地図(2) | 随筆のページへ トップページへ File No.121118 |
先日、日見子がこう言った。「高速走っている時、ちょっと気になる山があるのよ」。その山は糸島市街地から見ると、北北東の方向にあり、三角の形をしている。日本昔話に出てきそうな典型的な三角おにぎり山である。帰って早速、5万分の1の地形図を確認してみた。私は机の透明マットの下に、地形図を敷いている。これを見ると志摩方面には、250mの天ヶ岳(左側)と254mの柑子岳(右側)がある。この二つの山の前には、100mクラスの山が4つ連なっている。これからすると恐らく「柑子岳(こうしだけ)」ではないかと思われる。地形図の等高線の状況からも、南側(左の図では下側)から見ると、そう見えそうである。ということで早速、現地確認に出かけた。だが、残念ながらこの三角の形を確認できるはずの南側からは、竹やぶや小高い丘などに阻まれ確認することができなかった。 |
地元の人聞くと、この山は「山城」跡で小学生が遠足でよく行くという。
現地案内板があるというので行ってみた。これは草場側の登山口に立っていたものである。
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伊能図(一部) |
さて、地図といえば伊能忠敬を忘れるわけにはいかない。伊能忠敬は江戸時代、全国を測量し、日本で初めて精密な地図「日本沿海與地全図」を作った。それは足かけ17年、地球一周に匹敵する約4万キロを歩いて実測した。当然、この柑子岳の付近も文化九年(1812)、今から丁度200年前、測量している。ただし、糸島を測量した時、二手に分かれ、この東側は別動隊の「坂部組」が測量している。その様子を拾ってみた。
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"地図を楽しむ月刊誌「地図中心」"の2012年10月号(通巻481号)の特集は「地図のある授業風景」だった。その巻頭に加藤敦史氏(立命館慶祥高等学校教諭)が「われわれは国土を、どのように描いてきたのか」という文を寄稿している。その中にはこう書いてある。「地図は国家のイメージを自ずと人々の心に形成させる道具であり・・・」「発想の転換や新たな価値観、さらには日本人のアイデンティティの育成など地理・地図教育には非常に重要で大きな可能性があると考える」。我々は国家という形のないものをイメージするとき、日本全体の地図をよすがにしている。伊能忠敬が精密な日本の姿を現わしたとき、幕府もまた新たな国家感を抱いたに違いない。現在で言うなら、月から見る地球の姿からイメージするグローバル感といったものかもしれない。地図が表しているのは地形だけではない。人間が日々営んできた歴史もまた教えてくれる。いろいろな地図の中にある情報は、読み取る人に新たな価値観を与え、更にそこから何かを芽生させる。 |
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唐津街道・前原宿 辰美商店という陶磁器屋さんの前にこの立札が立っている。 |