かぐや姫はなぜ?
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File No.110617
世の中では、パフォーマンスと私利私欲のバカな政治家たちが右往左往している。この四コマ随筆も300本目になったことだし、少し浮世のことを忘れて、かぐや姫の世界を漂ってみたい。「竹取物語」は、日本最古の物語と言われている。作者は不詳であるが、紀貫之(866?〜945?)説などもあるらしく、成立は平安時代中期、9世紀末から10世紀初頭とみられている。遣唐使が廃止され、国風文化が発達していく時代である。「竹取物語」も"かな文字"によって書かれているという。「日展」の"書"の部門などを観ると、よくぞ日本はこの美しいかな文字をつくったと思う。しなやかに書かれたその作品は、文字を芸術にまで高めている。書における"余白の美しさ"と言う言葉は、"行間を読む"という日本独自の奥深さ、繊細さに通じている。ただ、物語の舞台となっているのは、奈良時代初頭ということである。大宝律令という日本独自の律令がつくられ、「古事記」「日本書紀」が編纂された時期である。
竹取りの仕事をしている翁(おきな)がいた。ある日、いつも取っている竹の中に、根元が光る竹があった。その中には3寸ほどの可愛い女の子がいた。その女の子をお姫様のように大事に育てていると、3か月ほどで輝くばかりの美しい女性になった。"かぐや姫"と名付けられた。かぐや姫の評判を聞きつけた男たちが押し寄せたが、5人の貴公子たちは最後まであきらめずに求婚した。かぐや姫は、5人それぞれに、姫の望むものを持ってきたら結婚すると言う。しかし、3年が経っても、だれもそれを叶えられたものはいなかった。そんなかぐや姫の美しさは帝(みかど)の耳にも聞こえる。かぐや姫は、帝の命令にも承知しなかったものの、歌をやりとりなどして3年が過ぎた。ある日、かぐや姫は翁夫婦に、自分は月の都のものだということを打ち明ける。8月15日十五夜の日に、月の国から迎えの使者がくるという。帝は二千人の兵で警備させたが、月の使者の前では戦意喪失し、弓を引く力さえなくなってしまった。かぐや姫は、飛ぶ車に乗って月へ帰って行く。
ところで、かぐや姫はなぜ地球に降りてきたのか。かぐや姫は、翁に自分が月の世界のものであることを打ち明けるときこう言う。「・・・昔の契(ちぎ)りありけるによりてなむ、この世界にまうで来りける。・・・・」(前世の宿縁によって、この世界に参上していたのでございます)。また月から迎えに来た天人が言うには「・・・いささかなる功徳を、翁つくりけるによりて、汝が助けにとて・・・」(わずかばかりの善行を、翁がなしたことによって、お前を助けにしようと・・・)と言う。物語のタイトルは、実は「竹取翁物語」である。物語の中で、翁は竹の中から次々に黄金(こがね)を見つけ富豪になる。つまり、翁は前世で善行をしたので、翁を助けるためにかぐや姫は降りてきたのである。ところがその契りも「・・かた時のほどとてくだししを・・」(ほんのわずかな間だと思って)と、この地上に長く居るという契りではなかった。「・・・長き契りのなかりければ、ほどなくまかりぬべきなめりと思ひ、悲しくはべるなり。・・・」(前世からの宿縁がなかったために、このようにまもなくでていかなければならぬのだと思い悲しゅうございます・・・)。
かぐや姫が地球にやってきた理由がもうひとつある。月の使者が言うには「・・・かぐや姫は罪をつくりたまへければ・・・・罪の限りはてぬれば、かく迎ふるを・・・」(かぐや姫は天上で罪をなされたので・・・・今、罪障(ざいしょう)消滅したので、このように迎えるのだが・・・)。地球への「流刑」だったのである。つまり、刑罰として前世の宿縁を果たしに、地球に降りてきたのである。パラダイスである月の世界から、煩わしい地球に降りてくるということは、即ち、かなりきつい刑罰であったに違いない。男どもに言い寄られ、帝から言い寄られても拒み、あまりの美しさ故に自由に出歩くこともできない。だが、そもそも何の罪を犯したというのだろうか。これだけの絶世の美女であるから、やはり色恋沙汰ではなかろうか。万葉集に登場する但馬皇女(たじまのひめみこ)は、高市皇子(たけちのみこ)の妻であったが、義弟の穂積皇子(ほずみのみこ)を熱愛してしまう。持統天皇は穏便な処置をされたのだが、これは流刑になってもおかしくないのではないか。かぐや姫もこういう燃えるような恋が原因ではなかったろうか。そう思いたい。
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上記文中の現代語訳等は下記による。
新編 日本古典文学全集
12
校注・訳 片桐洋一
発行所 小学館
1994年12月20日 第一版第一刷発行
但馬皇女の歌
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人言を 繁み言痛み 己が世に 未だ渡らぬ 朝川渡る
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ことしげき 里に住まずは 今朝鳴きし 雁にたぐいて 行かましものを
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秋の田の 穂向きの寄れる 片寄りに 君に寄りなな 言痛くありとも
この三首から、但馬皇女が厳しい世間の“うわさ”に悩みながらも、激しい恋を貫いた様子がうかがい知れる。