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File No.130112

この年始のテレビの特番で、ちあきなおみの歌う姿を二度観た。彼女が活動を停止して20年になった今も、こうして放映されている。彼女の歌に酔い、なお復活を望むファンがいかに多いかを物語る。彼女が出演した最後の歌番組の映像も流されていた。歌っていたのは「黄昏のビギン」だった。ナレーションでは「ちあきの世界を表現した最高傑作といわれている」と言っていた。彼女の歌のうまさは、歌唱力とか表現力とか、一般的な表現では言い表せない。歌唱力にしても表現力にしても、どこか技術的なニュアンスがある。そんなものを超越している。船村徹氏は「音符の裏を読んで歌う歌手」と言ったという。ちあきなおみの歌をつくるとき、作曲家も、作詞家も、編曲家も、この曲をちあきなおみはどう歌ってくれるのだろうか、と相当の期待をもって送り出したに違いない。

久々に「紅とんぼ」を堪能させてもらったが、実に絶品であった。名曲「紅とんぼ」は、ちあきなおみの魔力をもって、遥かに高い次元の歌となっている。サラリーマン相手の良心的な小さな酒場。ママさんは、40代だろうか。そこはかとない色気があって、ただ話しているだけで心が安らぐ。仕事のぐちを聞いてくれ、心を軽くしてくれる。チーちゃんなんかは、きっと秘かにママさんが好きだったちがいない。ママさんも、常連のケンさんなんかに、好き以上の気持ちを持っていたかもしれない。しかし、妻子があり所詮かなわぬ恋だった。彼女が歌うと、そんな情景が目に浮かぶ。心の奥深くに沈んでいる哀感を歌わせたら、彼女の右の出るものはいない。

昨日、ミュージックステーションで、「恋うた80選 昭和vs平成」という番組をやっていた。それを見ていて何となく思った。わたしの個人的な感覚かもしれないが、2000年を境に曲の質が違ってきているような気がする。20世紀の歌は、それなりに耳に残っていたが、21世紀になると、突然分からない曲だらけになる。それはメディアの進化によるところも大きいかもしれない。"100万DL"となっている曲も、まるで聴いたことがない。つまり、現代100万人が聴くヒット曲は、100万人だけのものなのである。レコード大賞は、今や誰の何という曲が獲ったのか、どんな曲なのかほとんどの人が知らない。1972年、ちあきなおみが「喝采」で大賞を獲ったときの視聴率は46.5%だった。

テレビを見ていると、歌手によっては、なぜか音符を延ばしたり、縮めたりして歌っているのをよくみかける。私が思うに、歌唱力が落ちてきたのをカバーするためのような気がする。その歌は、ある人にとって、青春の一頁と相まって、心に懐かしさが広がるような曲かもしれない。その自覚のない歌手が、自分のもの(歌)だと勘違いしているのである。年と共に歌唱力が落ちるのはやもうえない。そうであっても、これは歌手としての姿勢の問題である。ちあきなおみが歌っている映像を見ると、すべての曲を丁寧にきちんと歌っている。天才的な歌手と比べるというのも酷な話だが、それが歌手として「曲」と向き合うということである。ちあきなおみという不世出の歌手の復帰を願うファンの声は今後も止まないだろう。もはや彼女の存在は神話と化し、日本の歌謡界に君臨し続ける。



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