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File No.090810

"紫の にほへる妹を 憎くあらば 人妻故に 我恋ひめやも"(#1)
"我が里に 大雪降れり 大原の 古りにし里に 降らまくは後"(#2)
この二首は天武天皇(大海人皇子)が詠んだ歌である。#1は、額田王(ぬかたのおおきみ)が天智天皇(中大兄皇子)の皇宮に入った後、まだ愛していると未練たっぷりの歌。#2は、天武天皇が藤原夫人に、こっちには雪が降ったと自慢しているユーモアたっぷりの歌である。大海人皇子といえば、皇位継承で骨肉の争いとなった壬申の乱で、あっという間に大友皇子軍を制圧し、即位後、皇室の地位を高め、天皇中心の体制を確立していった天皇である。この二首は、それまで私が抱いていた天武天皇のイメージとはまったく違っていた。万葉集は7世紀から8世紀にかけての130年間の詩歌が集められている。天皇から名もなき庶民まで幅広く、千数百年前の我々の祖先の“こころ”がいきいきとあらわされている。万葉集はいろんな意味で驚かされるが、天武天皇の二首もその驚きの一つである。

"うつせみの 常の言葉と思へども 継ぎてし聞けば 心惑いぬ"(#3)
作者のわからない歌だが、千年の時を超えても、実によく理解できる心の動きである。男が「あなたは、私の月だ、星だ、太陽だ」と言い寄ってくる。月並みな言葉でも、何度も何度も告られると、こころが傾いてしまう。きっとこの女性は、大伴家持のような、遠くから見ているだけの、あこがれの男性がいたのではないだろうか。あこがれと現実は違うわけで、徐々にあこがれが去って、現実が目の前に下りてくる。
"西の市に ただひとり出でて 目並べず 買ひてし絹の 商じこりかも"(#4)
これもまた作者が不明だが、平城京の役所に勤めている、ちょっとたよりないまじめなだけが取り柄の男のようだ。つまり、(#3)の歌を詠んだ女性に、告白したのはこんな男性だったのかもしれない。華やかでかっこいい男性と結婚するよりも、かえってこんな男性と結婚したほうがいい。一生を終るとき「私の人生は、平凡ではあったけれど、そこそこ幸せだったかな」と思える人生が送れる。平凡こそ最高の幸せであり、あこがれの男性は、"青春の思い出"という心の財産である。

"白玉は 人に知らえず 知らずともよし 
知らずとも 我し知れらば 知らずともよし"(#5)
この歌は元興寺(奈良)の僧が詠んだ歌である。自分を真珠に例えているので、相当に僧侶としての修行を積んだのだろう。しかし、嘆いてこの歌を詠んだところをみると、悟りを開いた様子ではない。今、西日本新聞で「親鸞」という小説(五木寛之 作)が連載中である。その中にもこんな会話がある。
(2009・03・31 206回) 「そのころはのう、隠遁(いんとん)し聖となることもまた、人々に崇(うや)まわれ、ひそかな尊敬を集めるもう一つの名利(みょうり)の道でもあったのよ。わたしの心の中にはそのような隠れた名声を求める煩悩の火がもえさかっていたのかもしれぬ・・・」
(2009・06・07 272回) 綽空は顔をあげて答えた。「人にもまして煩悩ふかきわたくしでございます。・・・・」「わたしは、綽空、そなたがうらやましいのだよ」と、法然上人はいった。「女人とも愛しあいたい、酒も、遊びも楽しんでみたい、そう心の中で思いつつも、この年までなぜか縁がなかった。心が善くて戒を守ってきたのではない」
人間、煩悩の域を超えることは容易ではない。


万葉集の前半を代表する女性は、大海人皇子を夢中にさせた額田王(ぬかたのおおきみ)だろう。一方、後半を代表する女性は、やはり大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)である。万葉集を編纂したと言われる大伴家持(おおとものやかもち)は、坂上郎女の娘婿になる。彼女も万葉集の編纂にもかかわっており、かなりの数の歌が集録されているようだ。彼女を表現するのに、"万葉を代表する女流歌人""知性を感じさせる""奈良時代を代表する女性のインテリ"などなど、どれを見ても"名門の才気あふれる女性"を想像させるものばかりだ。
"今もかも 大城の山に ほととぎす 鳴き響むらむ 我なけれども"(#6)
これは、西鉄太宰府駅の駅前広場の歌碑に書かれている坂上郎女の歌で、太宰府にいた頃を懐かしんで詠んだ歌だという。福岡ともかかわりのあった万葉の歌人・大伴坂上郎女。もしタイムマシンで万葉の時代に行けたとしたら、8世紀前半に行って、坂上郎女が恋をし、万葉集の編纂にかかわり、名門の家を守っている様子をぜひ見てみたい。
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【訳】

#1 紫草のように美しいあなたを、憎いと思うなら、人妻であるのにどうして恋しく思いましょうか
#2 わが里には大雪が降っている。 おまえのいる大原の古びた里に降るのはもっとあとだろうね。
#3 世間の決まり文句だけれど、聞かされ続けると心が迷うよ
#4 西の市にただひとりで出かけて、よく見比べもしないで買ってしまった絹は、買いぞこないだったなあ。
#5 真珠の価値は人に知られていない。知らなくてもいい。知らなくても、私さえ知っていたら、人は知らなくてもいい
#6 今頃は、大城の山にほととぎすが鳴き声を響かせているだろう。私はもうそこ(太宰府)にいないけれども


2009・08・17万葉集の和歌が記された木簡出土」(京都・馬場南遺跡)
出土した奈良時代の木簡(740〜770年代)の裏面に「越中守」と書かれている可能性があることがわかった。大伴家持が越中守を務めていた時代と重なる。ただ何度も削った跡があり、当時の人が手習で書いたものではないかという。表面には万葉仮名で「阿支波支乃之多波毛美智(あきはぎのしたばもみち)」と書かれており、作者不詳の「秋萩の下葉もみちぬあらたまの月の経ゆけば風をいたみかも」の歌と判明している。
[訳]「ハギが紅葉した。月日がたち、秋風が強いからだろうか」


2009・08・21 笑っていいとも「この気持ちあるある!なりきり川柳
今日は審査員が、やすみりえさん一人でしたので、たっぷり評を聞くことができました。いつも、もう少しやすみ先生の評が聞きたいと思っていましたが、しゃべりで食っていってる人と一緒だと、どうしても影に隠れてしまいます。今日は審査員一人ということに加え、ゲストの和田アキ子さんが最下位だったので、これをフォローするときのやすみりえさんのハイテンションが実に可愛かったですね。大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)は、きっとこんな雰囲気だったのでは・・・と、イメージしています。