祝 MVP!

松井秀喜選手


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File No.091106

松井秀喜選手、おめでとう! メジャーに渡って苦節7年、松井選手が満を持しての大爆発、ついに念願の頂点を極めた。第6戦は、2ラン、2点打、2点2塁打と文字通りゴジラが火を噴き、フィリーズを火だるまにした。2222このアヒルの行進が、ヤンキースの優勝パレードと、日本人初のワールドシリーズMVPを手繰り寄せたのだ。ワールドシリーズは、世界一を決める試合というのは誰もが認めるところである。その大舞台でMVPに輝いた松井選手は真に野球界の頂点に立ったと言えよう。ワールドシリーズ1試合6打点は、49年ぶりといい、最終戦でいえば初の快挙だそうだ。打率6割1分5厘は6試合のシリーズでは新記録、13打席という最少打席でのMVPは史上タイ記録、一度も守備につかずMVP獲得は史上初など、記録ずくめだった。先制、中押し、ダメ押しとまったく危なげない試合展開の立役者となった。松井選手が打席に入ると観客席から「MVP!MVP!MVP!」の大合唱が沸き起こった。松井選手は、この熱いファンの大合唱に、新ヤンキー・スタジアムでの世界一という輝かしいプレゼントで応えたのである。

優勝に大手をかけた第6戦では、5番DHで先発出場。最初の打席は2回、1塁にA・ロドリゲスを置いて、ピッチャーは第2戦で決勝ホームランを打ったマルティネス。ぎりぎりきわどい内角低めの球もしっかり見えている。そして8球目、打球は高々と舞い上がりライトスタンド中段に突き刺さる先制の2ランホームラン。しかし、ダイヤモンドを回る松井選手の顔は厳しかった。この心構えが次の追加点を生む。3回A・ロドリゲス三振のあと、2アウト満塁の場面で松井。絶好調の松井にはこの場面もプレッシャーではない。2ストライクと追い込まれながらも、センター前へ2点タイムリーは見事だった。観客席は興奮のるつぼとなり、松井MVPを確信したに違いない。5回ウラ、A・ロドリゲスがフォアボールで歩き、1アウト、ランナー1,2塁で松井登場。観客は立ち上がって声援を送る。ここでフィリーズは、左ピッチャーに交代。だがこの時の松井には通用しない。松井の一撃は、ライト、センター間を真っ二つ。2塁打でさらに2点を追加した。優勝の瞬間、真っ先にベンチから飛び出してきたのは松井選手だった。

ピンストライプのユニフォームを着て、世界一になることが夢だった。その悲願を達成するまでの道は、苦難の連続だった。「左手首骨折」で連続試合出場がストップし、「両ひざの痛み」と戦い、精神的にも、肉体的にも満身創痍で戦ってきた。しかし、黙々と野球を極める姿勢の松井選手には、何事にも動じない精神力があった。今回の栄冠を勝ち取ったその不屈の精神こそ、我々が学びたいところだ。WBCへの出場も、悩みに悩んだ末に出した真のプロとしての決断であったろう。我々は、その決断に至った真の心を、どこまで理解しえただろうか。そんな中、建設機械の会社「KOMATSU」が、広告でバックアップしていたのは、私としては嬉しいことだった。第6戦では、その「KOMATSU」の看板があるヤンキー・スタジアム2階席へ、先制2ランが飛び込んだ。まさに「KOMATSU」の看板の真正面だった。2点2塁打の第3打席の松井選手のバッターボックスの後ろには、松井選手のCMでおなじみのキリンビバレッジの「FIRE」の広告があった。今日は、久しぶりに乾杯しようと「キリビール」を買ってきた。本当は「FIRE」で、というところだろうが、ここはキリンつながりということで許していただこう。

新ヤンキー・スタジアムの、初代4番打者は松井選手だった。日本人選手の夢であるメジャーリーグの、それも4番打者である。4番打者というのは、それなりの成績も必要だが、決してそれだけではない。強烈な「存在感」がなければならない。松井選手が、バッターボックスで構えたときの存在感には迫力がある。ブルッと肩をゆすって、ふーっと息を吐く。まさにゴジラが戦闘モードに入った感がある。この戦闘態勢から叩き出した、今季のレギュラーシーズンのホームランは2004年の31本に次ぐ28本だった。それもDHでというところがすごい。野球の中で一番豪快なのは、ホームランである。ホームランは、守備をする側にとって、何の手の下しようもない。ただただ振り仰いで見送るしかないのである。MLBの実況中継を聞いていると、よく「セイヤー」と言っている。これは本当は「See Ya」と言っているそうで、意味は「(ボールよ)さようなら」と言っているらしい。4番打者で始まった松井選手の2009年度は、ワールドシリーズ制覇と日本人初のMVPという輝かしい勲章を勝ち取って幕を閉じた。

号外「 松井MVP

表面
2009年(平成21年)11月5日
スポーツ報知

裏面
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昭和55年発売 30センチLPレコード・10枚組
「不滅の日本ジャズポップス」
日本が世界に誇るビッグ・バンド「原信夫とシャープス&フラッツ」が今年で終わるという。「ファイナルコンサート2009」として日本のトップミュージシャンをゲストに、お別れ公演も行われたようだ。さびしい限りである。日本のジャズバンドとして、初めてニューポート・ジャズ・フェスティバルに出演し、日本に「原信夫とシャープス&フラッツ」ありを世界に知らしめた。日本のビッグバンドのサウンドが世界に認められたと、私もちょっと誇らしかったことを思い出す。上のレコードは昭和55年ころ買ったもので、日本のトップジャズプレーヤーの演奏が10枚組になっている。今は亡き、松本英彦やジョージ川口などがなつかしい。ファイナルコンサートにゲスト出演していた、日野皓正、北村英治、前田憲男、渡辺貞夫などもこのレコードに入っている。58年の歴史の幕を閉じるといっても、原信夫さんはまだまだお元気な様子なのが嬉しい。今後も日本のジャズ界の重鎮としてご活躍を期待したい。
この中の「原信夫とシャープス&フラッツ」のレコードは、1970年(昭和45年)発売のもので、当時のヒット曲が入っている。曲目は下記の通り。
A面  (1)テイク・ファイブ(2)カミン・ホーム・ベイビー(3)ウォーター・メロン・マン(4)ラウンド・アバウト・ミッドナイト(5)シスター・セディ(6)ウィスパー・ノット
B面  (1)ワーク・ソング(2)マーシー・マーシー・マーシー(3)ザ・サイドワインダー(4)ジャンゴ(5)ファイブスポット・アフター・ダーク(6)マイルストーン
「原信夫とシャープス&フラッツ」の雄姿は、今年の「東京ジャズ2009」でも見られた他に「マンハッタン・ジャズ・クインテット」も出演していた。MJQの方は今年、結成25周年だそうだ。デビッド・マシューズ(P)とルー・ソーロフ(TP)は相変わらず元気である。ちょっと驚いたのが、チャーネット・モフェット(b)だ。もう立派な中年になっている。当時、10代だったと思う。両バンドとも、改めて歳月の経過を感じた次第である。