ドキュメンタリー映画
「はじまりの記憶
・杉本博司

杉本博司氏 作品「海景」
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File No.120808

8月7日、KBCシネマで一回だけ「はじまりの記憶・杉本博司」が上映された。本編上映後40分ほど、杉本博司氏と、中村佑子監督の舞台挨拶があった。ニューヨークで活躍する現代美術家と新進気鋭の監督の生のトークが聞けるというのは、地方都市に住む私としては見逃せない。一回だけの上映ということもあって、長蛇の列である。館内では通常の席だけでは賄いきれず、通路と後方に置けるだけの折り畳み椅子席が用意された。映画は、中村監督が、長期にわたって杉本氏を密着取材したドキュメンタリーで、WOWOWで放送した番組を、追加編集し今回83分の映画にしたものである。杉本氏自身は、この映画を観て、自分の考えと若干違うと言うが、結果として中村監督が描いた杉本博司像は、世界から評価され、エミー賞のアート部門作品四本の中に選ばれた。中村監督は、杉本氏とニューヨークで、レッドカーペットを歩いたという。

「はじまりの記憶」とは何か。杉本氏はこう言う。「人類の想像力はアートとして表現されてきた。人が人となったころの記憶、すなわち人間の意識の起源を辿らなければならない」。つまり杉本氏におけるアート定義「アートとは、目には見ることのできない精神を物質化するもの」を、人間の意識の根源まで遡って、今を生きる我々に生きるヒントとして投げかけている。杉本氏の作品に「海景」(写真上)というのがある。海と空と水平線、この海こそ、杉本氏の意識の原点になったという。我々の血の中に、脈々と受け継がれてきた人類の痕跡を感じ、突き動かされ制作した作品が「海景」である。この「海景」のキャプションには「・・・そこに問いだけがある」と書かれている。また代表的な作品のひとつに「放電場」というのがある。これも原始の海に漂うアミノ酸が、放電のインパクトで生命が誕生したであろうことを、杉本氏は誰も考えが及ばない独特のアートで表現している。

映画館に行く途中に福岡県立美術館がある。ここでは今「松本英一郎 風景は微細動する」展が開かれている。これも観てみようと、少し余裕をもって早めに出かけた。作品を鑑賞するにあたってこう説明されていた。"松本氏は眼だけでなく、身体全体で風景を感じ、風景と交わる濃密な時間を絵画という空間のなかに描き出そうとしていたのではないか"。これは杉本博司氏のいう、見ることのできない精神の物質化であり、アートにおける根源であると思われる。担当の学芸員さんは「松本さんの描いた風景の世界観や心境を追体験してほしい」という。これは見る側が松本氏の作品にどう寄り添うかである。「あなた(の心)が動けば、風景もうごきます」としているように、作品の風景は微細動する。それは、作者が制作の時に感じた心の震えと共振したものかもしれない。しかしそれはなにものにも縛られない自由な心の空間でもある。そこにアートの楽しみがある。

我々は、自分の声を録音して聞くと、違和感を感じる。自分の感じる自分と、他人が感じる自分は自ずと違ってくる。「はじまりの記憶」の中村監督は、杉本博司氏が修正を要求しても、断固拒否したという。つまり、この映画はあくまでも中村監督が理解し感じた杉本博司像なのである。中村監督は、取材となるとどうしても身構え、取材用の答えしか返ってこない。本当に杉本氏に実像に迫ろうとすれば、そこからもう一段下にある本音を引き出さなければ、真の杉本氏を映し出すことはできないと言っていた。そうして描き上げた作品である。修正を拒否したところに、クリエーターとしての、確固たる信念がみてとれる。それは、我々観る側にも同じことが言える。「あなた(の心)が動けば、風景もうごきます」。観る人が100人いれば、中村監督が描いたひとつの杉本像が、100の杉本像に増幅する。それはあたかも、杉本博司氏の作品「放電場」に見るように、無数に枝別れしていく光のようでもある。



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ドキュメンタリー映画
「はじまりの記憶・杉本博司」
2012年/日本/83分

監督:中村佑子
出演:杉本博司(現代美術家)

(左のパンフレットのサインは、杉本氏直筆のサインです)
福岡県立美術館コレクション展
「松本英一郎 風景は微細動する」
「退屈な風景」など86作品を展示
2012/06/09〜08/31

(松本英一郎(1932〜2001)洋画家・久留米市出身)