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邪馬台国の時代
文化の中心は北九州にあった
「季刊・邪馬台国」 111号(梓書院・平成23年10月発売)に、安本美典先生の「庄内期の遺跡出土の鏡〜この時期、文化の中心は北九州にあった〜」という文が掲載されている。銅鏡について、その出土状況と銅の科学分析などが、わかりやすく書かれている。下の表は、先生が書かれていたことを、自分の頭の中を整理するのにまとめてみたものだ。「庄内期」というのは、およそ西暦200年〜250年ということなので(庄内期=邪馬台国の時代)という認識で読んでみるとわかりやすい。
   関係がある中国と系統 それぞれから出土する銅鏡 ここで対象としている遺跡
九州 「魏」
黄河流域
華北系(中国北方系)
方格規矩鏡、内行花文鏡など
(方形周溝墓、箱式石棺、土壙墓などから出土している例が多い)
(鉛の同位体比、文様ともに中国北方系)
平原遺跡(福岡県)
方形周溝墓
庄内期
畿内 「呉」
揚子江(長江)流域
華南系(中国南方系)
三角縁神獣鏡、画文帯神獣鏡など
(前方後円墳時代の遺跡からの例が多い)
(鉛の同位体比、文様ともに中国南方系)
ホケノ山古墳(奈良県)
前方後円墳
布留1式期
土器様式と年代(西暦)
土器様式 庄内式 庄内〜布留式 布留0式 布留0〜1式 布留1〜2式
安本先生によるおよその年代 200〜250年 250〜300年 280〜320年 310〜350年 330〜380年

以前『「魏志倭人伝」に記載されているものに関係する遺物の福岡県と奈良県の「出土数」の比較』(平成21年10月邪馬台国フェスタの安本先生の資料)を掲載したことがあるが、非常に分かりやすいので再度掲載する。

「魏志倭人伝」に記載されているものに関係する遺物
福岡県と奈良県の「出土数」の比較
諸遺物 福岡県 奈良県
弥生時代の鉄鏃 398個 4個
鉄 刀 17本 0本
素環頭大刀・素環頭鉄剣 16本 0本
鉄 剣 46本 1本
鉄 矛 7本 0本
鉄 戈 16本 0本
素環頭刀子・刀子 210個 0個
邪馬台国時代に近い頃の銅矛・銅戈
(広形銅矛・中広形銅矛・中広形銅戈)
203本 0本
絹製品出土地 15地点 2地点
ガラス製勾玉・翡翠製勾玉 29個 3個
10種の魏晋鏡 37面 2面






小山田宏一氏のデータによる 45面 0面
樋口隆康氏のデータによる 5面 0面
奥野正男氏のデータによる 3面 0面


これを見ると一目瞭然、庄内期の遺跡から出土する遺物は、圧倒的に福岡県が多い。この中の庄内期の鏡は、中国北方系とされる方格規矩鏡や内行花文鏡である。一方、奈良県からは、確実な庄内期の遺跡で鏡を出土した遺跡はない。前方後円墳期のホケノ山古墳からは、布留1式期のものが出土している。画文帯神獣鏡は、おもに4世紀の遺跡の遺物で、布留1式期の出土物である。それは中国・揚子江流域の呉系の鏡で、280年呉が滅亡した以降に我が国に入ってきたものと思われる。中国の考古学者・王仲殊氏は「中国の平縁神獣鏡が、どの種類であれ、すべて南方の長江(揚子江)流域の製品であって、北方の黄河流域のものではない・・・・それらは長江流域の呉鏡であって、黄河流域の魏鏡ではない」と結論づけている。


鉛同位体比の分布図」
安本先生の文中に掲載されていた図
銅は4つの質量の違う原子の混合物で、その混合比率(同位体比)が産出地によって異なる。その違いによって、銅の生産地や青銅器の製作年代をある程度知ることができるという。領域Aが「平原王墓鏡」の分布域で、領域Bが「三角縁神獣鏡」の分布域である。「平原王墓鏡」は、華北地方の原産銅が使用され、「三角縁神獣鏡」には、華南地方の原産銅が使用されている。実に明確な結果が出ている。庄内期、近畿地方は銅鐸の時代であった。その庄内期の銅鐸は、北部九州の鏡などと同じ中国北方系の銅が使われていると言う。
このことから、邪馬台国が九州にあった時代、近畿地方はまだ銅鐸の時代だった。その後、290年〜300年ごろ邪馬台国が東遷し畿内に移った。そのころ中国では呉が滅亡し、呉の工人や銅が大量に畿内へ入ってきたと考えるのが自然である。つまりタイトルにあるように、邪馬台国の時代、文化の中心は、北部九州にあったということである。

畿内説は、邪馬台国が畿内にあったということを正当化するためなら、客観的事実などどうでもいいのである。むしろ、客観的事実を認めれば、自分の説が危うくなる。炭素14年代法にみるように一事が万事である。都合のいい部分のデータだけを使い、都合のいいように解釈する。そして、マスコミに大々的に発表して正当化を図る。それに踊らされたマスコミも、訳も分からず書き立て、挙句の果てに九州説を「頑迷固陋」で「非科学的」と報道する。怒りを通り越して笑ってしまう。安本先生は、国立歴史民族博物館の2011年報告書を、はじめに結論ありきの、単なるつじつま合わせで、「言語不明晰・意味不明」、「国民の税金で印刷された怪文書」と切り捨てる。新井宏先生も、恣意的な取扱いが多く、学術論文としての要件を全く満たしていないと断じている。畿内説にとって、客観的な事実はどうでもよく、自分たちの立場を守ることが大事なのである。これはもはや学問として真実を追求することから逸脱している。民主党も、こんな無駄こそ事業仕訳で切り捨てるべきだろう。


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