魁皇関 おめでとうございます 随筆のページへ

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File No.110714

魁皇関がついに通算勝利1046勝を記録し、史上1位になった。昭和63年春場所初土俵から、足かけ24年にして成し遂げた快挙である。大関の記録はこれだけにとどまらない。「大関在位65場所」「幕内在位107場所」「幕内出場1439回」「幕内勝利878勝」といづれも1位(もしくは1位タイ)更新中である。記録のかかった今場所は、場所前から体調は思わしくなかった。それは初日からの3連敗に象徴される。三日目、土俵に座り込むような魁皇関を見た時は本当に心配した。しかし、魁皇関は立ち直った。昨日の1位タイ、今日の新記録は見事というほかない。特に記録更新のかかった今日の一番は、実にすばらしかった。立会と同時に自分の得意とする左四つに持ち込み、しっかりと態勢を整えて、一気に寄り切った。まさにこれぞ魁皇関の相撲という取り口だった。場内は歓声と拍手に包まれ、花道ではファンから花束も贈られた。私も勝った瞬間、テレビの前で大きな拍手を送った。と同時に、年を取って涙腺が緩くなったのか、感激で涙が止まらなかった。

昔、プロ野球の外人助っ人で、ホーナーという選手がいた。これがすごかった。まるでピンポン玉を打つようにポンポンとホームランを打った。その時私は、こんな外人を連れて来ては絶対にいかんと思った。メジャーの強打者が、日本のピッチャーをいとも簡単に打つのである。それまで、我々が夢中になり応援してきたスーパースターたちの記録が書き換えられてしまう。そう思ったのである。今、相撲界は外人力士が、ひしめいている。幕内40人中14人が外国人力士で、しかも上位の、横綱、三役10人に至っては、6人が外人力士である。これはどう考えても異常である。相撲界が、地道に人材を発掘する努力をせず、安易に外国から連れてきたツケが回ってきた。九州溜会会長の河部氏は「外国人力士は、お金が目的で入ってくることが多い」と言っている。以前私は、双葉山の69連勝が、外人によって書き換えられるようなことがあったら、残念だが今後相撲は一切見ないと書いたことがある。相撲は、日本書記にも記述があるという長い歴史をもつ日本の神事である。はっきり言う"外国人力士などいらぬ!!"。

今場所直前の7月8日、西日本新聞に「大相撲の信頼回復なるか」という記事が掲載されていた。やくみつるさんが、記者の質問に答える形で意見を述べていた。それによると八百長問題の背景にあるのは「関取と幕下の待遇の差と、高額とされる親方株の存在」だという。関取と幕下の報酬の差が、八百長につながったというのは報道で知っていたが、親方株もその土壌になっているという。年寄株の価格が明らかでないのが原因になっているようなのだが、これが解決は番付下位を処分してケリをつけるようなわけにはいかないようだ。そもそも、今回の処分からは、協会の心根が変わったとはとても思えないという。記者の「心根が変わるとしたら、どこに表れるのか」という質問に対して、やくさんは、協会の理事会(9人)の構成メンバーを挙げている。外部組織がいくら提言しても、相撲協会の最終意思決定機関は理事会であり、そのメンバーのうち外部理事は2人である。やくさんいわく「最後は部外者には決めさせない」という協会の意思表示であるという。

魁皇関の相撲は、我々に感動を与えてくれる。逆に魁皇関にとって、ファンの大きな応援は、心の支えになっているだろう。基本に忠実な稽古を黙々と積み重ねる大関の人柄をみんなが知っている。大関の長い相撲人生を支えてきたのは、そんな相撲に対する真摯な態度である。壁にぶち当たっても、ぶち当たっても、乗り越えてきた。しかしそれは、決してむき出しの闘志ではない。魁皇関の表情は、微塵もそれを感じさせない。土俵下で取り組みを待つ大関の表情はあくまでも穏やかである。「心・技・体」の充実にこそ、日本伝統の奥深さがある。貴乃花親方はこう言っている。「何よりこれまでの魁皇の努力には頭が下がります。それは日々鍛錬を怠らず、何よりも基本動作、基礎的な体力を強くしていく努力を続けてきた。相撲の基本動作の繰り返しというのは、一番みんながやりたがらないことだが、若い力士たちにも是非その姿勢を学んでほしい」。今の相撲界を真に立ち直らせ、ファンの心をつかむのは、第2、第3の魁皇関を育てることである。



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2011/07/20 魁皇関引退
魁皇関の話
「やっと終わったな、長かったなと思う。振り返れば、いろんな人に支えられ、応援してもらった。そういう人たちがいたから、ここまでやってこれた。23年間の相撲人生は長い。簡単に振り返れないけど、すべての人に感謝したい。言葉にできないほど、感謝でいっぱい。魁皇としての人生は最高でした」

魁皇関、本当にお疲れさまでした。ゆっくり休んでください。
新聞に掲載された関係者の言葉を読めば、魁皇関の姿が見えてくる。

友綱親方の話(魁皇関の師匠)
「本人からの意向で、引退と聞きました。よくやってくれたということだけです。(魁皇には)よくやって、頑張ってきたという言葉で(ねぎらった)」
放駒理事長の話
「初土俵から23年間、本当にお疲れさまと言いたい。不世出の名大関として語り継がれると思う。今後は後進の育成に努め、第2の魁皇を育ててもらいたい」
九重親方(元横綱千代の富士)の話
「日々こつこつと踏ん張ってきた成果が1047もの白星につながった。本人は完全燃焼以上だろう。(通算最多勝の)記録を抜いたと同時に心の芯や張りがなくなったのかもしれない。長い間、本当にご苦労さまだった」
魁皇戦を最後に引退した佐ノ山親方(元大関千代大海)の話
「古い戦友として本当にお疲れさまと言いたい。この日の一番と雰囲気を見て最後になると感じたが、ファンのために一日でも長く土俵に上がる姿勢に感動していた。今まで本当に立派だったと思う」


魁皇関の手形とサイン

列車時刻表「特急・かいおう」