大阪造幣局:桜の通り抜け 随筆のページへ

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File No.100420
日見子が以前から行ってみたいと言っていた「大阪造幣局の桜の通り抜け」に行ってきた。一週間前に急きょ思い立ったので、造幣局近くのホテルがとれるか心配だったが、幸い歩いて10分ほどのところに予約ができた。車で片道約650km、愛車ブルーバードで出かけた。少々気温は低かったが、天候に恵まれ気持ちのいいドライブ日よりになった。朝7時スタート。九州自動車道〜中国自動車道〜山陽自動車道〜近畿自動車道を駆け抜け、午後4時にホテルに到着した。

(1)中国自動車道・美東SAで一休み
山陽自動車道・宮島SAで食事

(2)大阪市内・国道1号線を走る
目的地まであと数キロ
ホテルにチェックインし、ひと休み。せっかくだから、ライトアップの夜桜と翌日昼間の桜、両方を楽しもうということになった。夕暮れせまるころ、造幣局あたりが眺められるイタリアンレストランで、景色を楽しみながら夕食。そして、いよいよ夜桜見物。“幻想的な”と言いたいところだが、その人の波は半端ではなかった。それもまた祭り気分を大いに盛り上げてくれた。今年は、127周年にちなんで127種をそろえたという。八重桜が実にきれいだ。

(3)イタリアンレストランで
夕景を楽しみながら食事

(4) ライトアップの夜桜を楽しむ
南門から北門まで約560mの花のプロムナード。
翌朝、明るくなるのを待って、すぐ近くにある大阪城を散策してきた。早朝の風景はいづこも同じで、ウォーキングする人、ジョギングをする人が行き交う。それにしても、大阪城の巨石は大きかった。しばし見とれるほどの巨大さだ。堀端には、あの橋下知事のいる大阪府庁があった。

(5)好天気に恵まれ、早朝の大阪城を散策

(6)大阪城の堀端にある大阪府庁
チェックアウトの前に、もう一度「桜の通り抜け」を楽しんだ。少し早めにと思い、9時前に行ったがすでに長蛇の列。開門と同時に、もはや大混雑の心斎橋筋状態だった。特に外国語があちこちで飛び交っていたのには驚いた。開花状況は、この2日間が最高の見ごろであったろう。今年の花は「都錦」。元々は京都御所にあったという桜で、淡いピンク色が上品な印象だ。桜のトンネルなどは、まさに花のシャワーを浴びているようであった。

(7)造幣局前には長蛇の列
開門直後にはすでにこんな状態。
今年の花は「桜錦」

(8)開花状況は、新聞報道での
予想通り満開八重桜が
見事に咲き誇っていた

(9)珍種・小手毬

(10)見事な桜のトンネル
ホテルをチェックアウトし、難波まで出た。やっぱり昼食は「お好み焼」にした。その後、地下鉄「心斎橋駅」近くの「東急ハンズ」を見たり、「難波駅」近くの「りくろーおじさんの焼きたてチーズケーキ」を買ったりと、大阪の街も大いに楽しんだ。こうして、帰路に着き往復約1300kmの旅は無事終わった。

(11)昼食はやっぱり
道頓堀で「お好み焼」
「東急ハンズ」も覘いてみた

(12)大阪に来た時は、いつも
必ず、りくろーおじさんの
「焼きたてチーズケーキ」を買う
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造幣局南門に立っている案内板『「通り抜け」のご案内』には
次のように書いてある
 造幣局の所在地であるこの辺りは、昔から景勝の地として名高く、春は桜、夏は涼み船、秋は月などと四季おりおりの賑わいを見せ、特に春には、対岸を桜の宮と呼ぶにふさわしく、この地一帯に桜が咲き乱れていたそうです。
 造幣局の桜は、明治の始め、藤堂藩の蔵座敷(現在、重要文化財に指定されている泉布観の北側)から移植されてきたもので、品種が多いばかりでなく、他では見られない珍しい里桜が集められていました。
 明治16年(1883年)当時の造幣局長遠藤謹助の「大阪市民の皆さんと一緒に花見を楽しもうではないか。」との発案で、混雑緩和のために一方通行にして一般に解放することとなりました。
 これがいつしか「通り抜け」と呼ばれるようになり、今日までの永きにわたり、大阪市民をはじめとした多くの皆様に親しまれ「大阪に花の里あり通りぬけ」(本田渓花坊作)と詠われるように愛されています。
 現在ここにある桜は、関山・松月・普賢象・楊貴妃などの八重桜が主です。なかでも大手毬・小手毬などは造幣局以外ではめったに見られない珍種といわれています。
 もともと、桜は喫煙や塵埃などで汚染された環境の中では育ち難く、特にここにある品種は生育が困難とされていますので、専門家の指導を受け、できるかぎりの手入れに努めています。
 どうか皆様、大阪の名所「通り抜け」の桜を今後とも末永く保存するため、可愛がってください。
造幣局
平成22年で通り抜けは、127年を迎えることになりました。
品種127種 本数354本 今年の花 都錦