随筆400号・記念号
   
映画「北のカナリアたち」を観て
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File No.121104
「北のカナリアたち」は、東映創立60周年記念としてつくられた映画である。湊かなえさんの「往復書簡」のなかの「二十年目の宿題」をもとに、「北の零年」の那須真知子さんが脚本を手がけた。監督は「大鹿村騒動記」の阪本順治監督、撮影は「劔岳・点の記」の名キャメラマン・木村大作さんなど、記念作品に相応しいスタッフと、俳優陣たちがチームを組んだ。こうしてみると三つの映画いづれも、私が感銘を受けた作品である。映画女優・吉永小百合さんの俳優歴55年の節目の作品として相応しい映画となった。撮影されたのは日本の最北端の地、稚内、利尻島、礼文島などである。昨年12月から今年1月の極寒の中で行われたという。木村大作さんいわく「厳しさの中にこそ、美しさがある」。物語はいわゆるミステリー作品ではなく、人の心の中の葛藤や動きといった内面を描いていく感動のヒューマンドラマと言ったほうがいいかもしれない。ラストは泣きます。

図書館で20年働く川島はる(吉永小百合)は、定年を迎えようとしていた。はるは定年後、温泉でゆっくり過ごそうとしていた。しかし、はるの心のなかには、この20年間抜くことのできない棘(とげ)が刺さっていた。そんなはるのところへ二人の刑事がやってくる。はるの教え子のひとりが殺人事件を犯したというのである。はるは20年前、北海道の離島で小学校の教師をしていた。受け持ったのは、わずか6人の生徒たちだった。はるは、生徒のひとり、吃音に悩む信人の歌の才能を見出す。これをきっかけに教室に、野原に、「カリンカ」や「この広い野原いっぱい」など、明るく生き生きとした子供たちの歌声が響き渡るようになる。ところがある夏の日、不幸な事故が起きる。子供たちと、はる先生と、はるの夫・行夫(柴田恭兵)たちは海岸でバーベキューをしていた。ひとりの女の子が、断崖から足を滑らせ海に落ちたのだ。女の子は助けられるが・・・。この事故によって、子供たちの心の中に、深い傷を残すことになる。

映画の公開にあたって小百合さんは、全国を飛び回り、頻繁にメディアに登場した。そんな小百合さんは、まるで魔法にかけられたかのように、年を重ねるごとに美しくなっていく。それは何故だろうか。小百合さんの水泳歴は長い。映画の中でも生徒を助けるために、服のまま泳ぐシーンがある。最近では背泳ぎ、バタフライにも挑戦しているという。そんなスポーツ好きもひとつの要因だろう。しかし最大の要因は、小百合さんの知性が放つ輝きである。今回の共演者やスタッフたちから聞こえてきたキーワードは「凛とした佇(たたず)まい」だった。それこそ小百合さんの知性が発するオーラであり、存在感である。さらにサユリストとしては、もう一つ付け加えておきたい。小百合さんは、日本を代表する映画女優として、多くの人の注目を集め、常に見られている。それがあの美しさに磨きをかけている。つまり、サユリストたちの熱い視線が、あの美しさに少なからず貢献していると思いたい。

はる先生や生徒たちの心の中に刺さった棘のように、人はそれぞれ心に何らかの越え難い壁を抱えている。その壁は往々にして、自分自身で作ってしまったものである。前に進み、生きていこうとするならば、その壁を乗り越えなければならない。阿部の心の奥深く沈み込んだ高い壁はどうしたらいいのか。「送ってあげなさい。あの人に言ってほしいんだ。決して死ぬなと。生きろと」。心と心が寄り添うことで、その壁を低くしていくことはできる。それが愛情という形にかわったとしても、責められないのかもしれない。生徒たちの中にあった壁もまた、はる先生の温かい心が溶かしていく。直樹と結花の間に20年来横たわっていた壁も、はるが助言した「黙って手をさしのべればいい」というひとことで溶け、一気に二人の感情は燃え上がる。信人が言う「僕、生きてていいんだよね。生きなきゃいけないんだよね」。映画が投げかけているのは「生きる」ということの意味である。


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東映創立60周年記念作品
映画「北のカナリアたち」
2012年11月3日公開

監督:阪本順治
撮影:木村大作
原案:湊かなえ
脚本:那須真知子
音楽:川井郁子


出演:吉永小百合、柴田恭平、仲村トオル、里見浩太朗ほか

日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎賞
吉永小百合さん、「主演女優賞」を受賞

小百合さんが「北のカナリアたち」で、主演女優賞を獲得した。
この授賞式でサプライズが用意されていた。
それは渡哲也さんから花束の贈呈だった。
渡さんは「美貌だけじゃなく人としても美しい」と称賛した。
渡さんも「北のカナリアたち」を観て、
小百合さんに「とても良かった」と電話していたという。