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File No.120228

先月、福岡市東区の町家「箱嶋家住宅」が一般公開されたというので観にいった。この町屋は1872年に建てられ140年経っている。福岡市では初めて国の有形文化財に登録された建築物である。場所は旧唐津海道に面し、この辺りは道路幅も昔から変わっていないという。屋内の説明は、箱嶋家の方が丁寧にしてくれた。この家は宮大工さんが建てたもので、釘は一本も使ってないという。最初に目を引くのが、かまどの形をした防火の神様「荒神様」である。その前の神棚のある部屋は、上を人が歩けないので、吹きぬけにして、天窓から光を取り込むようになっていた。中庭には「水琴窟(すいきんくつ)」があった。明治の人たちは、忙しい日々の中にあっても、静かに水琴窟の音に耳を傾けたのである。140年前の人たちの息遣いが聞こえてくる。今回一般公開に踏み切ったのは、老朽化で修復の必要があり、その資金をつくるためという。こういう文化財の難しいところは、その価値を壊すことなく改造し維持していくところにある。

明治初期から更に遡ること百数十年、江戸中期に建てられた古民家がある。旧中津藩の大庄屋職にあった藤瀬家の家屋である。建てられたのは1737年というから、実に275年経っている。建築年がはっきり確認できた民家としては、九州では最古期のものという。ここまでくると建築の歴史的価値を維持しながらの改築も難しい。そこで糸島市に寄贈され、平原歴史公園に移築された。移築に当たっては、手作業で解体し、建築の形式技法などの学術調査が行われた。復元された茅葺の古民家を見ると、日本のなつかしい風景がよみがえる。江戸後期には、改築によって書院造風座敷が増築されている。その座敷から二丈山を借景にした庭園を心静かに眺めれば、そこには自然に溶け込み、自然との対話を大事にしてきた日本人の心がある。当初は庭園と一体になったたたずまいが評価され、現地保存が検討されたようだが、困難だったため建築的価値を重視し移築に踏み切ったという。

「季刊・邪馬台国」(112号・梓書院)に、「日本民族の起源」という特集があり、そのなかで、「倭人の家」についての記事がある。そこで書かれているのが、土器や銅鐸などにも描かれている「干欄(かんらん)式建築」である。それは(1)長い脊、短いひさし(2)大きな柱を土中に打ち込んで建てた高床式、を特徴とする建物である。棟が長く、軒が短い逆台形の切妻の屋根で高床式の家である。雨が降り込まないように棟を長くし、安全で快適な暮らしのために高床にする。切妻で高床式といえば、日本の神社建築にみられる形式である。特集ではその神社建築に見られる「千木」「カツオ木」の由来についても書いている。「千木」は屋根の両側の妻を風から守るためであり、「カツオ木」は、棟の茅を固定するための横木である。つまり千木もカツオ木も、元々茅葺の屋根を補強していたものである。それが神社建築に残り、「古事記」の神話にも登場する。その時から1300年、伊勢神宮は来年、第62回式年遷宮迎え、神様が新しいお住まいにお移りになる。

今はもう無いが、私が育った家は、戦後間もないころ父が建てた家だった。床の間には、父が気に入った水墨画の掛け軸が掛けてあり、その前には、母が生けた生け花があった。床柱を挟んで、その横には違い棚や袋戸棚があった。床の間の横には付書院があり、透かし彫りの欄間もあった。それは典型的な書院造りだった。そして真ん中に堂々と立っていたのが、父自慢の床柱である。この自慢の床柱や立派な梁などに象徴されるように、日本建築の美は、木の強さ、木の柔らかさ、木の美しさを知り、それを磨き抜いてきたことにある。その美意識は、縄文以来、豊かな自然によって、研ぎ澄まされてきた。寝殿造りから書院造りへ、そして究極の日本建築・数寄屋造りの桂離宮に結実する。回遊式庭園を散策し、月見台で月を楽しむ、自然と建物が一体となった日本人の繊細な感性である。こういう文化が波及し、みんなが好んで受け入れ楽しんだのが、藤瀬家や、箱嶋家にみる日本の家屋である。



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旧藤瀬家住宅
(糸島市・平原歴史公園内)
箱嶋家住宅
(福岡市東区)
干欄(かんらん)式建築

藤瀬家住宅
(平成18年3月

復元直後に撮影)

防火の神様
「荒神様」

静岡県登呂・
山木遺跡出土の
部材による



(尚、「干欄」とは
「欄干」と同じで
「てすり」のこと)


「季刊・邪馬台国」より
(112号・梓書院)

復元された1737年
建築
当初の間取り

中庭の水琴窟

2012/03/01 木造3階建て
今、九州大学伊都キャンパスで、木造3階建ての外国人研究者用宿舎を建築中である。使用している木材は、すべて国産材で、そのうちの6割は県産材を使用している。この大型の施設にあえて“木”を使ったのは、外国人に“木のぬくもり”“和の雰囲気”を感じてもらいたいからだという。木造の大型建築にはいろいろクリアすべき基準があるようだが、それを可能にしたのが「木構造システム」という会社が開発した、木材をつなぐ工法である。見た目を損なわず、耐久性も増し、作業時も特殊な道具や技術がいらないという。技術力に差が出ず、均質で質の高い木造建築ができるとすれば、画期的である。先ごろ現地に行ってみたが、残念ながら外側がシートで覆われ、見ることはできなかった。ただ、完成予想図(写真右)が掲示してあったので、イメージは確認できた。

2012・03・07 建築家・隈研吾氏
先々月、ONE DAY PASSで西鉄沿線を巡ったとき、最後に立ち寄ったのが「スターバックス・太宰府天満宮表参道店」だった。この店は開店して間もなかったが、この店舗を設計したのが建築家・隈研吾氏だった。杉材2千本を使い、日本の伝統的な木組み構造で造られていた。過日の新聞によれば、長崎県の西海市(大島町・離島)に建設される滞在型ホテルの設計も、隈氏が担当するという。大島造船所は、上質感あふれる隈氏の設計に期待を寄せている。このほか隈氏は、長崎市の出島にある「長崎県美術館」も設計し数々の賞を受賞している。今建て替え中の「歌舞伎座」も隈氏によるものである。