随筆のページへ | トップページへ | File No.111125 |
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関係がある中国と系統 | それぞれから出土する銅鏡 | ここで対象としている遺跡 | |
九州 | 「魏」 黄河流域 華北系(中国北方系) |
方格規矩鏡、内行花文鏡など (方形周溝墓、箱式石棺、土壙墓などから出土している例が多い) (鉛の同位体比、文様ともに中国北方系) |
平原遺跡(福岡県) 方形周溝墓 庄内期 |
畿内 | 「呉」 揚子江(長江)流域 華南系(中国南方系) |
三角縁神獣鏡、画文帯神獣鏡など (前方後円墳時代の遺跡からの例が多い) (鉛の同位体比、文様ともに中国南方系) |
ホケノ山古墳(奈良県) 前方後円墳 布留1式期 |
土器様式と年代(西暦) | |||||
土器様式 | 庄内式 | 庄内〜布留式 | 布留0式 | 布留0〜1式 | 布留1〜2式 |
安本先生によるおよその年代 | 200〜250年 | 250〜300年 | 280〜320年 | 310〜350年 | 330〜380年 |
「魏志倭人伝」に記載されているものに関係する遺物 | |||
福岡県と奈良県の「出土数」の比較 | |||
諸遺物 | 福岡県 | 奈良県 | |
弥生時代の鉄鏃 | 398個 | 4個 | |
鉄 刀 | 17本 | 0本 | |
素環頭大刀・素環頭鉄剣 | 16本 | 0本 | |
鉄 剣 | 46本 | 1本 | |
鉄 矛 | 7本 | 0本 | |
鉄 戈 | 16本 | 0本 | |
素環頭刀子・刀子 | 210個 | 0個 | |
邪馬台国時代に近い頃の銅矛・銅戈 (広形銅矛・中広形銅矛・中広形銅戈) |
203本 | 0本 | |
絹製品出土地 | 15地点 | 2地点 | |
ガラス製勾玉・翡翠製勾玉 | 29個 | 3個 | |
10種の魏晋鏡 | 37面 | 2面 | |
庄 内 期 出 土 の 鏡 |
小山田宏一氏のデータによる | 45面 | 0面 |
樋口隆康氏のデータによる | 5面 | 0面 | |
奥野正男氏のデータによる | 3面 | 0面 |
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銅は4つの質量の違う原子の混合物で、その混合比率(同位体比)が産出地によって異なる。その違いによって、銅の生産地や青銅器の製作年代をある程度知ることができるという。領域Aが「平原王墓鏡」の分布域で、領域Bが「三角縁神獣鏡」の分布域である。「平原王墓鏡」は、華北地方の原産銅が使用され、「三角縁神獣鏡」には、華南地方の原産銅が使用されている。実に明確な結果が出ている。庄内期、近畿地方は銅鐸の時代であった。その庄内期の銅鐸は、北部九州の鏡などと同じ中国北方系の銅が使われていると言う。 このことから、邪馬台国が九州にあった時代、近畿地方はまだ銅鐸の時代だった。その後、290年〜300年ごろ邪馬台国が東遷し畿内に移った。そのころ中国では呉が滅亡し、呉の工人や銅が大量に畿内へ入ってきたと考えるのが自然である。つまりタイトルにあるように、邪馬台国の時代、文化の中心は、北部九州にあったということである。 |
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