万葉集 | 随筆のページへ トップページへ File No.090810 |
"紫の にほへる妹を 憎くあらば 人妻故に 我恋ひめやも"(#1) |
"我が里に 大雪降れり 大原の 古りにし里に 降らまくは後"(#2) |
"うつせみの 常の言葉と思へども 継ぎてし聞けば 心惑いぬ"(#3) |
"西の市に ただひとり出でて 目並べず 買ひてし絹の 商じこりかも"(#4) |
"白玉は 人に知らえず 知らずともよし | |||
知らずとも 我し知れらば 知らずともよし"(#5) |
"今もかも 大城の山に ほととぎす 鳴き響むらむ 我なけれども"(#6) |
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【訳】
#1 | 紫草のように美しいあなたを、憎いと思うなら、人妻であるのにどうして恋しく思いましょうか |
#2 | わが里には大雪が降っている。 おまえのいる大原の古びた里に降るのはもっとあとだろうね。 |
#3 | 世間の決まり文句だけれど、聞かされ続けると心が迷うよ |
#4 | 西の市にただひとりで出かけて、よく見比べもしないで買ってしまった絹は、買いぞこないだったなあ。 |
#5 | 真珠の価値は人に知られていない。知らなくてもいい。知らなくても、私さえ知っていたら、人は知らなくてもいい |
#6 | 今頃は、大城の山にほととぎすが鳴き声を響かせているだろう。私はもうそこ(太宰府)にいないけれども |
2009・08・17「万葉集の和歌が記された木簡出土」(京都・馬場南遺跡) |
出土した奈良時代の木簡(740〜770年代)の裏面に「越中守」と書かれている可能性があることがわかった。大伴家持が越中守を務めていた時代と重なる。ただ何度も削った跡があり、当時の人が手習で書いたものではないかという。表面には万葉仮名で「阿支波支乃之多波毛美智(あきはぎのしたばもみち)」と書かれており、作者不詳の「秋萩の下葉もみちぬあらたまの月の経ゆけば風をいたみかも」の歌と判明している。 |
[訳]「ハギが紅葉した。月日がたち、秋風が強いからだろうか」 |
2009・08・21 笑っていいとも「この気持ちあるある!なりきり川柳」 |
今日は審査員が、やすみりえさん一人でしたので、たっぷり評を聞くことができました。いつも、もう少しやすみ先生の評が聞きたいと思っていましたが、しゃべりで食っていってる人と一緒だと、どうしても影に隠れてしまいます。今日は審査員一人ということに加え、ゲストの和田アキ子さんが最下位だったので、これをフォローするときのやすみりえさんのハイテンションが実に可愛かったですね。大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)は、きっとこんな雰囲気だったのでは・・・と、イメージしています。 |