運転免許証・更新
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File No.120828

運転免許証を更新してきた。今度もらった免許証は、ICチップ内蔵の新しいタイプのものである。以前のものと比べると、本籍欄が無くなり、ICチップが内蔵されている分、少し分厚くなっている。私は「優良講習」ということで、近くの糸島警察署で30分程の講習で終わった。もちろん今度の免許証も、"ゴールド"で有効期間は5年である。もう免許を取得して45年になる。社用や通勤を除いても、月平均1000kmくらいは走っている。それでもこの45年の間に、違反は4回しか(?)していない。前回違反したのはもう16〜17年も前のことだ。いずれも今の点数でいくと1点の違反ばかりである。私の少ない経験から会得した、違反切符をもらったときの心得を伝授しよう。切符をもらったら即、その一番近くの銀行に脱兎のごとく飛び込んで支払いを済ませ、切符を"これでもか"と細かく引きちぎるといい。後に尾をひかず、その場で気分がすっきりするぜ。どうだ、ワイルドだろう。

急激な高齢化社会で、高齢者の事故が多くなっているという。私は次回の更新時には70才を超えるので、高齢者講習を受けることになる。今回、受付で「交通安全いきいき講習キャンペーン2012」の参加申込書をもらった。2ヶ月違反がないと抽選で賞品が当たるらしい。最近、警察が推進している「免許証の自主返納」というのがある。返納すると免許証にそっくりの「運転経歴証明書」という身分証明書になるカードをくれる。いろいろ特典もあるらしい。そうしなければならないほど、高齢化は深刻な問題になってきている。高齢者になると、標識を見落としたり、いろいろ危険な兆候が現れるようになる。要するに目から入った情報と、脳の認識が微妙にずれてくるのである。時々高齢者がブレーキとアクセルの踏み間違いで起こす重大事故をニュースでみる。今のところ自分では問題ないと思っているが、本人に自覚がないのが一番恐ろしい。講習はしっかり受けねばなるまい。

運転免許証の情報は、警察のコンピュータに記録され、オンラインで全国どこからでも即座に検索できる。以前、サンドラ・ブロック主演の「ザ・インターネット」(1995年・米)という映画があった。コンピューターの天才的なプログラマー、アンジェラ・ベネットが、政府が導入しようとしているセキュリティプログラムの秘密を知ったため、巨大な組織から追跡をうける。コンピュータに登録されているアンジェラの名前、社会保障番号など全ての個人情報が、札付きの前科者に書き換えられていた。アンジェラがどんなに、自分はアンジェラだと言っても誰も信用しない。アンジェラが言う。「コンピュータが支配者なのよ。その一つ一つの情報は、簡単に書き換えられるの。すごい怖いことよ」。これから始まる「マイナンバー制度」は、まさにすべての人に番号が付けられ、その番号で一生コンピュータ管理される。これは現実の世界である。

私が私であることは、ホイーラーの「ビットからイット」理論のように、観測することで自分自身の現実を作り上げていると言える。情報がすべての存在の根源をなす。自分を自分たらしめているのは、ものごころつくころ、周囲からの情報で、お前の名前は○○で、生年月日は××でと、すべての情報をインストールされた結果である。意識がつくりあげた存在を確信し、その存在が現実化していく。免許更新に行って、受付で私は○○××ですと申告する。本当に自分が自分であるかの検証は不可能だろう。そんな私からの情報が運転免許証という物質になったとき、それは自分である絶対的な証明になるのである。もちろん身分証明書というのは副産物であって、当然運転における技量および知識を持つことを証明するものである。ただ、京都・亀岡の事故のように、無免許でほとんど殺人と思われる未熟かつ無謀な運転でも、起訴されないという許せないような現実もある。私のゴールド免許に、それだけの意味をもつ社会であってほしい。

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ICカード・運転免許証

交通安全いきいき講習キャンペーン2012・参加申込書


2012・09・06 悪質事故の罰則強化
京都府亀岡市で、無免許運転の車が集団登校中の列に突っ込み、小学生ら10人が死傷した事故などで、遺族から適用条件について、法改正の強い要望が出されていた。これを受け法相は諮問機関である法制審議会に罰則見直しを諮問した。

検討されている内容は、最高懲役7年の自動車運転過失致死傷罪より罰則が重く、最高懲役20年の危険運転致死傷罪より軽い「準危険運転致死傷罪」を検討している。亀岡のケースなど、運転技術はあるが、無免許で起こしたような事故を想定しているという。

もう一つ、法務省は少年法の改正案を公表した。少年への有期刑を、現在最高15年と定めているが、これを上限20年に引き上げるという。これは犯罪被害者や裁判員から「成人の量刑と差がありすぎる」との指摘で見直しを検討するものである。

やはり遺族は、理不尽な事故、事件について、積極的に声を上げるべきである