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File No.120524

"我々が「美を見極める脳」と「生命を維持する脳」は同じ部分"だという。つまり、「美」を見極める能力は、すなわち「生存」する能力ということになる。生物はこの世に命を得た時、等しく"生きる義務"を負っている。それは"種の保存"という目的のためである。人間は、絵画、音楽、ダンスなど、いづれも芸術として発展させてきた。それらは種の保存において、全ての生物に備わった能力であり、その延長線上にあるものと言える。たとえば色彩やデザインであれば、クジャクは芸術的な羽根を精いっぱい広げアピールする。音であれば、小鳥たちはさえずることに余念がない。ダンスであれば、多くの動物たちが求愛ダンスで、伴侶を勝ち取ろうとする。すべての生物に備わっている能力だからこそ、厳しい淘汰をくぐり抜け、今を生きているのである。ただ人間は種の保存という本来の生存競争から解放されて、芸術として極め高めてきた。複雑な社会を形成した人間は、新しい困難に遭遇し、それを乗り切るために今芸術を必要としている。

芸術と脳に関する本を何冊か読んでみた。その一つが「芸術脳」である。これはそれぞれの分野でトップクラスの人たちと茂木健一郎氏との対話という形になっている。この中で、内藤礼さんがこう言っている。「美しいというのは、もちろんただ単に色がきれいとか形が美しいということじゃなくて、一番美しいものは人間の心の中にあると思うから、美術っていうのは、ではなんだろうということになるかもしれない。・・・人の心の中にある美しいものは、見ることも触ることもできない。・・・その人が死んでしまえば、本当にあったかどうかもわからないはかないものです。本当に美しいものとはそういうものだという気がする」。この言葉にはいたく感動した。人はそれぞれ自分自身の中に、標準化した美の基準を持っている。視覚から入ってきた情報をその内なる美と重ね合わせ、美しいものとして認識する。美術とはそれを観る人に、美を気づかせ、心の中の美を形成させる触媒みたなものと言えるかもしれない。

もう一冊は「芸術と脳科学の対話」である。これも六回にわたる二人の対話形式である。「・・・芸術家もまた絵画において本質的なものを視覚世界の中の不変の特徴を理解しようとしている・・・」。これを追及したのがモンドリアンであり、ロスコである。「モンドリアンは、さまざまな形をその本質へと還元したかった」「モンドリアンは自分の芸術の究極の限界に至った」のだと言う。それが普遍的な水平線と垂直線という表現になったのである。それをさらに突き詰めようとしたのがロスコである。「ロスコは色で形を生み出そうとした、色を解放しようとした」。しかし「決して目的に到達することはなかった。その試みは視覚脳の構造に逆らうものだから」だという。ロスコは終わることの無い、自分の脳との戦いを繰り返していくうち、病んでいったのだろうか。次にロスコの作品を前にしたとき、その苦悩から生み出された美を多少なりとも感じることができるかもしれない。

セミール・ゼキ氏は「脳というのは、本質的で変わることの無い特性を捉えようとしている。事物の本質、つまり変わり続ける状況においても変わらない性質、不変の特性についての認識を得るために本質的なことだけを記憶にとどめておく」という。脳が外観がどのような条件であっても、それを見て同定できるのはこの働きによるもという。「芸術とは、ある意味で、この本質的なものの探究という脳の活動の延長上にある」としている。去年ドイツの1万5千年前の洞窟から、抽象的な水玉模様が描かれた石灰石が発見された。これを見たときあまりに草間彌生の作品と似ていることに驚いた。これは本質的なものの探究とは少し違うかもしれないが、何かに突き動かされて生み出される芸術が、時代を超えた本質的な脳の活動であることの証と言える。我々が自分の中に美の基準を持つように、芸術家もまた葛藤しながら本質的かつ独自の世界を形成していく。



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「芸術脳」
著者: 茂木健一郎
発行: 新潮社

「芸術と脳科学の対話」
著者: バルテュス
セミール・ゼキ
発行: 青土社

アートの楽しみ方

テーマは「ひととき」
展覧会に行くと、必ず気に入った絵のハガキを買ってくる。これを仕舞い込んでおくのはもったいないので、自宅でささやかな展覧会にしている。台紙は使い終わったカレンダーの裏を利用する。紙質はいいし、壁に掛けられる。台紙に貼り付けるのはトンボ鉛筆の粘着画びょう「ペタッツ」を使う。適宜その時の雰囲気で台紙をめくって気分転換をする。自分なりのテーマで編集するのもいいだろう。どうです、費用などかけないで、芸術を十分楽しめますよ。
テーマは「再生」

椅  子

椅子-(1)

椅子-(2)

椅子-(3)
本文で次のように書いた。
セミール・ゼキ氏は「脳というのは、本質的で変わることの無い特性を捉えようとしている。事物の本質、つまり変わり続ける状況においても変わらない性質、不変の特性についての認識を得るために本質的なことだけを記憶にとどめておく」という。脳が外観がどのような条件であっても、それを見て同定できるのはこの働きによるもという。
ということで、散歩のついでに見つけた三種類の椅子を撮ってきた。(1)は文句なしに椅子である。(2)は単に石が置いてあるだけだが、間違いなく椅子として置いてある。(3)は、テーブルの下に仕舞い込んであるが、引き出せば椅子として使えることが分かる。いづれも形状は全く違うが、我々は一目見ただけで椅子として用意されていることを判断できる。つまり我々は、椅子というものの本質的なことを脳の中に記憶しているのである。