天の川銀河の中心には、巨大なブラックホールがあり、太陽系の中心には我々の生命の元である太陽がある。物質を構成する最小単位「原子」の中心には「原子核」があり、生物の最小単位である「細胞」の中心にもやはり「核」がある。その「核」の中には、守り続けてきた遺伝情報「DNA」があり、その「核」によって生命は支配されている。その細胞が作り上げた一個体として我々人間がある。そのセオリーからいくと、一個体としての人間にも、それを支配している中心となるものがあるはずだ。それは、肉体としての中心に「心臓」があるように、人間としての中心には「魂」がある。以前、私は『死の瞬間に「魂」と「身体」のどっちが主導権を握っているかが分かるのではないか』と書いたことがある。結局のところ、魂は現世に現れるための拠り所として細胞を必要とし、遡れば「魂」が生まれる"ゆりかご"であったのは細胞である。「魂」は、どの世においても波長の合う「DNA」を見つけて、そこを拠り所としているのではなかろうか。つまり、どちらが主導権を握るということではなく、お互いが魅かれあった結果と言えそうだ。
邪馬台国の時代の人口を、仮に300万人としよう。そうすると、それからでさえ約40倍にはなっている。日本だけでも1億2千万は増えている。つまり魂は、過去の「魂」が新しい身体に融合するだけでなく、次々と新しく生まれ出ている。元々人類は、アフリカの一握りの祖先から全世界に広がっていった訳だから、68億の魂が生まれ出たということになる。素粒子は「無の空間」から生み出される。「無の空間」を満たす「場」のエネルギーが集中した部分から素粒子が生まれる。我々の存在する宇宙もまた137億年前に生まれ出たひとつの時空の状態である。「魂」もこの世に「生」を受けると同時に、脳内を満たす「場」のエネルギーの一瞬の集中で生まれ出るのではないだろうか。「魂」という小宇宙が我々の体内で生み出されるのである。その「魂」は「死」によって肉体を離れる。その「魂」が次の世に現れたとき、前世の記憶がないのは、恐らく現世を離れるときに、リセットしているのではないかと思う。つまり、「死」の直前に走馬燈のように、辿ってきた人生の記憶が現れるのは、初期化する前の儀式なのである。
2009年度の「科学を語る会」の統一テーマ「始まりを知る」で、その第一回のテーマは「生命の始まり」だった。その時、生命の始まりを次のように定義された。「物質の集団によって成り立っている生物は、生物のない状態で自然発生的に集合した物質集団のあるものが、生命という現象を司る仕組みを獲得したことによって誕生した」と。「生の状態」を定義すれば「死の状態」も定義しなければならない。これが結構難しい問題だそうだ。生命が物質集団を離れ、単なる物質集団になる時点を確定させなくてはならない。人間なら60兆個の細胞が複雑に絡み合っている。どの反応が停止したら「死」と判断するかである。「臓器移植法」では「脳死を人の死」とし、その定義は「脳幹を含む脳全体の機能の不可逆的な停止」となっている。「科学を語る会」では、「死の状態」とは、「生体を構成していた物質集団のエントロピーの動きが客観的自然界のエントロピーの動きと等しい状態」とのことだった。このエントロピーとは「物質の状態について定めた変数のひとつ」と言うが、学問というのは何やらややこしい。
母の七回忌法要の打ち合わせをした。時が過ぎるのは速い。あれからもう6年が経つ。来世に旅立った母は今、どんな波長の合う人物を拠り所としているのだろうか。相変わらず忙しい毎日を、エネルギッシュに送っているに違いない。考えてみると、あの母を御していた父もまた偉かった。御している風を微塵も見せなかったところがすごい。釣りが好きで、しょっちゅう出かけていた。町では釣りの名人として名を馳せていた。魚が釣れ過ぎると、魚屋に売りに行っていたくらいだ。私に釣りの極意を伝授したかったようだが、私があまり興味を示さなかったのであきらめたようだ。商売の方は母に任せっきりで、一見気にしている様子などないように見えた。しかし、年に一回、一年分の商品を大阪の問屋に行って直接仕入れてきていた。つまり、年間の販売量や売れ筋商品、大阪の新しい流れを読んで的確な仕入をするなど、商売の根本的なものはちゃんと抑えていたのである。「一年を十日で暮らすいい男」だったわけだ。父と母はいいコンビだったと言える。こんど、釣りにでも行ってみようかな。
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(注)この随筆は、何の宗教的な意味も、深い科学に裏付けられたものでもありません。単に素人の独り言として、読み流してください。
2010・02・24 過日私は、上記のように書いたが、今日の西日本新聞の随筆「非社交的社交性」(哲学者・中島義道氏)で“善意という暴力”と題してこんなことが書いてあった。
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日曜大工? 洗面台と洗濯機の間に、中途半端なスペースがあり、デッドスペースになっていた。ここを何とかしようと、いろいろなラックを見て回った。ところが既成のラックでは、幅がよければ高さが合わずと「帯に短したすきに長し」状態で、これといったものが見つからなかった。そんなとき、ホームセンターの折り込み広告に、支柱と棚板を自由に組み合わせて、オリジナルの棚が作れると載っていた。早速、買いに行った。棚板は、我が家のスペースに合わせて、ホームセンターの巨大なマシーンでカットしてもらった。後は、釘を打つだけである。それも打つ場所は、支柱側に穴が開けてあるので、本当にただただ打ち込むだけだった。実に簡単に、デッドスペースにぴったりの棚ができ上がった。白木で手作り感があって実に見栄えがよい。それより(そんなに簡単にできたとも知らず)「あら、やるじゃない」という一言で、何だかはまりそうな雰囲気である。 |