海釣り公園
(福岡市西区)
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File No.110209
立春を過ぎ、さしもの寒さも峠を超えたのか、この数日は暖かい。また週末は寒くなるようだが、季節は確実に移り変わっている。確定申告は2月15日から、となっているが福岡タワーの特設会場ではすでに受付をしているので早々と済ませてきた。天気も良く、久しぶりに車の窓を開けて走った。この爽快さにつられ、かねてより行ってみようと思っていた「海釣り公園」(福岡市西区)に行ってみることにした。と言っても、私は釣り道具など一切持っていない。だが心配することはない。私のようなど素人でもレンタルの道具(1080円)で、ちゃんと釣りができるようになっている。料金は入園料(4時間までが基本料金)、駐車料合わせて1300円だが、私は65才以上ということで半額だった。さて、エサを付けて釣り糸をたれ、釣りの雰囲気を存分に楽しむ。海の上にいると、圧倒的な量の水が、ゆらゆらと揺れながら迫ってくる。遠くに大小の船が行き交い、静かな海と暖かい太陽、T字型の釣り桟橋に腰を下ろして、ゆったりと釣り糸を垂らす。なかなかいいものである。約4時間、超初心者の釣りに付き合ってくれた魚は、小さな鯛(?)と小さなふぐがそれぞれ一匹ずつだった。
スタインベック著の「コルテスの海」というのがある。この話は船を6週間チャーターして、カリフォルニア湾の海岸に生息する小動物(無脊椎動物)を採集する話である。"時折はるかかなたでマグロの群がジャンプする。宙に身を躍らせると一瞬太陽の光を浴びキラキラ輝く。生命に満ち溢れた一帯。おそらく海底も同じように豊かだろう"。スタインベックの目を通して、生き物の姿がいきいきと書かれている。スタインベックは「生命にも究極の目的がある。生き残ることだ。あらゆるトリックやメカニズム、成功と失敗が目指しているのはこの目的に他ならない」と、生き物たちの生きる姿から、生命の根源にまで迫っている。"干潮時にむき出しになった岩は、いかにも生命が漲って(みなぎって)いて想像以上に凄まじい。豊穣な活力が溢れ、激しい生存競争があった"。海も陸上同様、食物連鎖で、生き物たちの戦場である。さて、私ごときに釣りあげられたさかなくんはどうだったのか。ふぐくんは尻尾に引っ掛かっていたから、心ならずもだったろう。せいいっぱい体を膨らませて、不満をぶちまけていた。小さな鯛くんは、よほどのんびりした性格だったのか、エサも付いていない釣り針に見事に食いついていた。
過日テレビで「地球最初の生命体」というのを放映していた。オーストラリア南部のエディアカラ・ヒルに、今日を生きるほとんどすべての動物と根本的に同じ身体の設計を持つ、
約5億5千万年前の
動物の化石が見つかった。それは「移動する能力」を持つものだったという。海底をゆっくり這うだけの移動でも、動ける動物は危険から逃げ、食物の豊富な場所に移動することができる。これこそが生命の歴史において計り知れないほどの強みになった。その新たな移動能力をもたらしたのが「左右対称の身体の形」であるという。確かに現在を生きる動物のほとんどがシンメトリーになっている。だが驚くのはまだ早い。移動し始めると体の前の部分が頭になり、前面に目や触覚などの感覚器官ができた。さらに「有精生殖」によって子孫を残し始めたという。何ということか、地球を征服した人類は、数億年前、海の底でゆっくり動き始めた動物と、全く同じ基本設計なのである。私に釣りあげられたさかなくんも、アマゾンの奥地でひっそり生きる動物も、同じ基本設計で、それぞれが生きるためのチエをDNAに刻み込みながら必死に生き延びてきたのである。
私の父は、町内でも釣りの名人と言われていた。大物が釣れたり、食べきれないほど大漁の時は、よく鮮魚店に売りにいっていた。父は、私が興味があるなら、喜んで一流の釣り師に育てたであろうが、いかんせん当時の私にはまったくその気がなかった。それでも、釣り大会について行ったりして、大物がつれると私までも鼻高々だった。おそらく父の頭の中には、魚の種類ごとに、その習性がぎっしりプロファイリングされていたに違いない。海釣り公園で隣り合わせになった人が、釣りの基本的なことを話してくれた。釣れるのは潮が動き出す干潮、満潮の2時間くらい前からで、しかも少し波があって、海の底が濁っているくらいの時がいいらしい。そうすると、私が釣っていた時間は、干潮と満潮の丁度真ん中で、海はべた凪だった。およそ釣りの常識からかけ離れていた訳だ。そんな中で釣れたさかなくんたちは、ひょっとして人情相撲(言っておくが金銭の授受はなかったぞ)で食いついてくれたのかもしれない。そういう訳で彼らは、記念写真だけ付きあって、ほぼ1分足らずで勢いよく海に帰って行った。
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