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File No.110729

原田芳雄さんの主演ドラマに「火の魚」というのがある。これは室生犀星の同名の小説を、ドラマ化したものである。平成21年度の文化芸術祭で大賞を受賞するなど、いろいろな賞を受賞している。ドラマと原作は、設定が若干違うが、「なるほど、そう描くか」と脚本の力に感動する。ドラマでは、瀬戸内海のある島に住む、孤独で頑固な小説家・村田省三(原田芳雄)と、東京の出版社から原稿を受け取りにきた若い女性・折見とち子(尾野真千子)の間で、「命」をテーマに物語が展開していく。村田は、以前腫瘍が見つかった時から「死」に向き合うことになる。幸い良性の腫瘍ではあったが、たばこを止め、毎日3時間のウォーキングは欠かさない。一方、折見とち子は、"がん"でまさに「命」と真正面から向き合っている。2008年に原田芳雄さんは「大腸がん」で入院している。おそらくこのドラマの「死」と向き合うというテーマは、物語と現実がオーバーラップしていたに違いない。原田芳雄さんの現実が滲む演技と、圧倒的な存在感が際立っている。

瀬戸内海の島に住む小説家・村田省三(原田芳雄)は、かつて東京で幅を利かしていた流行作家だった。今は、田舎に引きこもり、孤独な一人暮らしをしている。書く小説は、かつての面影もなく、通俗小説を書いて食いつないでいる。そこに出版社から原稿を受け取りにやってきた若い女性編集者・折見とち子(尾野真千子)。偏屈な村田は、急に担当が変わったことから始まって、何もかもが気に入らない。村田は、すぐ折見を追い返す。ところが、帰ろうにも船の待ち時間が5時間もあった。その間に島のこどもに、海藻で見事な龍の絵を描いてやる。偶然それを見た村田は、折見の才能を知る。折見を担当として認め、自分の小説の感想を聞く。実は、折見は村田の全てを知っていて、自分から村田の担当を申し出ていた。「あなたのピークは42才だった」と、その評価は恐れを知らぬ「酷評」だった。しかし、村田はそんな折見に次第に魅かれていく。その気持ちを持て余す不器用な村田は、折見に辛く当たってしまう。

村田は折見に魚拓をとらせるのだが、それはすなわち折見に金魚を殺せということでもある。「魚は殺して食べるのに、なぜ金魚を殺すのが可哀そうなんだ。同じ命を差別するのか」。自分の少ない命と向き合っていた折見には、たとえ金魚であっても命を奪うことは辛い。知らなかったとはいえ、村田はそれを強要した。涙ながらに金魚を殺し、魚拓をとった折見は、その後村田の前から姿を消す。折見がガンで入院していることを知り、好意を寄せていた村田は、折見の見舞いやってくる。二人の心が通じ合ったその時が、二人の今生の別れとなる。黒いスーツに身を包んだ折見とち子が、病院の前で村田の方に向き直り、静かにおじぎをする。そして、病院のドアの中に消えていく。折見にとって、病院のドアは、この世とあの世の境界である。病院の中へ入っていくのは、原作に登場する、金魚鉢の中で死を待つ金魚であるとも言える。そのことを痛いほど分かっている村田は、帰りの船の中で言う。「心配するな。俺とて、後に続くのに、そんなに時間はかからんさ」。

ドラマでは、村田が折見に魚拓を強要するときにこう言う。「人生ってのは、自分が魚拓にされるまでの物語だ」。原田芳雄さんにとって、生きた証としての最後の魚拓は、「大鹿村騒動記」だったのかもしれない。室生犀星の著書「われはうたえども やぶれかぶれ」の中にこんな一節がある。「生きていた人が死ぬことの魅力のつよさは、さすがに死というものの人一人に就いては、えがたい最後に生きたしめくくりのようなものであったからだ」。「死」とは「人ひとりが生きた締めくくり」なのである。室生犀星は、そこに"強い魅力"を感じている。原作では表紙について「・・・一尾の金魚が燃え尽きて海に突っ込んで、自ら死に果てるところを描いてほしい。・・・・切火のように烈しさが見たいのです」とある。原田芳雄さんは、99%無理だという状況を踏まえつつも、強い覚悟を持って最後の舞台に上がった。それはまさに、彼の俳優としての「生きたしめくくり」だったのである。誰もがその姿に、"強い魅力"を感じたに違いない。



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講談社・文芸文庫
室生犀星著
「蜜のあわれ・われはうたえどもやぶれかぶれ」

1993年5月10日第一刷発行
発行所:株式会社 講談社
デザイン:菊池信義

収録内容
「陶古の女人」「蜜のあわれ」「後記 炎の金魚」「火の魚」
「われはうたえどもやぶれかぶれ」「老いたるえびのうた」