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File No.100405

日見子が白内障の手術をした。今まで悪いながらも、ずるずるときていたが、メガネを紛失したのがいいきっかけになった。せっかく新しいメガネを作るなら、眼をよくしてからということになった。歩いて2分という至近距離に大きな眼科ができたのも好材料である。相談にいったら、手術は簡単なようで、それも近眼、老眼どっちにしたいか自由に選べるという。日見子は、本や新聞を読むとき、メガネがいらない方を選んだ。元々、近眼だったので遠くを見るとき、メガネをかけることには慣れている。それより、本を読むときメガネをいちいちかける方が煩わしいのである。一方、私は何度か病院に行ったおかげで、置いてあるパンフレットなどで、目のメカニズムについては、少々詳しくなった。目から入ってきた光のエネルギーは、網膜に逆さまに映し出される。これをカメラのフィルムなら、物理的に残すだけだが、網膜は意味のある「画面」にする。この情報が神経を通って脳に送り込まれる。それが脳の中で補正・現像され、我々は初めて外界の様子を認識する。この一連の作業が、一瞬のうちに処理され、かつ連続して行われ続けるのである。

今回の件は、改めて「眼」について考える、いい機会になった。我々が持つ五感(視覚・聴覚・臭覚・味覚・触覚)は、いづれも「外界」と「脳」を結びつける上でなくてはならないものだ。その中にあって「視覚」は、外界の膨大な情報を一瞬にして我々に与えてくれる点で優れている。「百聞は一見にしかず」ということわざ通り、たった一回見ることの方が、百回聞くことより理解できるのである。しかし、その見通す能力については、動物によってかなり違っている。鷲や鷹が獲物を狙う鋭い目は伊達じゃない。人間の何倍もの視細胞を持ち、遥か彼方の獲物を見つけ、その獲物が対応できないスピードで捕獲する。人間が食料を得たり、外敵から身を守るためには、それほど高いレベルの視力はいらない。ハエは1秒間に200コマの映像を見ることができると言うが、人間なら、せいぜい1秒間に24コマ(映画)あれば事足りる。それは人間が「知恵」という高度な武器を獲得したからである。道具を使って獲物を捕らえ、作物を栽培して食糧を得る。それぞれの動物が持つ視覚は、進化の段階で得た生き延びるために必要なレベルなのである。そうなると、人間の持つ「美」という感覚もまた、生きていくために必要な能力ということになる。

先日テレビで「記憶の海」という4回シリーズのドラマが放映された。これは「人間の脳の記憶」をテーマにしたものだった。主人公・広田は、記憶の研究の実験中の事故で、海馬が機能しなくなり、覚えていられるのはわずか3分だけという設定である。ドラマの中で言ってることが実に興味深く、じっくり観させてもらった。たとえば「人間の記憶は、事実の記録ではなく、揺れ動く感情の痕跡だと思っています」といったふうである。最終話ではこんなことを言っていた。「記憶はそれぞれ感情や意志を伴って連動します。記憶の研究をすればするほど、どこまでも深く広がっていて、科学的な研究ではどうしてもたどり着けないところがあります。まるで海みたいに・・・」。最近では、脳の研究が進んで、どの部分でどういう機能を司っているというようなことが、かなり分かってきた。しかしこれは単に、物理的な解明でしかない。深い深い海の底のような脳の広がりの中に横たわる人間の心は、科学的に解明するのは難しいだろう。というより、この「人間の心」を科学的に解明して、HDDへコピーしたり、単なる数値や文字の羅列などにしてはなるまい。

病院には、結構患者が来ている。木曜日が手術日ということで、この日だけでも12人もの人が手術を受けるようだった。ここの先生は、これまでに3000人ほど手術をしたという。日見子いわく「昔は年取ったら"目が薄くなったとか、耳が遠くなった"だけで済ましていた。ところが最近、眼のほうは手術で治せるようになった。年をとれば確実に、目は悪くなっていく。高齢化社会が進むにつれ、眼科には巨大なマーケットが広がっているわね。そこへいくと耳鼻科は、悔しい思いをしているでしょうね」(手術を前に、そんな呑気なことを言ってる場合か?!)。手術は、片目なら約15分ほどで済む。本来なら、片眼ずつ数日おいて手術するのが普通のようだ。しかし、近々法事があるので両目一緒に手術することになった。片目を手術し、30分の間を置いてもう一方を手術した。全部で約1時間ほどを要した。手術後、回復室で約1時間半休んで、帰りは歩いて帰れる。家に帰ったら開口一番「あら、これには模様があったのね」と、今までのアナログから、突然ハイビジョン映像になったようだ。もちろんここから数日間、私の「料理」の腕前が冴えわたることになる。

