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FileNo.081203

朝のラジオを聞いていると、いつも「今日は○○の日です」と紹介している。最近では、年中何かしら記念日になっているようだが、今日12月3日は「妻の日」だそうだ。11月22日の「いい夫婦の日」は、語呂合わせですぐ分かる。さて「妻の日」がどんな日なのか、なぜ12月3日に決められたのか。日本記念日協会のHPには「1年間の妻の労をねぎらい感謝する日。1年の最後の月である12月と、感謝をあらわす“サンクス”のサンを3日にたとえて組み合わせたもの」と掲載されていた。今朝のラジオではこんな風に紹介していた。「“妻の日普及振興会”によると、『縁の下の力持ちのように、いつも見えない部分で家族をサポートするのが妻の仕事。当たり前の普段の生活を送ることがどれほど大変なのか理解してほしい』というのが奥様方の共通の思いだそうです」と。さて、どんな風に感謝の気持ちを表すのかをいくつか紹介していたが、その中に「終日、家事から開放してあげる」というのがあった。

私は、リタイヤして3年余が過ぎた。世間では、団塊の世代の大量定年退職で、企業が困っている。しかし一方では「主婦には定年がない」という現実がある。それどころか年中、夫が家にいるようになったので余計忙しく、気を抜くところもなくなったようだ。そういう状況で「家事から開放してあげる」というのは効果的かもしれない。私が定年後一番変わったのは「料理」をつくれるようになったことである。よく雑誌などで目にする「男の料理」などと、気合を入れて、こだわってつくる料理もいいが、縁の下の力持ちの地道な主婦の仕事を考えれば如何なものかである。むしろ、毎日食べている普通のメニューをつくるほうがよほどいいに決まっている。「みそ汁」をつくれるだけでもいい。たとえ料理はつくれなくても、なにかしらやることはある。「棚の上から二番目にある大きめの皿を取って!」「このフライパンの焼き具合がよくなったら教えて!」。主婦というものは随〜分人使いが荒いので、心配しなくてもいい。

さて、私が料理をするにあたって会得したことがある。そう言うとちょっと大げさだが、まずはその一、主婦が数十年にわたって守ってきた台所という聖域に入るということを心得ておくことである。所詮主役にはなれないので、「男の料理」などと肩肘張らず“家事手伝い”に徹することだ。私が料理をする日は、ご飯を炊いて、後片付けまで一連の仕事をすべてすることにしている。と言うと格好いいが、さすがに買い物は、食材の見分けが出来ないのでやってもらっているし、料理も全品をつくれる訳ではない。そこが家事手伝いたる所以でもある。しかし少なくとも、後片付けについては負担が少なくなるはずだ。後片付けで注意しなければいけないのは、器を洗って水屋にしまうときである。元あった場所にきちんとおさめておかなければならない。次の日、主婦が台所に立ったとき、「え〜、あの器はどこにいったの」ではかえってわずらわしい。心得その二は、できる限り家事手伝いが料理したという痕跡を残さないことである。

いつも日見子は、いい食材があれば買ってきて、それが私ができる料理であれば私がつくるし、そうでなければ日見子がつくるという具合だ。と言っても私がつくるのは、せいぜい一週間に一回程度である。しかし、特別ではなく、ごく普通に台所に立つということが大事なのである。今日の我が家のメインディシュは「豚フィレ肉と玉ねぎの炒め物」である。この料理は、テレビの番組を見て、私が我が家のメニューに追加したものだ。料理自体は簡単だが、私が開拓し、私しかつくらないというところに意義がある。今日は、それとなく仕向けて私がつくるようにした。メインディッシュにプラス「みそ汁」をつくる。12月3日が「妻の日」だということを日見子は知らない。買い物をしている時、ビールが私の目にとまったので、小さな缶ビールを二つカゴに入れた。「あら!
、ビールを買うなんて珍しいわね」と日見子。さて、今日は乾杯でもしますか。


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2008/12/06 「“ふくや”の辛子明太子」

ふくや・川端店

ふくやの辛子明太子(家庭用)
 今日、福岡アジア美術館に「アジアとヨーロッパの肖像」展の開会式に行ってきた。アジアとヨーロッパの18の博物館や美術館が共同で企画した展覧会で、国際共同巡回展だそうだ。アジアとヨーロッパの人たちが、どういう認識でお互いを見ていたのか、肖像画の変遷を通して浮き彫りにするものである。
 美術館の帰りに、川端商店街を通って櫛田神社の横にある「ふくや・川端店」で明太子を買ってきた。先日、「一日大学天神塾・福博を学ぶ」で「“めんたいこ”はなぜ博多の食文化になったか」という講座を受けた。講師は、明太子を創り出した「ふくや」の社長さん。明太子は、「ふくや」創業者が戦前、釜山にいた時食べていた「タラコのキムチ」をヒントに創りだしたものだという。なぜ明太子という名前になったかというと、朝鮮語でスケトウダラのことを「ミョンテ」というとこらからきている。日本人の好みに合う味になるまで相当の努力があったようだ。その苦労して創り出した「辛子明太子」を、特許もとらず「いろんな味があっていい」と、積極的に創り方を教えたのである。しかも“元祖”とか“最初につくった”などの言葉を自社製品にいっさい表示していないという。全国に知れ渡った理由として、西鉄ライオンズの選手が広めたとか、新幹線が博多まで開通して爆発的に全国に広まったとか話されていた。しかし、最大の理由は、特許もとらず製法を教えた創業者の「度量の大きさ」であろう。群雄割拠状態の明太子業者だが、「ふくや」に足を向けて寝れないのではないか。この話だけでもすごいが、驚くのはまだ早い。私は別のページで、「自分が自信をもってつくった味を、一番いい状態で食べてもらう。自分の味を大切にするという「食」の原点がこの店にある。「食」はこうあらねばならない」と書いた。まさに「ふくや」はその姿勢そのものであった。工場でつくった商品を、直営店でしか販売していない。卸を一切していないのである。品質を守るということからだろうか、県外の直営店は東京の2店舗だけ、あとはすべて福岡県内である。店頭ではお客様との直接の対話にこだわり、教育を受けた店員さんの正しい説明と、同時にお客様の生の声を吸い上げ、それを製品に反映させている。更に、手形・小切手を使わず、現金取引を経営の基本としているという。実に堅実である。「ふくや」の真摯な経営姿勢に、感心を通り越して感動した。