方丈記
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File No.110506
「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず」。これは言わずと知れた「方丈記」の冒頭の有名な文である。現代語訳では「川の流れは絶えることがなく、しかも、その水は、決して元と同じ水ではない」となっている。「方丈記」が書かれたのは、貴族社会から武士の社会に変わる混沌とした時代である。そんな時代背景から「方丈記」を貫いているのは「無常感」である。それを知りつつ、ここでちょっと天の邪鬼(あまのじゃく)な解釈を加えてみたい。ほんの一瞬一瞬を切り取って比べると、間違いなく元の水とは違っている。しかし、もっと大きな流れで考えると、所詮地球の中の水の循環であるから、廻り廻って元の水が流れていることになる。こう書くと何だか強引に「輪廻転生」の方向にねじ伏せようとしているのが見え見えである。輪廻転生を繰り返しているとすれば、川の流れ同様、今の世界を構成している70億の人も、昔の流れを構成していた人が、時空を超えて再び流れを構成しているということになる。すなわち「ゆく川のながれは絶えずして、しかもその水は本の水である」。
人間は、60兆個もの細胞から成り立っている。生まれたときから、活発な細胞分裂を繰り返し、細胞の数が増えていく。一番細胞分裂が活発な時期は、中学生から高校生くらいである。極端な人は、身長が伸びるとき、痛みを感じるという。人間はやはりこの時期が、一番活力があり、オリンピックなどでも、若い伸び盛りの選手が、本命を倒して金メダルというのもよくあることだ。「娘十八、番茶もでばな」というが、これはまさに細胞の輝きなのかもしれない。先日の「笑っていいとも」で、"恋愛感情"というのは、子孫を残すために細胞が仕掛けた一時の感情だと言っていた。だから恋愛感情は、細胞が目的を達成したら、冷めてしまう。ということは、人間同士としての本当のつながりは、そのあとということになる。さてその細胞だが、部位によって違うようだが、一定期間ごとにつねに新しい細胞に入れ替わっている。皮膚は、ほぼ一か月足らずで入れ替わり、人間全体でも7年くらいで入れ替わるらしい。外見は全く変わらないが、中身は総入れ替えである。つまり人体に関して言えば「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず」である。
テレビ番組で新「BOSS」が始まった。前回と比べ大幅なメンバー変更はない。相変わらず天海祐希さんのBOSSぶりがいい。加えて、竹野内豊さんの"きざ”な野立参事官もいい。第一話で、大澤絵里子(天海祐希)に傾倒する連続殺人犯が、ツイッターでなりすましの書き込みをする。しかし犯人は、その発信地から足がつかないように、ランダムな場所から発信している。これを見て大澤絵里子は「人間にランダムはつくれない。ヒトは攪乱してランダムに行動しているつもりでも、ある規則性をもってしまうもの。その規則性を分析すれば次の殺人現場が分かる」という。大澤絵里子から要請を受けた木元真実(戸田恵梨香)が「ロスモの数学理論」で、次の犯行現場を品川駅だと割り出す。木元がぶつぶつ言っているところは、はっきり聞き取れなかったが、どうやら確率もかけ合わせていたようだ。このことから、私が言いたいのは、前回の随筆で書いたように"世界は基本的に決定論である"。つまり「未来が予測できないのは、人間の能力不足」ということである。
さて、「方丈記」に話を戻そう。冒頭の部分で「よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。・・・・あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける」。現代語訳は「淀みに浮かんでいる水の泡も、消えたり出来たりするが、長く同じ場所に泡が留まっていることはない。・・・・朝、誰かが死に、夕べに誰かが生まれるというのが、世の習いである。こういう世のあり方は、浮かんでは消える水の泡にも似ている」となっている。これをまたしても強引な解釈でねじ伏せよう。ここでいう"泡"は、宇宙が生まれる初期状態を暗示している。無数の泡が生まれては消えていく。しかし、極めてまれに泡の一つが消えずに宇宙の元になる。わずかなゆらぎによって宇宙は生まれ出た。そのわずかな不規則性によって、今の我々が存在する。だが、それは「あしたに死し、ゆふべに生る」である。宇宙は単一ではなく、いくつも存在する。その宇宙でさえ、生まれては消えていく。我々は、その宇宙の一つと運命共同体である。この"宇宙的無常感"というのはどうだろう。
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