日本画の巨匠たち展 随筆のページへ

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File No.120902

今、福岡市美術館で「日本画の巨匠たち」という展覧会が開催(2012/08/21〜09/23)されている。横山大観をはじめ、明治から大正・昭和に至る近代日本の名作が展示されている。これは明治時代、岡倉天心が創設した「日本美術院」の歴史をたどる展覧会でもある。日本美術院が創設されて約100年を迎える。展覧会ではその創設期の序章から始まって、第6章の戦後の再興院展に至るまでを時系列に観せてくれる。タイトル通り「日本画の巨匠たち」の作品が並ぶ。その足跡は、日本美術の伝統と、押し寄せる洋画の波にもまれ、思考錯誤の歴史でもある。そもそも「日本画」という言葉は、明治時代に洋画が入ってきたとき作られた言葉である。岡倉天心は日本の伝統や文化を守り、近代化していく日本の未来にどう道筋をつけていくかに心を砕いた。その天心の理念「伝統と改革」は、その後横山大観らによって再興された日本美術院に受け継がれ、今に生きている。

今回買った絵ハガキは、太田聴雨の「星をみる女性」(1936年)である。実を言うとこれは、展覧会を観に行く前から買おうと思っていた。この絵は、天体望遠鏡を覗いているという近代的な題材ながら、絵全体からは日本の古典的な印象を受ける。第一女性たちのたたずまいがいい。昭和11年という時代の雰囲気が漂っている。古典を研究する一方で、新しいものを取り入れ融合させる。再興された日本美術院の綱領の二番目に「日本美術院ハ芸術ノ自由研究ヲ主トス、故ニ教師ナシ先輩アリ、教習ナシ研究アリ」と謳われている。そんな自由闊達さの中にも、「伝統と改革」という天心の理念は息づいている。会場の説明にこう書いてあった。「彼らは単に過去の芸術を踏襲するのではなく、自らのものとして消化し、歴史的な主題であれ、同時代の主題であれ古典的格調を備えた絵画を模索したと言えます」。まさに「星をみる女性」の絵に、「新たなる古典をめざして」を感じた。

2ヶ月ほど前、天神イムズのアルティアムで、現代芸術家・森村泰昌氏が、福岡で初の個展をするにあたって、公開制作をするというので観にいった。このときはセザンヌの絵の立体バージョンを作るというものだった。森村氏は、自らが名画の主役に扮して写真に撮るというユニークな手法で有名である。森村氏は、学習の基本とされる「まねる」ことを通じて「まなぶ」ことを、「まねぶ」と称している。この「まねぶ」は、言い得て妙である。特に美術には普遍の在り方と言えるだろう。印象派の画家たちは、日本の浮世絵を、研究し自らの作品に生かした。ゴッホの「種をまく人」は、ゴッホらしい絵ではあるが、もともとミレーの絵がモチーフであり、木は浮世絵に影響を受けている。美人画で有名な女流画家・上村松園は、長谷川等伯などによる有名な襖絵や屏風絵の模写に学び、あの見事な美人画を確立させた。日本美術院の巨匠たちに通じるものがあるように思う。

松尾理事長は「なぜ私たちは日本画を描くのか。それは日本人として何を美しいと感じるのかを探るためです。日本画で表現することでそれに表れる日本人の美意識はどんなものかを互いに探り合っています。根底にあるのは"日本人の美意識とは何か"それを探る過程を作品を通して伝えたい」と言っている。しかし、何をもって「日本画」というのか、明確な定義はないという。言ってみれば、日本人が日本人の美意識で描く絵が日本画であるということになる。横山大観の「夜桜」のように、やまと絵の印象を強く受ける作品なら我々でも分かるが、現在一見して洋画と日本画がはっきり区別できるような状態ではないようだ。しかし、日本画を描く画家たちは、古典に学び日本人の美意識を探ろうとしている。私は、日本画に必要不可欠な美意識の要素として「凛とした心」と「品格」を挙げたい。「日本画は作るものではなく、作家の全身全霊を傾けて描くもの」と理事長はいう。そうして生み出された日本画である。必ずや「凛とした心」と「品格」が宿っている。


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入場券・半券

太田聴雨「星をみる女性」

森村泰昌氏の制作風景