれよう。そうした長い歴史の中にあって、常にその中心にあったのが天皇である。この歴史こそ世界に誇れることである。

伊勢の神宮は、天皇の祖先を祀る神社である。今年は20年に一度の式年遷宮の年にあたる。今年の式年遷宮は、第62回となり、1300年連綿と続く儀式である。毎年、神宮には800万人が訪れる。今年は1000万人を予想しているというから、江戸の昔から文字通り「日本人の心のふるさと」である。この私も40数年前、内宮の近くにある「修養団」で講義を受けたことがある。丁度今頃の時期だったと思う。数日間の修養の締めくくりは、五十鈴川での禊(みそぎ)だった。式年遷宮は、20年に一度、すべてのお社が造り変えられる。それはお社だけでなく、1576点もの御装束神宝も新しくなる。この20年に一度というのが、1300年の昔の文化が引き継がれるのに実によいスパンである。ほぼ三代が携わることによって、全く同じ技術、仕来たり、価値観が、寸分たがわず受け継がれていく。そうして迎える式年遷宮では、500人を超える神職の手で厳かに執り行われる。新しくなりながら、変わらずにある。それこそが神道の世界である。

倭姫命により、日出るところ伊勢が神宮の地と定められた。内宮には、太陽の神・天照大神が主祭神として祀られている。皇室の祖先である。日本という国号は「日出ずる国」を意味し、天照大神がそれを象徴している。外宮に祀られているのが豊受大神である。邪馬台国の時代、国を治めたのは"卑弥呼"であり、その後を受け継いだのが"トヨ"である。これだけでも邪馬台国を想起させるが、さらに皇室に伝わる三種の神器は、卑弥呼のふるさと伊都国(と私は思っている)に伝わるものであり、その神器のひとつ八咫鏡の大きさは、伊都国の鏡(内向花文鏡・直径46.5cm)と同じ大きさだという。神武東征は事実に基づく神話である。話しはそれてしまったが、すべてを育む太陽に感謝し、神宮を包み込む大きな木々に永遠の命を感じ、五十鈴川の清らかな流れに身を清める。自然の恵みを受け、命が廻り、伊勢に"常若(とこわか)"の世界が続いていく。

『何ごとのおはしますかは知らねども かたじけなきに涙こぼるる』これは西行法師が神宮に参拝したときに詠んだ歌である。神宮には様々な神様が祀られている。神宮というのは、伊勢にある125に及ぶ神社の総称である。水の神様、土の神様などあらゆる自然に神様がおいでになる。"何ごとのおはしますかは知らねども"と詠まれたように、古来より日本人は、自然の中に神を感じてきた。最古の神社である「大神神社」は、本殿はなくお山そのものがご神体である。自然の中に神々感じ、敬い、その恵みに感謝し"かたじけなきに涙こぼるる"。神宮の神域に立てば、その凛とした空気に、自ずと背筋が伸び、清々しさに包まれる。それこそが日本人の世界観を形成してきた根源と言える。「式年遷宮」の年の「建国記念の日」にあたって、改めて思ったことである。

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伊勢・修養団講習会・参加記念写真