キイナ〜不可能犯罪捜査官〜 随筆のページへ

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File No.090318

 テレビドラマで「キイナ〜不可能犯罪捜査官〜」というのが放映されている。主演の菅野美穂・キイナは、警視庁捜査一課・強行犯係に所属している。この中の特別班(通称・ベッパン)で、事件かどうかも分からないような不思議な事件を捜査する。それは、実際に世界で起きた事件や、科学的に解き明かされた不思議な現象をモチーフにしている。毎回、どんなテーマをどう解決するのか楽しみに観てきた。まさに私にとって、このドラマはど真ん中ストライクだった。事件解決には、キイナが特殊能力を発揮する。彼女は、分厚い資料や本をパラパラとめくるだけですべてが頭に入る。文字や図形を一瞬見ただけで、スキャンンするように記憶することができるのである。"笑っていいとも"に菊池桃子さんがゲスト出演したとき、息子さんがそういう能力があると話していた。キイナの持つ能力は、荒唐無稽ではなく現実にあるというのも"このドラマは事実から生まれた"という趣旨に沿っている。

  第一回のテーマは「記憶する心臓」だった。半年前に心臓移植した人が、同じ夢を何度も見るようになった。その夢は、ドナーが殺される夢だった。心臓が"誰かに殺された"と訴えてくる。これをキイナが科学的に解明する。これは1989年アメリカで起きた事件がベースになっている。事故で亡くなった人の心臓を移植されたひとが、ドナーの恋人との秘密の合言葉を知っていたという。解明の根拠は「ハートコード」と言い、心臓に刻み込まれた記憶のようなものだ。キイナの説明によれば、記憶は脳内の神経ペプチドによって呼び起こされる。以前この神経ペプチドは、脳内だけに存在していると考えられていたが、心臓などでも分泌されることが分かった。つまり心臓は記憶できる可能性があるという。今、IPS細胞が注目を集めているが、加えてES細胞の遺伝子を自由自在にコントロールする技術も開発されたようだ。そんな現実の世界を踏まえて、このテーマは実に面白く見させてもらった。

  ところで、科学捜査研究所の技官だが、これは意表をつくキャスティングだった。工藤技官最初の登場シーンでは、後姿を映して「さあ誰だろう?」と視聴者に期待させた。くるっと回ってカメラに顔を見せたとき、私はソファーから転げ落ち、日見子と二人で大笑いした。なんと、キイナの元彼で、科捜研のエリート技官がドランクドラゴンの塚地だった。しかも、キイナはいまだに思いを断ち切れずにいるという設定なのである。では誰ならよかったのか。私が「SMAPの稲垣吾郎なんかいいんじゃないか。トライアングル(TVドラマ)の刑事役はなかなかいいぞ」というと、「しゃれにならないわよ」という。「ん?(事情を聞いて納得した)」。日見子は、加藤雅也、内野聖陽、藤原竜也などイケ面系を何人も候補に挙げたが結局、藤木直人が適役ということで落ち着いた。しかし、何回か観ているうちに、塚地君も悪くないキャスティングに思えてきた。日見子いわく「塚地君の人柄なのかもね」という。第6話だったか工藤技官に、ばつ一で3人の子供がいることが明らかになっては、藤木直人ではまずかったろう。

  第6話のこっくりさんでは「不覚筋動説」というのを知った。これは無意識の筋肉の運動で、自分では意識していなくても身体が動くというもの。第7話では、催眠術のテーマだったが、通常催眠術にかけても、もともとその人が持っている倫理観に反することはさせることが出来ない。ところが、自分の生命が危険にさらされるという脅迫観念を植え付ければ殺人も可能だということなど「Xファイル」より身近なテーマというのがいい。難事件を科学的根拠に基づいて、次々に解決するキイナだが、第8話ではこう言う。「私も、何でも科学で解明できるとは思っていないんです。ただ、頭から否定しないようにしているだけで・・・・」。これこそもっとも重要な考え方と思われる。今夜は最終回である。最終回の予告を見ると、キイナが駅前の雑踏で通行人が炎に包まれるのを目撃する。「人体自然発火」ではないかとキイナは考える。最終回というのが残念だが、楽しみにしている。
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追伸:2009・03・18「キイナ・最終回」
 1996年アメリカ:ジーンズの縫い目にできるバーコード模様が指紋と同じように同じものが二つとないことがわかった。今回の「人体自然発火現象」は殺人だったが、その犯人を決定づける決め手は「ジーンズの縫い目」だった。
 事件解決後、山崎がキイナにこう尋ねる。「超常現象とか奇跡を信じているんですか?」これにキイナはこう答える。「信じている。アインシュタインの言葉に、生き方には二通りある。奇跡などどこにもない、という生き方とあらゆることが奇跡なんだという生き方。だったら毎日起きることが奇跡なんだと思う方が楽しいから」。
 人類の存在自体が奇跡ではあるが、私は人生は、生まれる前に敷かれたレールの上を走っているようなものだと思っている。そこに、想定外のことが雨あられと降り注ぐのである。このホームページに書いたことが、ルビコンによって「デスノート」化しているのも想定外の一つである。