映画「大鹿村騒動記」を観て |
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2012/03/04 原田芳雄さん「最優秀主演男優賞」に輝く!! |
2012/03/02に第35回日本アカデミー賞の授賞式が行われた。「八日目の蝉」が最優秀主演女優賞以下10部門で受賞し他を圧倒する中、原田芳雄さんが最優秀主演男優賞に輝いた。故人が最優秀主演男優賞を獲得したのは史上初だという。共演者の岸部一徳さんは「普段は優しいんですけど、一緒にやると怖いんですよね。真剣勝負みたいなものが迫って来るんで、今度の撮影は充実していました」と話した。 受賞は娘さんの原田麻由さんが代理受賞し、大鹿村やスタッフ、共演者、映画を観てくれた人たちに感謝言葉を述べた。また「・・・映画館は宝箱だからと申しておりました・・・」と映画に対する原田芳雄さんの思いも披露された。 |
2011/07/20 原田芳雄さん死去 |
実に残念である。 「大鹿村騒動記」の舞台挨拶で見せた姿が最後になった。その時のメーッセージは「今日はどうもありがとうございます。どうぞごゆっくりご覧ください」だった。このシンプルな言葉の中に、映画人としての思いの全てが凝縮されている。「大鹿村騒動記」が完成したとき原田さんはこう言っていた。「早くしないと俺もう時間がないから。早くやってよっていうのがあったんですね。そしたら思うより早く実現しましたね」。原田芳雄さんという俳優を表現するキーワードは「存在感」である。その圧倒的な存在感で、映画界に君臨してきた。最後の舞台挨拶は、ドクターストップを押し切ってのことだったという。恐らく覚悟をもって臨んだと思われる。彼にとっての舞台挨拶は、映画俳優として、一世一代の大見得を切ったということなのかもしれない。俳優として、しっかり締めくくって舞台をおりたのである。見事な人生である。 心からご冥福をお祈りします。 |
[原田芳雄さんの略歴](WEBより) 本名同じ。1940年(昭15)2月29日、東京生まれ。高校中退後、63年に俳優座養成所入り。68年「復讐の歌が聞こえる」で映画デビュー。71年に俳優座を退団。76年「祭りの準備」「田園に死す」でブルーリボン助演男優賞、89年「どついたるねん」で映画各賞を受賞。90年「浪人街」「われ撃つ用意あり」と92年「寝盗られ宗介」でいずれも日刊スポーツ映画大賞主演男優賞。これまでに「竜馬暗殺」「ツィゴイネルワイゼン」「陽炎座」など数多くの話題作に出演。03年に紫綬褒章を受章。195センチ。A型。 |
私が撮った写真の中から「古典芸能の後継者」をテーマに2枚選んでみた。 | |
福井神楽(福岡県糸島市二丈町) 毎年5月、福井白山神社大祭で奉納される。ここの神楽も舞手不足から一時中断したようだが、福井区民約200世帯が、昭和48年の福井神楽保存会を結成し、現在22名の神楽師が受け継いでいるという。 |
今津人形芝居(福岡市西区今津) 昭和30年代ごろ一時衰退したが、数名の経験者が存続に情熱を燃やし、現在では子供会を中心に指導がなされ、後継者が育っているという。 |