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2010・04・06 男子フィギュアも・・・
先日下記のようなことを書いた。
2010・03・28 今年の松井秀喜選手
 去年の秋、松井選手がワールドシリーズでMVPに輝いたのと同じころ、安藤美姫選手もGPシリーズで連勝した。この「同じ時期に」というところが重要なところだ。この時期は、明らかにルビコンのコントロールができてなかったと思われる(出来ない状況に追い込まれていたのかもしれない)。このことが瞬間湯沸器のルビコンには、許せなかったようで、この後かなりの攻撃が予想される状況だった。そこで、五輪出場の安藤選手については、前回のトリノのような悲惨なことにならないよう呼び掛けた。その結果、バンクーバーの安藤選手は、自分なりに満足の滑りができた。しかし結局、他の選手をコントロールして、安藤選手の順位を段々下げていくという手段でガス抜きをしたようだ。昨日の世界選手権も、浅田選手を優勝させ安藤選手は4位と、全日本とまったく同じ構図だった。目の前で浅田選手の表彰を見させるというやり方だ。
 さて、松井秀喜選手だが、すでにルビコンのコントロールは始まっている。その手始めがエンゼルスへの移籍である。イチローと同じ地区にした魂胆ははっきりしている。今シーズンの松井選手には、そこそこの数字しか出させないのではないかと危惧している。反面イチロー選手は浅田選手同様、去年の反撃で相当のバックアップが予想される。ひょっとすると、またMVPを取らせるということも考えられないことではない。メジャーにいった年、即 新人王とMVPを取らせたくらいだから、ルビコンにとって、これくらいは簡単なことだ。
 ルビコンのえげつないやり方をもうひとつ。ホークスのヤフードーム開幕戦。孫オーナーの前で、記録的大敗を演出した。2戦連続15失点以上というのは、1938年「南海」誕生以来、70年の歴史の中で初めてだという。このえげつないやり方は、ルビコンの性格をよく表している。昨年、一昨年に見せた、交流戦(公式戦)までは持ち上げておいて、あとは順位を下げさせていくというやり方は、バンクーバーの安藤選手のパターンである。
 もうひとつ付け加えて補強しよう。松井選手のMVPと安藤選手のGPシリーズ連勝の時期がシンクロしているのは、上記で述べた通りである。更にこの時の浅田選手の状態を覚えておいでだろうか。GPロシア杯では、GP通算14戦目にして初めて表彰台を逃し5位だった。このあとNHK杯で安藤選手が連勝し、浅田選手のファイナル進出がかなり厳しくなり追い込まれることになる。なお、安藤選手がNHK杯で連勝を決めた前日が、松井選手の優勝パレードの日だった。ここまで書けばこの一時期は、完全に今のルビコンのコントロールの逆の現象であったことが分かる。私の言う異次元からのコントロールを、現実問題として少しは信じる気になったのではありませんか。
気付かなかったが、男子フィギュアにもルビコンの影がちらついている。去年の10月、フランス杯と中国杯で織田信成選手が連続優勝しファイナル出場を決めた。この時期は上記のとおり松井選手、安藤選手の活躍時期と一致している。問題は、織田選手がバンクーバーで靴ひもが切れるというアクシデントに襲われたことだ。その時ライバルの高橋大輔選手は日本人初の表彰台にあがった。このパターンは安藤×浅田のパターンとそっくりで、間違いなくルビコンのパターンである。世界選手権の結果を見たとき、ふっと“もしかすると”と思って、去年の10月、11月を調べてみると案の定だった。しかし、この件は私にはまったく関係ないのだが・・・・
2010・04・09 松井秀喜選手とソフトバンク
4月6日〜8日もコントロールがシンクロしていた。
4月6日 4月7日 4月8日
松井秀喜選手 新天地で鮮烈デビュー。1号と決勝打。一気に主役。
 (^O^)/
3度の好機に凡退。得点圏に走者をおいた3打席とも凡退。
 (;一_一)
4打数3安打で移籍後初の猛打賞。
 
(^O^)/
ホークス 松中先制2号、ロッテにガツン。完璧、主砲の本領発揮。
 (^O^)/
タカ0点。10三振、反撃の糸口さえ見出せなかった。
 (;一_一)
和田完投、自己最多15K。打線も奮起、3発11安打。
 (^O^)/